「太陽のマテ茶」は今も韓国で売られているが…初年度1000万ケース超えの大ヒット商品が日本から消えた理由
※本稿は、和佐高志『メガヒットが連発する 殻を破る思考法』(ダイヤモンド社)の一部を再編集したものです。

■マテ茶を意味あるものに作り上げる「MMMプロジェクト」
「太陽のマテ茶」のコンセプトを、どんなブランドにしてマーケティングするか。ビッグプロジェクトだったため、日本の大手広告代理店、外資系の広告代理店、数社にコンペでの提案をお願いしました。
通常は、お願いするときは1社ずつブリーフィングを行うのですが、このときは全社同時に来てもらいました。お茶のトップの私、それから健康茶のブランドマネジャー、さらに担当ブランドマネジャーの3人に加え、社内のクリエイティブ戦略チームも加わりました。
お茶の可能性、「太陽のマテ茶」のミッション、ビジネス機会、ポジショニング、東日本大震災の話、南米のサッカーの話など、さまざまな話を盛り込みました。
通常、ブリーフィングは2、3ページのドキュメントにコンセプトシートを付けることが一般的ですが、商品化まで3年もかかったこともあって、社内のクリエイティブ戦略チームもかなり気合いが入っていて、イメージ写真なども使った分厚いブリーフィングシートを作りました。
これからマテ茶というものを、何か意味あるものに作り上げていくという「MMM(Make MATE Matter)プロジェクト」と命名しました。製品ローンチは2012年3月です。
■初年度で約3億本を売り上げた
そして1社から素晴らしいアイデアが上がってきました。テーマは“ラテンバイオリズム”。食べる、遊ぶ、マテ茶。食べる、遊ぶ、マテ茶。そんなバイオリズムを作っていく、というのはどうか、と。面白いと思いました。
「太陽のマテ茶」導入当時は、「ラテンバイオリズム編」「合コン編」「失恋編」の3本のテレビCMを展開することにしました。
製品導入のPRイベントのときには、「踊るサンバ」をキーワードに郷ひろみさんに登場いただいたり、ブラジル人やいろいろなセレブリティに来てもらったりもしました。
2012年、飲料業界では2つのメガヒット商品が生まれました。一つはサントリーの「オランジーナ」。そして、もう一つが日本コカ・コーラの「太陽のマテ茶」でした。
初年度、「太陽のマテ茶」は約1200万ケースを売ったのです。1ケース24本入りとして、約3億本。初年度で1000万ケースを売るというのは、とんでもないことでした。しかし、それを達成したのです。まさにいろいろな要素が加わって、大きなトレンドを生み出すことができたのでした。
■「マテ茶を知っている」を日本国民の50%にするPR活動
あまり知られていないのですが、マテ茶の成功の大きな要因になった取り組みがありました。マテ茶を世に送り出すことが決まったとき、マテ茶についてのリサーチをしたことがあったのです。
シンプルに「マテ茶を知っていますか」というものでしたが、「聞いたことがある」という人が10%くらいでした。2012年3月に「太陽のマテ茶」をローンチするにあたり、このときまでに「マテ茶を聞いたことがある」という数字を、日本国民の50%にしよう、という目標を立てたのです。
そこでブラジル大使館、さらには日本マテ茶協会と組み、マテ茶を世の中に知ってもらう取り組みを進めました。というのも、当初使おうとしていた“飲むサラダ”“飲む野菜”という表現は、法的にできないことがわかったからです。でも、健康なお茶であることはなんとか伝えたい。
大使館や協会から「こんな面白い素材があるので、記事にしませんか」というプレスリリースを送ってもらったりしました。そうすると、実際に女性誌の取材が来たりするのです。さらに「マドンナが自分の美のためにマテ茶農園を持っている」という事実を発信したりしました。

■マテ茶の認知率は45%くらいまで上がった
今も覚えているのが、当時の人気番組「なるほど!ザ・ワールド」が賛同してくれて、アルゼンチンロケで「現地でみんなが飲んでいるお茶」としてマテ茶を紹介してくれたことです。しかも、クイズの答えとして。
最終的に「太陽のマテ茶」導入直前の3月半ばには、マテ茶の認知率は45%くらいまで上がっていました。これもまた、「太陽のマテ茶」大成功の要因の一つだったと思っています。こういうことも、マーケティングの大切な一部の要素なのです。
1000万ケースを超えるほどの爆発的な成功になったことには、もう一つ、理由があります。品切れを起こさない生産在庫管理計画を綿密に立てたからです。「どれくらい売れそうか」という事前のリサーチを通じて、販売するケース数が出てきます。「太陽のマテ茶」では、年間で700〜800万ケースという数字が出てきました。
しかし、もしこの数字をそのまま採用して製品を製造していたら、早々に品切れを起こしていたはずです。そうなれば、あれほどの数字は出せなかった。
■「絶対にもっと売れるはずだ」品切れを起こさないプラン
私は、「絶対にもっと売れるはずだ」と思っていたので、リサーチ結果にそのまま従うのではなく、1200万ケースの売り上げにも耐えられる、最初の3カ月のプランを組んだのです。
売り上げと受注数量を毎日トラッキングして、微調整をしていきました。というのも、製品の製造には、さまざまなモノが必要になるからです。製造のためのリードタイムの長いものは、早めに発注しなければなりません。ペットボトルのラベルのフィルムもそうでした。
さらには、キャップ。これはかなり早めに確保しておかないと間に合わないことがわかっていました。キャップがないために製品が作れない、なんてことにもなるのです。
ただし、多すぎる発注をしてしまったら、これはこれで問題になります。1年目に発注したものは、2年目に使えばいい、という考え方もありますが、キャップを保管する倉庫代もかかってきます。その費用も考え、リスクを判断しなければならないのです。
マテ茶の茶葉は船で輸入していましたが、足りないという緊急事態になったら飛行機を飛ばすつもりでした。実際、マテ茶を積んだジェット機を10機ほど飛ばすことになりました。

