武蔵野美術大学在学中にデザイナーとしてキャリアをスタートさせ、1975年には日本版月刊『PLAYBOY』の初代アートディレクターを務めるなど、雑誌や広告を主な舞台に日本のアンダーグラウンドなアートシーンを牽引してきた田名網敬一。自身初となる大規模回顧展「田名網敬一記憶の冒険」が開幕した2日後の8月9日、くも膜下出血のため死去。その偉大な足跡は長く語り続けられるだろう。文=川岸 徹撮影=JBpress autograph編集部