幼児期に受けたトラウマが原因で発達障害と似た症状を示す例がある

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 近ごろ、まるで一般用語であるかのように使われる「ADHD」という言葉。不注意や多動性、衝動性が特性の「発達障害」の症状の一種だ。文部科学省の資料によれば、子どもの「発達障害」の診断数は2016年から2021年までに約16倍にも増加しているという。同様に増え続けているのが「大人の発達障害」である。

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『トラウマからの回復』(扶桑社)の著者で、田町三田こころみクリニックでトラウマの専門外来を行っている精神科医の生野信弘氏は、その背景に「幼児期に受けた“トラウマ”が原因となり、発達障害と似た症状を示している人が一定数いるのでは」と指摘する。

「幼児期に家庭内暴力や面前DV、身体的な虐待やネグレクト(育児放棄)にともなう養育者の頻回の交替といった慢性的なトラウマ体験にさらされて愛着の形成に失敗すると、児童の一部は落ち着きがなかったり、衝動的だったり反抗的な言動をするなど、ADHDと似た症状が起きてくる場合があります」(生野氏)

 幼少期のトラウマや養育者との近接(アタッチメント)の不全が、「発達障害」と似た症状を引き起こすメカニズムとは。そして、メンタルクリニックでの治療の現場では、具体的にどのような方法で傷ついた心の修復を図っていくのか。

幼児期に受けたトラウマが原因で発達障害と似た症状を示す例がある

※以下、『トラウマからの回復』(扶桑社)より、その一例を抜粋/編集してお伝えする。

感情調節の障害

「感情調節の障害」は文字通り、感情調節にまつわる機能がうまく働いていないこと。些細なストレスで気持ちが傷ついて怒りを爆発させてしまったり、無謀な行動や自己破壊的な行動など、感情反応の高まりとして表現されます。

 抑うつ症群の子どもや、青年では抑うつ状態が「イライラした気分」や「怒りっぽさ」として表れることもあるので、慎重な診断が求められます。あるいは反対に、喜びやポジティブな感情を実感することができないなど、感情の麻痺も感情調節の障害に含まれます。

 本来、こうした感情調節のスキルは乳児期から児童期にかけて養育者との関係の中で培われていきます。

 幼いころ、恐怖、怒り、悲しみ、喜びをもたらす体験をした際に、養育者が「怖かったね」「楽しいね」といった具合に声がけなどして、感情に名前をつけてくれます。そうすることで、子どもは自分の感情を正しく認識し、自覚できるようになるのです。

 一方で、養育者による心理的なネグレクトや、子どもが気持ちを表に出すと暴力をふるうなどの行為があると、子どもは自分の感情に正しくラベルをつけることができなくなります。

 そして、その子は自分の感情に気がつくことができなくなったり、その感情を抱えておくことができなくなってしまいます。感情を抱えておくことができないと、成長後も自分の感情を調節するために暴力的なまでの情動の爆発や、自己破壊的な行動をもたらすこともあります。

 危険をかえりみない衝動的で無謀な行為や、アルコールなどの物質依存、過食や過食嘔吐、リストカットなどの自傷行為、大量服薬、買い物依存、浪費など、一般的に問題行動やアディクションと呼ばれるさまざまな行動で感情を調節しようとする患者さんもいます。

 また、こうした情動制御の困難さは双極性障害とみなされてしまうことが多いのも特徴です。さらに、このような衝動性はADHD(注意欠如多動症)の人にも認められるため、発達障害と診断されたり、患者さんご自身が発達障害だと思い込んでいるケースも後をたちません。

 発達障害と診断された、あるいは患者さんご自身がそう思っていたとしても、生育歴を振り返ってみるとトラウマ体験によって表面化した症状だった、という場合もあるのです。

対人関係の障害

「対人関係の障害」が生じると、人間関係を維持することや他者を身近に感じることに困難さを覚えます。

 対人関係が難しいと聞くと「他者と衝突しやすい人」を思い浮かべるかもしれませんが、自己組織化障害の対人関係の障害では人間関係や社会との関わりを避けようとしたり、関心を示さないケースもみられます。

 過去には「人と距離があるように感じる」「仲間はずれにされているように感じる」「人と感情的に近い距離を保つのが難しいと感じる」と訴えるかたもいました。

 他者に対して交流を求めながらも関係を作れなかったり維持できなかったりして、結果的に他人と距離を取ってしまう。他者に対して無関心にも見えるこの状態は、ASD(自閉スペクトラム症)のかたにも当てはまり、これも発達障害とみなされるケースにつながります。

ひとまとまりの自分

 人間には他の個体への近接(アタッチ)を通じて、安心感を回復・維持しようとする根源的な欲求があります。

 アタッチメントは、不安や怖れなどの感情の乱れを自己と愛着対象(多くの場合は養育者)との間の関係性によって調節する仕組みともいえるのです。

 トラウマ関連疾患は、乳幼児期にアタッチメントの形成が阻害された結果、神経系の発達が妨げられることで起こります。すなわち、トラウマ関連疾患を抱える多くの方は適応的ではないアタッチメント・スタイルが続いているのです。

 トラウマ治療によって人格が統合されても、そのひとまとまりの人格はまだアタッチメントを知らない状態といえます。

 さて、乳幼児期に得られなかったアタッチメントですが、成人後も治療の過程で、自力で得ていくことができます。それが「自分が自分の親になる」ということ。その手法の1つが「メンタライジング・アプローチ」です。

自分が自分の親になる

 実は、慢性的にトラウマ体験を受けてきた人の多くは、成人後も親、あるいは他者に対する「依存欲求」がまだ残っています。

 成人後に養育者との関係を断ち切り、折り合いをつけていると表面上は思っていても、心の底では依存欲求がくすぶっているというパターンもあります。ただ、この場合の依存欲求というのは「今の自分が高齢となった親の愛情を求めている」のではなく、「過去の自分が親の愛情を求めていた」と自覚する必要があります。

 幼少期に親から「よしよし」してもらいたかった、感情を受け止めてもらいたかった、でもそれはもう叶わないことなのだ……。その事実を受け入れ、依存欲求を断ち切り、自分で自分のアイデンティティを作っていくのです。

 そうしたプロセスのなかで、辛かった過去の自分に会いに行き「自分が自分の親になる」ことが求められます。クリニックの治療では、具体的なトラウマ体験の出来事を聞き出すことはありません。一方で、子ども時代はどんな気持ちで過ごしていたのか、本当は何を求めていたのか、何に傷ついていたのか、といった傷つきへの自覚を促します。

 そして、自分がその子の親だったら何をしてあげるのか、どんな言葉をかけてあげるのかを考え、今の自分が過去の自分を助けてあげるのです。

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 本記事は『トラウマからの回復』(扶桑社)より、一部を抜粋/編集してお伝えした。本書では、実際にクリニックに訪れた社会人女性「ハナさん」と医師とのカウンセリング風景などを通し、「複雑性PTSD」、「発達性トラウマ障害」の症状や診断基準を詳しく解説している。

生野信弘
1988年長崎大学医学部卒業、1995年同大学院修了。医学博士。同大学卒業後、長崎大学第二内科、佐世保市立総合病院で内科医長を務め、1998年にオーストラリア・モナッシュ大学の生化学・分子生物学科に2年間留学。帰国後、離島医療やホスピス緩和ケアに従事。2001年に精神科に転向し対人関係療法などを学び、現在は田町三田こころみクリニックで、過食症の対人関係療法とともに「発達性トラウマ障害」や「複雑性PTSD」などトラウマ関連疾患の専門外来を担当している。精神科専門医・指導医。

デイリー新潮編集部