《人生に後悔はありません》元ホリプロ清純派アイドルの大森玲子さんが初告白“プライベート写真流出”後の事務所退所は「解雇ではなかった」、「決意のタトゥー」をレーザー除去して10年の現在
「ホリプロタレントスカウトキャラバン」で1996年、12歳でピュアガール賞を受賞した大森玲子さん(42)。清純派アイドルとして『どうぶつ奇想天外!』(TBS系)などのバラエティー番組で活躍していたが、34歳で結婚し、現在はマレーシアに拠点を置いている。人気絶頂でプライベート写真が流出し、その後に事務所を退所。バンドを組んでミュージシャンに転身、腕に彫ったタトゥーはそれまでの彼女のイメージを一変させた。
【写真を見る】現在42歳の大森さん、バンドマン時代に入れた左腕のヤモリのタトゥー、マレーシアの7LDKの自宅の一部
芸能界入りして30年──。いつしか表舞台から姿を消した大森さんが、当時は語れなかった波乱万丈の半生を明かした。【前後編の後編。前編から読む】
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芸能活動は引退したってわけではないんですけど、今はまったくしていません。マレーシアでヒップホップダンスを習っているので、そのスクールにオファーが来たショッピングモールのダンスイベントなどに、一緒にチームを組んでいる子たちと参加することがあるくらいです。先日はアニソンのイベントだったので、アニメソングを歌って踊りました。
母が声楽をやっていたこともあり、私も子どもの頃から歌うことが好きでした。ちょうど安室奈美恵さんが人気だった頃で、「アクターズスクールに通いたい」「沖縄に引っ越したい」って母親にお願いするような子どもだったんです。
そしたら、「ホリプロタレントスカウトキャラバン」でちょうど歌部門の募集をしていました。歌のレッスンが受けられて、デビューできるっていうのに惹かれて、母親が応募しました。私はまだ小学校6年生だったからよくわかっていなくて、"夏の思い出"くらいの気持ちでしたね。
予選のときから、周りは本当にキレイな子ばっかり。だから、自分が「ピュアガール賞」を受賞したときは、本当にビックリしました。当時の私は"清純派"の意味もよくわかっていなくて、ヘアカラーはダメ、ピアスもダメと言われたけど、「バレないかな」ってこっそり少しずつ色を入れたらすぐに事務所のスタッフさんにバレました(笑)。
でも、怒られたりとかはなくて、優しく注意、という感じ。事務所の人たちは私からすると、みんな"優しいパパ"みたいだったんです。だから、甘えてました。バレてからはさらに悪化して、結構しっかり髪をキラキラさせたり(笑)。マネージャーさんたちはしょうがないな、という感じで、アルバムのジャケット写真の撮影のときとかは髪の色を隠すために、よくかぶり物をかぶらされたりしていましたね。
中学校に上がる直前に受賞して活動を始めたんですけど、素の私は清純派というより、好奇心が強い少女でした。いろんなことに興味があって、芸能活動だけじゃなくて、プライベートでは地元の友だちと普通の学生生活も楽しみたい、という気持ちが強かったんじゃないかと思います。だから事務所の寮には入らず、高校も芸能コースのある学校じゃなくて、普通校に進学したんです。
でも、普通校だと芸能活動をしている人が珍しかったのか、上級生らが教室まで来たり、私の携帯番号がいろんな人に拡散されて、授業中もエンドレスで電話がかかってきたり。自宅の住所もバレちゃって、家の前に置いてあった自転車を、私の雑誌の切り抜きでバーッとデコられたりしたことも。誰に何をされてるのかわからなくて、人間不信になったりしてました。
結局、事務所のいうとおり、寮に入ったり、芸能コースのある学校に通ったりすれば良かったんですよね。だから、自分のワガママがまいた種なんで、まあしょうがないかな、当然だよな、って感じていました。ただ、14〜16歳の頃ってちょうど反抗期じゃないですか。2000年に勉学を理由に1年半ほど芸能活動を休業したことがあったんですけど、実際は「もう仕事やだ!」って事務所や家からも脱走して失踪したことがありました。
