さらには3-4-3の肝ともなるトップに、田中に代わってデスポトビッチが起用された。この試合でいえることは、フレッシュな布陣が柏の拙攻にも助けられ≪はまった≫ということだ。

 終始試合の主導権を持ったのは柏だった。シュート数15対8。コーナーキックも浦和の3本に対し、柏は10本もあった。しかし、策士として知られる柏のネルシーニョ監督だが、広島と比較するとプレーに一手間多かった。例えば梅崎の裏にできたスペースを狙うにも、広島は単純にスペースにボールを入れてきたのに対し、柏はサイドの選手が中央にパスを当てて飛び出すという形が多く、その手間の分、連携がスムーズにできずに攻撃にブレーキがかかってしまう場面が目立った。
 
 広島戦ではミキッチに手を焼き守備に従事せざるを得なかった梅崎も、この試合では攻撃参加することができた。90分間、売り出し中の酒井宏樹と梅崎が真っ向勝負したら、どんな結末が待っていただろうか?
 
 阿部が中盤に入ったことと、永田、坪井の起用により、中盤での守備が強化され、DFラインの攻撃の対処がシンプルになったのも、プラス材料だった。もっとも、一番の収穫だったのは、ジョルジ・ワグネルのミスを見逃さず、一人でゴールに結びつけたセルビア代表のデスポトビッチだ。
 
 昨季チームに加入したものの、≪同胞≫でもある“ゼリコ・ペトロヴイッチ”前監督の信頼を勝ち取れず、くすぶっていた。ホーム開幕戦でやってのけた値千金のゴールは、センターフォワードとしての資質を垣間見せてくれた。かつて同じ背番号21をつけ、レッズの栄光を駆け抜けたワシントンとその姿をだぶらせたサポーターも少なくないだろう。この日のデスポトビッチは誰よりも走り、躍動感に満ち溢れていた。いずれにせよ、広島に敗れたことから、よりペトロヴィッチ監督が現実的な布陣を配したことが、この試合の勝利を呼び込むことになったのは確かだった。

■痛恨の離脱と、若き才能が示した光明
 リーグ戦初勝利から3日後に行われたのはヤマザキナビスコカップ、対ベガルタ仙台戦。ペトロヴィッチ監督は先発選手を9人入れ替えて試合に臨んだ。栄光時代を知る選手たちも今は30代となり、リーグを戦うには十分な休息が必要だ。浦和が≪ターンオーバー≫でも、それなりの選手を擁しているのは、この日の布陣を見てもはっきりしていた。
 
 GKは加藤順大に代わって日本代表に招集されたこともある山岸範宏。永田は連続出場したが、オーストラリア代表のスピラノビッチと濱田がその両脇を固めた。ボランチにはこのチーム最年長の山田暢久が今季初出場。小島秀仁とコンビを組み、右のアウトサイドには岡本拓也、左アウトサイドには宇賀神友弥、トップ下のシャドーには柏木と山田直輝が入り、トップはポポが入った。

 これだけ選手を入れ替えてしまうと、チームは全く別物になってしまう。ほぼベストの布陣である仙台が主導権を握ったのも言うまでもない。ボールをまわされ攻め続けられる浦和はそれを耐える。90年代からオフト監督時代までよく見た光景がそこにはあった。

 仙台に少なくとも3回はあった決定的な場面も1回はポスト、1回はクロスバー、そしてもう1回はGK山岸の神がかり的な“ワンハンド・スーパーセーブ”によって失点にはつながらなかった。

 そして柏戦から残した二人の連携がゴールにつながった。柏木のCKを永田が直接ヘディングで決めたのだ。ボール保持に固辞し続けるばかりに、セットプレーでの得点が枯渇していた浦和にとって、セットプレーからの得点は光明となった。

 しかし、勝利の代償はあまりにも大きすぎたといえる。先発出場した岡本が前半16分に左太ももの肉離れで負傷退場。さらに前半27分に山田直輝が仙台DFと接触して左膝前十字靭帯損傷でロンドンオリンピックも絶望的となる大怪我を負ってしまった。