本記事はRokt松田誠氏による寄稿です。

<目次>NRF APAC 2025 レポート Vol.3 リテールを革新するAIKPMG:AIの導入に近道はないニック・スキャリ:データ整備の現実コアサイト、ギル・キャピタル:スピードと環境構築の重要性 加速するリテールメディアADMグループ、JR東日本スタートアップ、ザ・コーヒービーン&ティーリーフ:店頭でのリテールメディアの可能性メディアセンス/R3、エンデバーグループ:リテールメディアネットワークの活用 APACからの学びと今後について

リテールを革新するAI
NRF APACのオープニングセッションでKPMGのイサベル・アレン氏は、AIを「リテールの本質を加速させる不可欠なテクノロジー」と位置づけた。仕入れ、流通、顧客エンゲージメントというリテール活動の領域すべてにおいて、AIの導入は今や「選択肢」ではなく「前提」となりつつある。NRF NYでは2年連続でエヌビディア(NVIDIA)がキーノートに登壇しており、世界的に見てもAIはリテールにおける最重要技術と認識されている。そしてNRF NYにおいては主に「どのようなAI活用事例があるのか」という点に焦点が当てられていた。一方、NRF APACでは視点が異なる。「AIをどう取り入れていくのか」、すなわち実装における具体的なアプローチや組織内の準備が議論の中心となった。これはAPAC地域がAI導入において遅れているからではなく、むしろファンシーな最先端ソリューションよりも現実解を重視する文化に根差しているのではないかと考える。現地の業界関係者との対話を通じて見えてきたのは、失敗を恐れ、堅実なステップを重んじる姿勢だ。

1. KPMG:AIの導入に近道はない

KPMG イサベル・アレン氏

「Welcome:Theatre Sponsor(シアタースポンサーより)」のセッションにおいてアレン氏は、AIを活用するためにはまず「自社のIT環境を正確に理解し、整備すること」が重要だと繰り返し強調した。AI導入の成否は導入前のデータ基盤と内部理解にかかっているというメッセージだ。とりわけ重要とされたのが「データの品質」だ。KPMGの調査によれば、AIプロジェクトの多くは「そもそも使えるデータが整っていない」という壁に突き当たっている。アレン氏はAIの導入について「It's a place where companies are going to have to be in a constant state of evolution and constant rethinking of their capabilities(企業は常に進化し続け、自らの能力を見直し続けなければならない場所に立たされている)」と述べた。つまり、AI導入に近道はない。組織とシステムの両面において、地道な基盤整備と文化的な意識変革が求められるというのがアレン氏の主張であった。

2. ニック・スキャリ:データ整備の現実

家具小売のニック・スキャリ(Nick Scali)は、「AIの導入ではデータこそがもっとも重要である」と力説した。実際、APACの小売企業の多くは、いまだレガシーシステムや紙ベースの業務プロセスを抱えており、AI導入以前に「使えるデータ」が存在していないケースが少なくない。実際にAPACの小売企業の約85%はデータの近代化・整備が不十分な状態にあるという。スキャリ氏によるとAIの時代においては、データには次の3つの要件が求められる。セキュアであること(Secure)アクセス可能であること(Accessible)オーナーシップが明確であること(Ownership)特に「アクセス可能」という点は、単に多くの部門が使えるという意味ではなく、あらゆるAIシステムがデータを活用できる状態にあることが求められる。つまり、インフラレベルでのデータ統合と開放性が、AI活用の前提条件となっている。

