4月27日、WBA世界スーパーフェザー級スーパー王者の内山高志が、6年3ヶ月にわたって君臨した王座から陥落した。試合後、彼は、「今はまだ何も考えられない」と語っている。はたして、36歳の元チャンピオンの再起はあるのか――。

 内山高志は、嘘をつく。

 それは2015年5月、10度目の防衛戦直前のインタビューだった。仕上がりを聞くと、一点の曇りもない表情で、「万全です。早く試合がしたくてウズウズしています」と内山は断言した。

 試合は2ラウンド2分15秒、内山の右ストレート一閃、対戦相手はキャンバスに沈んだ。まさに圧勝。しかし、この試合、彼はひとつ嘘をついていた。試合から3週間後――、左ひじの遊離軟骨、いわゆる"ネズミ"の除去手術を受ける。以前から左ひじは曲げるだけで痛みを伴い、相手のパンチをガードできる状態ではなかったのだ。つまり、万全とは程遠いギリギリの状態だった。

 後日、「全然、万全じゃなかったんですね」と聞くと、「すみません」と内山は申し訳なさそうに頭をかいた。

 弱みは見せない。言い訳はしない。しかし、誰もが望む結末を必ず用意してくれる。内山高志というボクサーは、現代の"ヒーロー"なのだと、そのときに思った。

 4月27日の敗戦から一夜明け、「今日のところは勘弁してください」というメッセージを関係者に託し、内山は会見を欠席している。

 今、ひとりその部屋で、何を思っているのだろうか?

 試合前のルーティンを聞いたとき、彼は、「部屋の掃除をしてから家を出ること」と教えてくれた。

「試合後、病院に直行しなければならない場合など、僕以外の誰かが、部屋に最初に入る可能性があるので。部屋が汚かったら申し訳ないですよね」

 どれだけKOの山を築こうと、心のなかで敗北はいつも隣り合わせだった。

 しかし、6年3ヶ月ベルトを保持し、元WBAライトフライ級王者・具志堅用高が持つ13度防衛の日本記録に並ぼうとする目前、敗北が初めて現実となったとき、その胸に去来する想いは想像することすら難しい。簡単に、「もう一度、立ち上がってください」などと言うことは、はばかられる。

 しかし、それでも期待してしまう。なぜなら、彼は内山高志だからだ。

『恐れず、驕(おご)らず、侮(あなど)らず』

 内山はまさに、母校・花咲徳栄高校ボクシング部の部訓を地で行くボクサーだった。リング上では何者も恐れず、しかし一度リングを降りれば、どこまでも謙虚だ。

 今は後援会の人数が増えすぎて難しくなったが、以前は試合後、チケットを購入してくれた後援会の人たちひとりずつ、直筆のお礼状を欠かさなかった。試合で利き手をケガすると、逆の手でお礼状を書いたことすらあった。

 その謙虚さは、一度サラリーマンを経験したからか、それとも人としてもっと根幹の部分なのか、何度防衛を重ねても、内山は決して驕ることがなかった。昨今、街を歩いていてサインを求められることが増えても、「えっ!? 俺なんかのサインが欲しいんですか?」と、いつも気恥ずかしかったと言う。

 ある漫画家が、ボクシング漫画を立ち上げるにあたって、参考にしたいので話をうかがえないかと場をセッティングしたことがある。内山は快(こころよ)く引き受け、さらに謝礼を支払おうとすると、「異業種の方とお話ができて、いろいろ勉強になりました」と受け取りを固辞した。

 どこまでも強く、どこまでも謙虚なチャンピオン――。それが、内山高志という男だった。

 そんな内山に、「では、チャンピオンであることを幸せに感じる瞬間は?」と聞いたことがある。

「勝った翌日のファミレスでコーヒーを飲む瞬間が、最高に幸せですね。『今回も生き残れた』って。ただの普通の景色が、なんか輝いて見えるんです」

 そう答えると、少しキザな言い回しになってしまったかな、と照れ笑いした。そしてもうひとつ、王者であることの幸せは、「少しだけ申し訳がたつこと」と続けた。

 生真面目なサラリーマンの父を持った内山は、「アテネ五輪まで」と約束し、安定した職に就くことを望んだ父を説得し、ボクシングを続けた。

 しかし、アジア地区最終予選で敗退。約束どおり、一度はサラリーマンとなる。だが、同世代のボクサーの試合を観戦するうち、沸き上がる想いに気づき、再起を決意。プロに転向した。その決断に父は激怒し、会話すら交わさない日々が続く。

 父が頑(かたく)なだったのは、理由がある。ガンを一度患った身体が、いつまでもつかわからない。プロボクサーとして世界王者を志(こころざ)した息子が、志半ばで夢破れたとき、長くはフォローできないかもしれないと悟っていたからだった。

 2005年、内山がプロデビューした年、父はガンが再発し、入院。そして内山のプロ3戦目、そのわずか2週間前に父は逝った。

 父は、プロボクサーの息子を一度も観戦できていない。ただ父は、母に、「会場で売っている高志のTシャツが売れ残っていたら、全部買ってこい」と告げていた。息子の世界チャンピオンになるという夢を、本心では応援していたのだ。

「『どうだ親父、俺は世界チャンピオンになったぞ』なんて想いは、一欠片(ひとかけら)もないんです。心配ばかりかけ、一度も安心させてあげられなかった。もしも何かひとつだけ、父に伝えられることができるのなら、『安心して。ボクシングでどうにか食べていけてるよ』って伝えたいんですよね」

 何年も前から、内山に夢を訊ねると、「ラスベガスのリングで、強い相手と戦うこと」とブレることはなかった。夢半ばなのは間違いない。しかし、36歳という年齢、途絶えた連続防衛記録、遠ざかりそうなラスベガスでのビッグマッチ......。そのモチベーションを維持することは、かぎりなく難しい。

 内山は所属するワタナベジムの渡辺均会長に、「しばらく休みます」とメールを送っている。その"しばらく"が、もしも永遠となってしまっても、誰も内山を批判しないだろう。内山の積み上げた記録や記憶は、一度の敗北などで少しも陰ることはないからだ。内山が今後下すどんな決断も、多くのファンはきっと納得するはず。

 それでも期待してしまう。"ヒーロー"は願ったときに現れる。そして、内山本人だけでない、ファンもが願った結末を用意してくれるはずだ、と。

 最後に、個人的な事柄で申し訳ないが、いつか内山高志と交わした会話を記しておきたい。

「ラスベガス、連れて行ってください」
「はい」

 その瞬間、こちらの目を真っ直ぐに見ながら内山は答えた。

 あの約束の有効期限は、まだ切れていないと信じている。なぜなら、"ヒーロー"は、決して嘘をつかないからだ。

水野光博●取材・文 text by Mizuno Mitsuhiro