アップルが各国での販売を開始したVision Pro。メタのQuestシリーズとともに、その足元を冷静に見つめ、アップルとメタの意図を探ってみたい(写真:アップル)

拡張現実(AR)、仮想現実(VR)、複合現実(MR)といった技術を包括する用語としてXR(Extended RealityあるいはCross Reality)という言葉がある。メタのMeta Quest 3、アップルのApple Vision Proに代表されるMRを実現するヘッドマウントディスプレー(HMD)が登場したことで、このジャンルは“再注目”されている。

起源は35年前に遡る

しかし、長くテクノロジー業界を俯瞰してきた関係者からすると、“既視感”があるのも事実だ。XR関連技術の多くはVRから派生したものだが、実はその起源は古く35年前に遡る。

そうした中で、XR向けHMDデバイスが産業用以外で成功し、ビジネスブランドとして確立した例はない。コンシューマー向け製品としても、機能や適用範囲は拡大の一途をたどっており、市場規模も拡大はしているが、市場への定着に疑問もある。

こうした状況下、アップルが半年近いアメリカでの販売期間を経て、日本をはじめとする各国での販売を開始したVision Pro。メタのQuestシリーズとともに、その足元を冷静に見つめるとともに、アップルとメタの意図を探ってみたい。

VRシステムの歴史は実は古い。

1989年に伝説的なエンジニアのジャロン・ラニアーが率いるVPL ReserchがVRヘッドセットの基本形を開発したのが最初だ。偶然の一致ではあるが、このヘッドセットは“Eyephone(アイフォン)”という名前だった。

手の形状を計測するData Gloveと呼ばれる装置と組み合わせ、“R2D”という通信システムとしてパシフィックベル(かつてあった米通信会社)の展示ブースで発表し、のちに各国の大手メーカーにその基本システムが販売された。日本でも松下電器が調達してアプリケーションを開発し、システムキッチンの販売シミュレーション向けに1980年に運用を始めたとの記録がある。

このシステムと現代のMR HMDの違いは、実は驚くほど似ている。下記は筆者が模式図にしたものだが、表示品質やコンピューターのサイズ、性能などは異なるが、基本的な構成は同じ。

MRシステムでは外部の映像や空間把握能力を得るためのセンサーが配置されるが、視覚を奪った上でコンピューター映像を眼球に投影し、手などのジェスチャーを通じてコンピューターとインタラクションするという点は共通している。


ヘッドマウントディスプレーの基本的な構造は、45年間変わっていない(著者作成)

MRシステムはコストが大きすぎて実装できなかったカメラを用いた現実空間を模写する技術を、Vision ProやQuest 3といった単独デバイスでも実現したことで、ひとつのハードルは越えた。前者は映像品位の面で大きな驚きを与え、後者は前者の1/7の価格でMRを実現している点で注目に値する。

体験の質で圧倒するVision Proに注目が集まりがちだが、実現している技術と価格のバランスという面に優れたQuest 3は、その陰に隠れて過小評価されているように思う。

存在感が大きいARグラス

今年の製品化動向を見ると積極的に新製品を展開するXREALをはじめとするARグラスの存在感も大きいように思える。

ARグラスはコンピューターグラフィクスの映像とともに、光学的に周囲が見えるよう透過的に設計された製品だ。必要な半導体や表示用OLED、グラスの光学設計技術などが確立され、比較的容易に開発できるようになっているため、多くの製品が生まれている。

メガネのように軽快に利用でき、透過する実像を遮蔽するシールドをつけると映像を純粋に試すこともできるが、多くはスマートフォン用ディスプレーとして設計されており、新しいコンピューターデバイスというよりもスマホ向けモバイルディスプレーという位置付けだ。

もちろん、そうしたニーズもあるが、DSCC(ディスプレーデバイス専門の調査会社)が発表しているVR(MR含む)向け、AR向けディスプレーデバイスの出荷動向・予測を見る限り、ARグラス市場は全体の2割以下でしかない。