3. コアサイト、ギル・キャピタル:スピードと環境構築の重要性

写真左からコアサイトリサーチ デボラ・ワインスウィッグ氏、TOKEN2049 メイ・チン氏、ギルキャピタル ビクター・シオウ氏

「The AI Revolution:Are Businesses Actually Ready to Embrace It?(AI革命:企業の準備は本当に整っているか?)」のセッションでは、「AIは検討すべき対象ではなく、いかに素早く活用に移せるかが勝負」というスピード重視の姿勢が打ち出された。旧来のシステムや体制をAI対応へ改良するのはリソースの浪費であり、「AIを前提とした新たな環境を構築する」ことが重要であるとされた。そして、もっとも大切なのは「AIを受け入れ、活かす人材と組織文化」であるという点が強調された。コアサイトリサーチ(Coresight Research)のCEOであるデボラ・ワインスウィッグ氏が、「Data and AI are the protagonists. Human mindset is the antagonist(データとAIが主役であり、我々のマインドセットが敵である)」と述べた。これは、AIの進化がもたらす大きな可能性を阻害する最大の要因は技術ではなく、むしろ我々自身の固定観念や抵抗感である、という深い洞察だ。数々のAI関連のセッションを通じて明らかになったのは、AI導入における正解が徐々に見え始めているということだ。各企業が現場での試行錯誤を重ねるなかで、データ整備の重要性、スピード感ある意思決定、そして柔軟な組織文化が成功の鍵として浮かび上がっている。こうしたグローバルな実践知は、日本のリテール企業にとっても貴重な道しるべとなる。完璧な準備を待つのではなく、既に蓄積された他社の知見を活用しながら、スピード感を持ってAIを取り入れることが、ビジネス成長の新たなエンジンとなるはずだ。AIは今、かつてないスピードで進化している。その圧倒的な成長力を、自社のなかに取り込み、企業の成長ドライバーとして活かしていけるかどうかが、これからのリテールの競争力を左右する鍵となるであろう。
加速するリテールメディア
オンライン、オフラインを問わず、リテール企業が自社の持つ顧客接点をメディア化し収益を獲得する「リテールメディア」は、今やリテール企業が自社の競争力を強化させる成長戦略として普及が進んでいる。NRF APAC 2025においても、このテーマに特化した複数のセッションが注目を集めていた。

1. ADMグループ、JR東日本スタートアップ、ザ・コーヒービーン&ティーリーフ:店頭でのリテールメディアの可能性

写真左からJR東日本スタートアップ 衛藤淳一氏、ADMグループ リチャード・マレー氏

「Last Mile Advertising:Using Data and In-Store Media to Drive Retail Growth(ラストマイル広告:データとインストアメディアを活用してリテールの成長を促進)」では、実店舗内におけるリテールメディアの進化と活用可能性が中心テーマとなった。登壇者たちは、現在リテールメディアの90%以上はオンラインで展開されているという現状を認めつつも、ファーストパーティデータの活用基盤の整備と、AIをはじめとしたテクノロジーの進化により、リアル店舗でも顧客単位でのパーソナライズが現実的になってきていると語った。

写真左からザ・コーヒービーン&ティーリーフ メイティニー・スエニコム氏、ムービングウォール ナヴォニル・ロイ氏

たとえば、店頭のデジタルサイネージや音声メディアが購買データと連携することで、その場にいる個人に最適化された広告配信が可能になる。これまでオンライン領域で先行していた「その瞬間の文脈に合わせた広告体験」が、フィジカル空間でも実現されつつあるという点が強調された。これにより、これまで「収益化しづらい」とされてきたリアル店舗も、リテールメディアの有力なプラットフォームとして再評価されている。このセッションは、リテールメディアの主戦場がECから店舗へと拡張していく兆しを示すものとなった。

