愛着障害を抱えた人は、親密な対人関係において困難が強まりやすい(写真:Pangaea/PIXTA)

長年、発達障害や愛着障害を研究し続け、豊富な臨床経験を持つ精神科医・岡田尊司さんの最新刊『愛着障害と複雑性PTSD』より、現代人の生きづらさの原因を紐解きます。

生きづらさの正体

「愛着障害」という言葉が、一般にも広く知られるようになったのは、ここ10年ほどのことである。40年ほど前に、この言葉が最初に公式に用いられたとき、その意味するところは、深刻な虐待やネグレクトを受け、心身の発達や社会性に困難をきたした、極めて悲惨な子どもたちの状態を指し、その頻度は、非常に稀なものとされていた。

ところが、その後の研究で、そうしたケース以外にも、母親との不安定な愛着を示す子どもは、人口の3割程度かそれ以上にも及び、そうした傾向は、大人になっても解消されず、多くの人が引きずっていることがわかってきた。

こうした「不安定型愛着スタイル」のケースも含めて、「愛着障害」として理解されるようになってきた。愛着障害を抱えた人は、一見「発達障害」に似た特徴を示すことも多く、対人関係、とくに親密な対人関係において困難が強まりやすい。

また、自己肯定感の低下や心身の不調をともないやすいこともわかってきた。こうした人たちは、「発達障害」と診断されることも少なくないが、なにかしっくりといかないものを感じ、発達障害としての治療もあまり奏功せず、もやもやした状況が続くことも多い。

愛着障害は、本来「安全基地」として無条件の愛情と世話で子どもを守ってくれる養育者(通常は母親)が、「安全基地」としての役割をうまくはたせないことによって生じる。愛着が形成される期間は限られており、概ね1歳半までが、もっとも重要な時期とされる。

それ以降でも、愛着の形成は可能だが、それまでの時期に安定した愛着が形成されなかった子には、深刻な影響が残りやすい。基本的な安心感の乏しさや他者に対する信頼感が弱いといったことは、その代表的な特徴である。

周囲の反応におびえ、傷つきやすい傾向を抱えるか、周囲にはなにも期待せず、無関心な態度を身につけるか、どちらかになることで、状況に適応しようとする。

どちらにしても、ストレスを受けやすく、健康面のリスクも高まりやすい。実際、不安定な愛着は心身の健康状態だけでなく、平均余命にも影響するのである。

安心感のよりどころとなる存在

愛着形成の核は1歳半までが臨界期とされるが、その時点で安定した愛着が形成されていた場合でも、その後の要因によって、不安定な愛着に変わってしまうことがある。

虐待やネグレクト、心理的な支配とともに、親の精神疾患や離婚、家庭内葛藤なども、子どもの愛着を不安定なものに変えてしまう。それ以外にも、きょうだいからの虐待や学校でのイジメなども深刻な影響を及ぼしうる。

物心がついて以降に起きた出来事は、子どもの心に完全には同化されないまま、トラウマとなって残ることになる。未解決型愛着と呼ばれるタイプは、ある程度、年齢が上がってから起きた出来事(たとえば、親の離婚やイジメ)によって、安全基地が奪われることで愛着のしくみ(「愛着システム」とも呼ばれる)がダメージを受け、回復しないままになった状態だと考えられる。

それに対して、もっと幼いころに起きた養育環境の問題は、子どものなかに同化されてしまい、愛着スタイルとして自分自身の一部として一体化してしまうため、通常はトラウマとして意識されることはない。

成人してからは、恋人やパートナーとの関係が、本人にとって安全基地となるかどうかが、愛着の安定性に影響する。それ以外にも、職場において居場所を失うことや、上司との折り合いの悪さといったことも影響することがある。

哺乳類として受け継いできた生物学的なしくみ

愛着が安定したものとして機能するためには、「安全基地」と呼ばれる安心感のよりどころとなる存在との関係が重要とされる。その人の所属する集団に、一人でもそうした存在がいれば、愛着システムが、大きなダメージを負うことは免れやすい。

逆に、家庭にも学校や職場にも安全基地となる存在がいない状況に置かれることは、愛着システムの機能不全を引き起こし、心身に支障を生じやすくなる。

愛着というしくみは、本人の安心を守るだけでなく、生命を守る根幹となるしくみと考えられ、それがうまく機能しなくなるとき、人は窮地に陥る。

愛着は、単なる心理学的なしくみではない。それは、生理学的な現象に基づいた生物学的なしくみであり、哺乳類に共通するものである。

哺乳類として受け継いできたこのしくみが危機的状況に陥り、機能不全を起こしているのが、「愛着障害」という状態なのである。それが広まっているということの意味を考えたとき、それは地球環境の破壊と同レベルか、それ以上の深刻な事態が進行していることに気づかされることになる。

トラウマで苦しむ人の増加

愛着障害とともに、今日多くの人が苦しむ、身近な問題となりつつあるのが、トラウマの問題である。トラウマという言葉は、一般にも広く認知されるようになり、心が傷を受けたあと、その状況がなくなっているにもかかわらず、長期間にわたってさまざまな後遺症に苦しむ「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」という状態も知られるようになった。

トラウマという言葉は、もともと「ケガ」という意味であるが、心のケガである「心的外傷」と訳されることが多い。医学的にトラウマという語が用いられたのは、大地震や戦争、生死にかかわる事故、犯罪被害といった突発的で、生命が危険にさらされるような出来事に遭遇する場合であった。


ところが、近年になって、1回のダメージは生命にかかわるほどではなくても、長期間にわたって、逃れられない状況でダメージを受けつづけると、通常のPTSDに勝るとも劣らない深刻かつ持続的な影響が生じることがわかってきて、「複雑性PTSD」と呼ばれるようになった。

その中核をなす原因が、親からの虐待である。それ以外にも、パートナーからのDVやハラスメント、学校や職場でのイジメなどが挙げられる。いずれもほかに助けを求めにくい、逃げられない状況において起きやすい。

なかでも、とりわけ深刻な事態となりやすいのは、親からの虐待である。身体的、性的虐待だけでなく、心理的虐待や支配も原因となりうる。

本来、だれよりもその子を愛し、守ってくれるはずの存在から傷つけられつづけることは、その人しか頼ることのできない幼い子どもにとっては、逃れようのない事態であり、もっとも信頼すべきものが信頼できない危険な存在であるという、絶望的な状況に子どもを陥れる。

「近代化」という名の社会の崩壊と人々の孤立化にともなって、豊かになったはずの社会で、そうした状況が起きやすくなっている。

(岡田 尊司 : 精神科医、作家)