その間、普通の高校生みたいにファーストフード店のアルバイトにチャレンジしたんですよ。でも、始めたらすぐにお客さんにバレちゃって。結局、表に出ない工場のライン作業をするぐらいしかできませんでした。ビニールで商品を縛ったり、機械の温度をはかったり。一緒に働いている人たちと一緒にお昼ご飯を食べたら、周りは苦労されているヤンママさんが多くて、その方たちの人生の話を聞くうちに考えさせられました。
私はついこの前まで大勢の人に囲まれて応援してもらっていたのに、こんなふうに身を隠して生きていたらもったいないんじゃないか、って。そんな話を母にしたら事務所の方に繋いでくれて、すぐに復帰することがでたんです。
でも、芸能界に戻ってみたら、以前のような感覚は戻らなくて、何をしゃべったらいいかわからなくなっちゃったんです。テレビで使うにはふさわしくない言葉がつい出ちゃって、周りをドキッとさせてしまったりとか。自分でも、もうアイドルの感覚は私にはないのかな、ってかなり動揺したのを覚えています。
今思えば、休業前は何も考えずに発言して、それを周りが面白がって、自分も楽しんでいたんだと思うんです。でも、少し成長すると無邪気さがなくなって、自分の見られ方を考えたりするようになったんでしょうね。それでイメージする私になろう、と背伸びして強めの発言をしちゃったりして。バランスが難しかった。とくに18〜20歳の頃はどうしたらいいのかわからなくて、結構悩んでいました。ちょうどいい芸能の感覚を取り戻せないまま、今に至るような気がします。
2003年に、"反抗期"だった頃の私の写真が月刊誌でスキャンダラスに報じられたときには、ファンを驚かせてしまいましたね。写真を撮った当時は、恋に恋してた感じで、付き合う相手を見た母親にも「大丈夫?」って驚かれてたくらい(笑)。父親はソッとしてくれていました。でも、報道が出たのは、写真を撮ったときから4年くらい経っていたので、「なんで今頃?」「(相手が)お金なくなっちゃって写真売ったのかな」って。ダメなんですけど、私はあまり気にしませんでした。
その翌年に私は事務所を離れたので、「解雇された」と思っている人もいると思いますけど、違うんです。そんなに簡単にタレントのクビを切るような事務所じゃなくて、ちょうど契約更新のタイミングで、「今までどおりアイドルを続けるかどうか」という話し合いになり、私はもう20歳だったので、最初の希望どおり歌、音楽をやりたい、バンドをやりたいと思っていて、「それだとうちの事務所では難しい」と言われ、事務所を離れることになったんです。
それで新しい事務所と契約し、"相原玲"や"Ray"の名前でラジオDJをしつつ、インディーズバンドで活動していましたが、大変でした。アイドル時代は周りが導いてくれたけれど、バンドを始めたとたん、自分たちから発信して周りを動かしていかなくてはいけないんですよね。それに、どうしても"アイドルの大森玲子"として見られてしまう。それで、今までとは違う、バンドマンになるんだ、という決意表明としてタトゥーを入れたんです。わざと目立つ腕にヤモリを……。
結局、バンドで売れるのは難しく、タトゥーも夏に半袖で電車に乗ってつり革を持つとジロジロ見られたりするので、30歳の頃、消そうと思って3年かけて16回くらいレーザー治療に通いました。今はもう、うっすら残っているくらい。それから間もなくマレーシアに行ったので、マレーシアではワンポイントで入っている人も珍しくないし、除去治療はめちゃめちゃ痛いので、もう通っていません。
ちなみに、2016年に出演したバラエティー番組を見て、私がキャバクラ勤めをしている、と誤解した人もいたみたいですね。当時は会員制ワインバーで働いていただけで、再現VTRの店内風景でキャバクラと勘違いされてしまったみたいです。
これからですか? 全面的に芸能活動を再開する予定はありません。もう42歳ですしね。今みたいに趣味の延長で、ステージで歌って踊ることは続けていきたいし、日本でもそういう機会があれば楽しみたいとは思っています。20歳のときに事務所を離れない選択をしたら、違う人生があったのかもしれないけど……。これまでやりたいことを全部やってきて、タトゥーを入れたことも含めて後悔していません。私は今の"大森玲子"の人生が気に入っています。だから、今、20歳のときに戻ったとしても、同じ選択をするでしょうね。
(了。前編から読む)
取材・文/中野裕子(ジャーナリスト) 撮影/岩松喜平
