記憶の継承へ 学生が土崎空襲の痕跡をたどる 秋田
終戦前夜に始まった爆撃で250人以上が亡くなったとされる秋田市の土崎空襲から今年で81年です。戦争を直接知る世代が少なくなる中、大学生などが空襲の痕跡をたどり記憶をどう伝え継いでいくか、考えを深めました。
終戦の日まで1か月を切った7月16日。
秋田市の土崎みなと歴史伝承館を訪れたのは、秋田大学で社会科教育を学ぶ学生や聖霊女子短期大学で地域の歴史を学ぶ学生です。
これまで授業を通して土崎空襲について学んできました。
この日の目的は悲惨な記憶をどう伝え継いでいくか考えを深めることです。
土崎空襲に関する調査や継承活動に取り組んできた伊藤紀久夫さんです。
1万2000発余りの爆弾が落とされ、250人以上が犠牲になったとされる土崎空襲。
「すごいブーメランみたいに飛び散ってタンク、パイプ、工場を破壊する、触ってください」
多くの国や地域で今も戦争が続いてます。
「国を守るって他の外国に(侵略しに)行って守るんですか?これは今も同じですよ。これは皆さんに問われていると私は思います。ですからきょう、土崎空襲のことを学びながらただ被害、悲しいなっていうことだけじゃないです。加害して被害があったっていうそういうことまで学ばないとね、学んだことにならないしそれを今皆さんがどう未来の歴史、つくっていくかっていうのをこれから皆さんが決めていくことになるんです。他人事ではないのです。」
直接見たり触れたりして歴史を知ることができる戦争遺跡。
そのひとつだった建物=「被爆倉庫」は老朽化のため9年前に解体されました。高熱で溶けたコンクリートの柱や梁が当時を物語ります。
船木朝夫さん「爆撃の目標地点であった日本石油の跡地です。今は何もありませんけども。」
おととしから学生への語り部活動をしている船木朝夫さんの案内の元学生たちは被爆倉庫があった場所を初めて訪れました。
民間事業者の敷地にあるため、手続きをしなければ立ち入ることはできません。
戦争遺跡の調査に取り組む、秋田大学の外池智教授も同行しました。
秋田大学 外池智教授「この上をB29が134機飛びながら1万2000発の爆弾を落としたって想像するとどうすかね。」
「さっき説明で市街地から離れたところにあるっていうことで被害は少なかったっていうのはわかったんですけど、正直ここに立って上に戦闘機134機飛んで爆弾落とすっての想像したらやっぱちょっと怖いってのが正直な感想です。」
「実際こう来てみるとここに被爆倉庫があったっていう紹介とかも何にもなくて多分みんなここ素通りしていくから、実際に現場の持つ雰囲気とかっていうのも感じられないからそれは多分これを踏まえたらやっぱ今子どもたちも世代もそうですけど、土崎空襲っていうのが全然身近に感じないのかなっていうふうに思いました。」
これまでは民間団体や個人が保全や継承に力を注いできた‟戦争遺跡”。県内の市町村からは合わせておよそ900件報告されていますが、8割近くは戦後に建てられた、慰霊碑などの石碑です。戦時中から残されているものは数えるほどしかありません。
記憶の風化が懸念され続ける中、保全や活用に向けた県の本格的な調査が始まったのは先月です。
爆風で頭部を失った地蔵が残されている寺にも訪れた学生たち。次の世代へ記憶を伝え継いでいく役割を担っていきます。
大学生「自分がその場にいたらどうしていたかなって、考え巡らせて、当時の人がどんな状況だったのかっていうのがどんどん思い浮かんでくるそんな体験でした。」
大学生「継承していく立場だし継承していく子どもたちを育てる立場になるので実際に現地に足を運んで見て感じたことの直感を大事にしていきたいなと思いました。」
土崎空襲からまもなく81年。戦争を直接経験した世代が少なくなる中、痕跡に宿された記憶を読み解き、語り継いでいくことの重みは日に日に増しています。
