「フォッフォッフォッ!」60年の歴史の礎はバルタン星人分身…「ウルトラQ」「ウルトラマン」放送60年 桜井浩子インタビュー〈1〉
60年前の1966年。日本のテレビドラマ界に革新的な作品が登場した。1月からTBS系で放送された「ウルトラQ」と、それに続いて7月からオンエアされた「ウルトラマン」だ。「空想特撮シリーズ」と銘打たれた、この2作から、実に半世紀以上にも渡って後継作品が誕生し、日本の、世界中の子供たちに「勇気」「希望」「思いやり」といったテーマを教示している。スポーツ報知では「―Q」「―マン」にヒロイン的な立ち位置(江戸川由利子、フジ・アキコ)で出演した桜井浩子(80)にロングインタビューを敢行。自身の半生、クリエイターの“梁山泊“とも言えた当時の撮影現場での逸話などを聞いた。 (名取 広紀)
「ウルトラマン」の第1話、「ウルトラ作戦第一号」(監督・円谷一)は、66年7月17日に放送された。だが、撮影自体は当時、TBSから円谷プロダクション(当時は円谷特技プロダクション)に出向していた飯島敏宏がメガホンを執った第2話「侵略者を撃て」、第3話「科特隊出撃せよ」、第5話「ミロガンダの秘密」から始まっていた。4か月ほど前のことだった。
桜井ら俳優陣が演じる「本編」と、科学特捜隊(科特隊)の専用機・ジェットビートルが飛んだり、怪獣が暴れ回る「特撮」と、パートを分けて収録していた。そしてこの時代、ドラマ内のセリフは、すべてアフレコ対応だった。
「『―Q』の頃から、私たち本編に出る役者には特撮部分の映像は上がってこなかった。見たことがなかったんですね。でも、『侵略者―』に関しては特撮の映像が見られたんです。カラー映像でバルタン星人が分身していくシーンが美しくて、格好よくって、本当に驚きました。科特隊のメンバー全員、画面に見入ってしまったんですよ」
すると、ムラマツキャップ役の小林昭二が、桜井やハヤタ役の黒部進、アラシ役の石井伊吉(現・毒蝮三太夫)、イデ役の二瓶正也に「ちょっと来い」と声を掛け、アフレコルームの外に出た。
「何だろう?と廊下に出ると、キャップが真剣な顔つきで言うんです。『特撮班があんなに気合の入ったモノを作っているんだ。俺たちも頑張らないといかんぞ。子供番組だから、って手を抜いたらダメだ』って。全員が同じ思いだったと思います。まむしさんも神妙に聞いていました」
隊員役の俳優陣は年齢も近く、撮影前などは和気あいあい、という雰囲気だったが、この小林の一言から、少し空気が変わった―と、桜井は振り返る。
最終回「さらばウルトラマン」(67年4月9日)の放送が終わった直後、全国の子供たちが家の窓を開けて「さようなら」「ありがとう」と手を振りながら叫んだ―というが、半世紀以上も続く、空前絶後の特撮ドラマシリーズの礎が、この瞬間に築かれたのだ。
※参考資料 ウルトラマン45周年特別号、ウルトラマン50周年特別号(報知新聞社・2011年、16年)ヒロコ ウルトラの女神(ミューズ)誕生物語(小学館・2011年)
◆桜井 浩子(さくらい・ひろこ)1946年3月4日、東京生まれ。子役として活動後、「オール東宝ニュータレント1期生」として東宝入り。「紅の海」(谷口千吉監督)、「青べか物語」(川島雄三監督)などに出演。70年代以降はテレビドラマを中心に活動。「ウルトラマンシリーズ」には07年の「―マックス」にヨシナガ助教授としてレギュラー出演した。ウルトラマン関連の著作も多数。
◆ウルトラQ 1966年1月2日〜7月3日、TBS系で放送。平均視聴率32・39%。日本初の特撮テレビ映画で日常生活のさまざまなバランスが崩れるときに起こる異変、怪事件を独特の怪獣路線と融合して描き、「怪獣ブーム」を巻き起こした。
◆ウルトラマン 1966年7月17日〜67年4月9日、TBS系で放送。全39話。「ウルトラQ」が生んだ「怪獣ブーム」の決定版的な作品を作ろう―という意図から制作された。全編カラー作品で平均視聴率は36・8%を記録した。

