「50年、60年後になると今の仕事の大半がなくなる。その視点で新たな仕事をつくっていくことが必要だ」。清川は08年に入社した経営共創基盤(同千代田区)で流通・小売り業などの事業再生に携わりながらそう考えていた。

 起業への関心が強まり、1年半後に米国のスタンフォード大学大学院へ留学。独りで本場へ飛び込む行動力は昔からだ。清川少年は中学校まで出身地の大阪で暮らしていた。

 ただ、「世の中で起きることは大体、東京で起きる。東京をこの目で見ないと世の中で何が起きているか分からない」と上京を思い立つ。慶応義塾大学の付属高校に入学した。

 時は過ぎ、“アラサー”の清川はシリコンバレーの空気を存分に吸い、「トヨタみたいな日の丸企業を未来に向けてつくっていきたい」と決意を固めた。帰国後の11年7月にミスタータディ(現オーマイグラス)を立ち上げた。

 メガネを選んだ理由について、「そんなに深いアイデアはなかった」と清川。ただ、彼の経歴を見れば必然の選択に思える。

 世界3大メガネ産地の一つと言われ、国産フレームの9割以上を手がけている福井県鯖江市。ただ、その地場産業は最盛期から出荷額が激減していた。

 「前職の経験から事業再生に興味があった。メガネ産業は非常に厳しい状態だが、高付加価値な分野がある」と目を付けた。同社は現在、市内のメーカー数十社と提携。通販サイトでは世界の有名ブランド以外に、自社ブランドを展開している。

 米国滞在時に「次のネット時代はアマゾンで買えなかった商品・サービスが買えるようになる」と直感した。突破不可能に見える障害にこそ大きなビジネスチャンスが潜むもの。清川の考えは、度付きメガネのネット販売に行き着いた。

 現在の販売は日本国内、それも首都圏が中心。ただ、当然ながら海外進出を検討している。直近ではシンガポールへ出張した清川は、ビジネスモデルの横展開に熟考を重ねる。

 その成長性を評価して、政府系ファンドの産業革新機構などがこの8月に総額約11億円を出資した。日本が抱える社会的課題解決のモデルケースと各方面から期待は大きい。

 清川は「日本人としての誇りはモノづくりから来ている。だから、モノづくりを基点としたグローバル・メガベンチャーをつくらなければならない」と固く誓う。50年、60年後に世界をリードする日の丸企業がいなくなってはいけないという信念からだ。

「メガネはそれになりうる。なぜなら世界中でどこでも誰でも使うからだ」。
(敬称略)
(文=鈴木岳志)
※内容は当時のもの
日刊工業新聞2014年9月29日