AR/VRデバイス市場の成長予想(出典:AR/VR Display Technologies and Market Report)

なお、VR/MR向けディスプレーの出荷は2025年以降にペースが急増する予測(2023年末)で、この予測そのものに大きな違いはないが、DSCCは最近、増加ペースに関して予測値を少し下方修正している点に留意したい。

“XRデバイス”といった場合、VR/MR用HMDもあればARグラスもある。また幅広く捉えれば、2面あるいは3面に立体配置したLEDサイネージに擬似的な3D映像を流す広告表示などもXRデバイスと言えるが、現時点でのARデバイスは用途がやや限定的だ。

一方で技術的なハードルを越えてくれば、AR/MRデバイスは増加してくる。

おそらくアップルはこうした将来を見越して、開発者やクリエイターに対してMRデバイスを磨き込んだ先にある“空間コンピューター”の世界をVision Proで見せたかったのではないだろうか。

筆者が個人的に購入した北米版のApple Vision Proは、最初のバージョンから1.2までアップデートが進んだが、基本的な機能やiOS/iPad OSなどとの整合性など、不足する要素が極めて多いものだった。ユーザーインターフェースも、簡単ではあるもののアプリ開発上は制約が多く、操作も不確実性を感じる部分があった。

先日の開発者向け会議「WWDC24」で発表したvisionOS 2では、内部の機能、ユーザーインターフェースともに大きな進化が認められるが、Apple IntelligenceをはじめとするAI機能の実装は遅れている。

おそらくVision Proが”完全体”となるのは、2025年秋以降に登場するだろうvisionOS 3になりそうだ。

メタがあきらめずに市場の活性化に挑んだ

そんな俯瞰動向ではあるが、それでもVision Proに関する話題やアップルのこのジャンルへの投資を馬鹿馬鹿しいと揶揄する声は大きい。しかし、懐疑的な意見が多いのも、過去を振り返ってみれば当然のことだ。

マイクロソフトは空間コンピューターを標榜した最初の製品「HoloLens」シリーズの開発を放棄。エンジニアの一部はメタに移籍している。

2016年から始まるPCVR(ゲーミングPCなどを用いたハイエンドHMDで HTC Viveシリーズなどが知られる)は、一部のゲームソフトが品質の高い体験を提供したが、システムが大規模で高価。一部のゲーマー、あるいはビジネス用途に留まっている。

メタはPCVRへの投資をやめて、コンピュータシステムを内蔵するOculus Goを開発し、それを洗練させ低価格化したQuest 2を2018年末に投入し、販売、対応ソフトの両面で継続的にマーケティングと開発支援の資金を投入した。


VRデバイスの出荷予想(出典:AR/VR Display Technologies and Market Report)

DSCCのデバイス出荷動向(予測を含む)グラフを見ると、2018年からQuest 2向けデバイスが大量に調達されていることがわかる(グラフ中の灰色の部分)。一説にはこの時期にメタが投入した資金は、日本円で1兆円とも言われているが、その後、出荷が沈静化していることも読み取れるだろう。

メタは諦めずにこの市場をさらに活性化させようとQuest 3を開発し、さらにQuest 2で得られたユーザー像や課題を分析した上で、継続的な投資をしていく。グラフの黄土色の部分がQuest 3で使われているLCDパネルだ(ただし他社も採用していく見込みのため、全数がメタという予測ではない)。

これに対して青色の部分はOLEDパネルでVision Proのほか、クアルコム・サムスン電子・グーグル連合が作るプラットフォームでも、同様の技術が使われていく。

どのようにして、過去に立ち上げられなかったHMD市場でブレークスルーを作るかだが、Vision Proがアップルによって垂直統合されたプラットフォームとして強力にドライブされている一方、メタとクアルコム・サムスン電子・グーグル連合は水平分業による市場拡大を狙っている。