2. メディアセンス/R3、エンデバーグループ:リテールメディアネットワークの活用

写真左からエンデバーグループ ベンジャミン・トンプソン氏、メディアセンス/R3 ゴー・シューフェン氏、カーニー シッダールス・パタク氏

「Innovating New Revenue Streams:The Retail Media Frontier is here!(革新的な収益源:リテールメディアの新境地を開拓)」のセッションでは、より全体的な構造課題が共有された。「リテールメディアは確かに収益多様化の有力な手段である一方で、Amazonやウォルマート(Walmart)のようなメガプレイヤーに対抗して、個々の企業が独自にリテールメディアネットワークを構築するのは現実的ではない」という共通認識にあった。この課題に対して登壇者たちが提案したのが、複数の小売業者が協調してネットワークを形成する「シンジケート型モデル」である。広告主がまとめて出稿しやすい環境を整えることで、スケールが限られていても広告価値を高めることが可能になるという考え方だ。シュー・フェン氏は、購入完了ページをメディアとして活用するRoktに言及。ユーザー体験を損なうことなく、顧客の注意がもっとも集中している瞬間を収益機会に変えるRoktのアプローチは、専業パートナーとの連携によって、自社内に専門組織を持たずともリテールメディアに参入できる選択肢として紹介された。実際、RoktはNRF APAC 2025において日本市場にフォーカスした専用セッションも実施しており、日本国内の導入事例を通じて、購入完了の瞬間(トランザクションモーメント)が新たな収益機会として機能することを日本から参加したリテール企業に示した。社内リソースに限りのある企業であっても、Roktを活用することでリテールメディアの取り組みを実現する道筋は十分に存在する。

Roktが開催したランチセッション

リテールメディアの普及が加速するなかで、それを自社の成長ドライバーとして活かせる企業と、そうでない企業とのあいだに差が生まれつつある。これまで「効果が見えづらい」「スケーラビリティに欠ける」とされてきた実店舗におけるリテールメディアも、テクノロジーの進化によって収益化の可能性が現実味を帯びてきた。一方で、オンライン領域ではすでにAmazonやウォルマートのような大規模プラットフォーマーがリテールメディアを高度に収益化しており、膨大な広告費がこうした一部のプレイヤーに集中してきた。そのような状況のなかで注目されているのが、Roktのようなリテールメディア専門プレイヤーとの連携によって、自社単独では構築が難しい仕組みをスピーディかつ効率的に立ち上げるアプローチである。広告主の獲得に加えて、AIを活用したデータ分析や精度の高いターゲティングなど、高度な機能を外部パートナーと補完し合うことで、これまで一部の大規模プラットフォーマーに限られていたような広告収益の機会が、より多くのリテール事業者にも開かれつつある。こうした変化は、リテールメディアを新たな収益源として積極的に戦略に取り込むことの現実性と必要性を、改めて明確に示している。
APACからの学びと今後について
NRF APAC 2025は、APAC市場における小売の最新動向と課題、そして今後の成長機会を多角的に整理する場となった。ハイブリッド消費の浸透、Z世代の影響力拡大、AIの業務実装、リテールメディアの台頭など、リテールを取り巻く主要テーマが網羅され、それぞれの領域で具体的な実践と課題解決のアプローチが共有された。特に印象的だったのは、テクノロジー導入や消費者理解において、APAC市場が単なる欧米市場の追随ではなく独自の進化を遂げつつある点である。一方で、IT環境整備やデータ基盤の強化、人材・組織体制の見直しなど、成長を実現するうえでの前提条件が問われていることも明らかになった。また、リテールメディアに代表されるように、各社が本業の周辺に新たな収益機会を見出そうとする動きは今後さらに加速すると考えられる。外部パートナーの活用や、同業間の連携も含め、スピード感をもって実装フェーズに移るかどうかが、競争力の差に直結していく。本レポートで紹介した内容はいずれも、日本企業にとって実務的な示唆を多く含んでいる。業界内での共通課題を共有しつつ、具体的な対応方針を検討する材料として活用いただきたい。なお、本家の「NRF Retail’s Big Show」は2026年1月に開催予定であり、グローバルのトレンドや先進企業の最新の取り組みに触れる貴重な機会となる。今回得られた視点を踏まえたうえで、より広い文脈での学びに繋げていくことが期待される。

Rokt 松田誠氏

松田 誠(まつだ・まこと)Rokt合同会社 日本マイクロソフトでOffice 365を始めとした各種ソフトウェア・サービスのビジネスをリード。ケルヒャーでコンシューマービジネスの責任者を担当した後、2019年にRokt合同会社に入社。ビジネスデベロップメントとして日本市場におけるRoktビジネスの立ち上げと拡大に従事している。
写真:Rokt提供