メタはQuest 3向けに開発しているOSを、その上で動作するアプリストアも含めて「Meta Horizon OS」として他社ハードウェアに開放する意向を示している。市場のど真ん中を狙うため、比較的カジュアルなゲームを中心に万能型の設計が行われている自社製品以外に、企業向けやハイエンドゲーマー向けなど幅広いユーザー層に向けた製品が登場することを期待しての措置だ。

すでにレノボ、ASUSといった企業が賛同しており、マイクロソフトもXboxブランドをライセンスし、Horizon OSが動作する製品を投入する見込みだ。これにより一層の対応ソフト増加が見込めるだろう。

一方、クアルコム・サムスン電子・グーグル連合も、2024年内に“空間コンピューター”を発表すると1月にラスベガスでアナウンスした。こちらはまだ詳細が見えないが、Vision Proに近いコンセプトのHMDを、オープンプラットフォームで実現するものだと考えられる。

iPhoneに対するAndroidスマートフォンと例えるとわかりやすいだろうか。

なぜ“空間コンピューター”に期待するのか

“Apple Vision Proは売れるのか? 買うべきなのか?”といった問いを、この半年ぐらい繰り返し尋ねられている。答える前に“何をもって売れた”というべきなのかを定義しなければ、意味のある議論にはならない。

たとえば“iPadほどではないがMacBook Proぐらいは売れる”といったところで、誰もが嘲笑のネタとするに違いない。メタがQuestシリーズで狙っているゲームやSNSを中心としたカジュアルなエンターテインメント端末とは異なり、Vision Proなどの空間コンピュータが狙う“新しいユーザーインターフェースへと刷新した次世代のパーソナルコンピューター”を描いていくには時間がかかると思っている。

アップルであれ、グーグルであれ、単独で新しいコンピュータの世界を描きり、その上で動くアプリケーションのアイディアを網羅的に提供することは不可能だ。方法はただ1つ。世界中のエンジニアやクリエイターを触発し、彼らに“新しい何かを作ってみたい”と思わせる基盤を作ることだ。

そのタイミングとして“現在”が適切かどうかは議論の分かれるところだろうが、様々なデジタルメディアが空間データ化しているトレンドの中では期待が持てると考えている。

オーディオの空間表現技術が進歩し、空間オーディオ、オーディオレイトレーシングなどの技術要素は、一般的に使いやすいものになっている。3Dモデリングもカジュアル化し、誰もが使えるツールとしてBlenderが普及。モデリングスキル習得のハードルが大幅に下がっている。さらにフォトグラメトリ、点群3Dスキャンといった技術の進歩で、シーンのモデリングも容易になり、映像制作におけるバーチャル制作の普及といったトレンドも考慮すると、ハードウェアを取り巻くソフトウェア環境も着実に整ってきている。

空間コンピューターに進歩をもたらす生成AI技術

生成AI技術も、空間コンピューターに対しては大きな役割を果たすと見ている。音声入力など自然言語インターフェースの劇的な質の向上は、ユーザーインターフェース技術の革命的な進歩をもたらすきっかけになるはずだ。利用者の日常的な使い方や、個人的に管理している情報を学習して高精度な提案を行う技術も、アップルがApple Intelligenceとして提供を始めようとしている。

各種データの空間化においても、不足するデータをAIで容易に保管することができる。将来は生成AIを用い、リアルタイムで空間描写の補完や超解像による自然な描写といったプロセスがデバイスにも入っていくだろう。


AIとのコンビネーションで真価を発揮する新しい可能性が空間コンピューテクングだ(著者作成)

新しいデバイスと考えられてきたスマートフォンでさえ、既に15年を超える歴史がある。その中でマルチタッチユーザインターフェースは揉まれてきた。ではスマートフォンですべてをカバーできているかといえば、決してそうはなっていない。

空間コンピューターもスマートフォンの基礎になっているマルチタッチユーザーインターフェースと同様に、新しい人間とコンピューターの関係を作るジャンルとして従来のコンピューティングの流れにプラスする形で定着していくのではないかと予想している。

(本田 雅一 : ITジャーナリスト)