■卒論で書いた「アサヒスーパードライ」の戦略が生きた
「太陽のマテ茶」の成功は、いろいろな要素がかみ合ってこそ、でした。何よりチームのパッションの強さ。3年間、練りに練ったコンセプトが良かったこと。味も本当においしかった。マーケティングも良かったし、マテ茶のPRの仕掛けも良かった。
さらに品切れを起こさなかったこと。これは、大学の卒業論文で書いた「アサヒスーパードライ」の戦略を学んだことも大きかった。当時のトップ、樋口廣太郎さんは、「スーパードライ」はもっと行ける、だから社運を賭けてラインを増やす、と考えたのです。
実際、他の製品はすべて輸入してでも「スーパードライ」にラインを回す、ということまでしていた。だから、「スーパードライ」は爆発的にヒットし、シェアトップに躍り出ることになったのです。「スーパードライ」の成功は、商品力の強さだけではなかったのです。
「太陽のマテ茶」も、ビッグプロジェクトでした。在庫を切らすわけにはいきませんでした。そこで、供給量をしっかり確保することにこだわったのです。
■「トクホ」登場で「太陽のマテ茶」は失速した
初年度1000万ケース超えという大ヒットを記録した「太陽のマテ茶」でしたが、2年目は700万ケース、3年目は500万ケースと数字を落とし、やがて日本コカ・コーラの製品ラインナップからは姿を消すことになります。
これには明確な背景がありました。日本のマーケットに「トクホ」(特定保健用食品)が登場したのです。カラダを締める、南米古来の健康茶、といったメッセージを発した「太陽のマテ茶」でしたが、その市場に「トクホ」の製品が次々に出てきました。
トクホは開発するのに大変なお金がかかります。1億円以上かかるケースもある。それは、人を使って治験をしなければならないからです。飲んだ人、飲んでいない人で臨床試験を行い、実際に差があるという証拠を提出しなければいけないのです。
トクホの取得には、時間もかかります。申請してから取得まで、当時は2年ほどかかりました。そこまでの開発を行い、費用も時間もかけ、「脂肪の吸収を抑える」等をメッセージしたのが、トクホでした。
同じメッセージを掲げていた「太陽のマテ茶」の失速は、ある程度仕方のないことだったと思っています。

■飲料の世界で当たるのは「1000に3つ」
新製品の開発という点で、P&Gとコカ・コーラの違いも理解しました。P&Gは、製品づくりにテクノロジーがかなり関わってきます。物理的な構造を、機械を使って高速で作れるかも問われてきます。研究開発のテクニカル面が問われたのです。
もちろんコカ・コーラでもテクノロジーは求められます、ただ、扱っているものが飲み物なので、アイデアさえあれば、比較的作りやすい、ともいえます。
だから、飲料の世界では「千三つ」という言葉があるのです。当たるのは1000に3つ、の意です。新しい製品を開発し、世の中に送り出しやすいけれど、残すことが難しい。世の中はどんどん変化していくのです。「太陽のマテ茶」の場合も、製品が悪いというより、トクホという、どうにもあらがえないカテゴリーが出てきてしまったことが主要因です。
■韓国では今でも「太陽のマテ茶」が売られている
実際、今も「太陽のマテ茶」が人気の国があります。韓国です。日本とまったく同じパッケージで名前がハングル文字になっているものが、今も売られています。
コカ・コーラ社はオリンピックの公式スポンサーですが、2018年に韓国の平昌(ピョンヤン)で行われた冬季オリンピックの選手村に行ったとき、選手村にコカ・コーラ社の製品が並んでいました。そこにはハングルのラベルの「太陽のマテ茶」がずらりと並んでいたのです。

南米の人たちはそれを見て「マテ茶だ」と、にっこりしていました。会場に南米の人たちが来ると、急速な勢いで在庫が減っていきました。日本では定着し切れなかった「太陽のマテ茶」ですが、今でも売れていたのです。
私は今でも韓国に行ったら、「太陽のマテ茶」を買って帰ってきます。また、コーヒーや輸入食品を扱っているカルディコーヒーファームにはマテ茶の茶葉が売られているので、ローストマテ茶を買って飲んでいます。夏場は、麦茶の代わりにとてもいい。
こうして今もマテ茶好きが続いているのは、1990年にマテ茶に出会っていたからです。過去の経験というのは、きわめて大事なのです。
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和佐 高志(わざ・たかし)
Jukebox Dreams代表取締役CEO
1990年、同志社大学文学部新聞学科卒業後、P&Gジャパン・マーケティング本部入社。医薬品、紙製品のマーケティングに始まり、化粧品&スキンケア、洗濯関連カテゴリー等を担当。ブランドと人材育成の実績を重ね、ブランドマネジャーからマーケティングディレクターへ。2006年、紙製品、化粧品&スキンケア事業部担当のジェネラルマネジャーとして、P&Lの責任を持つ。2009年より、日本コカ・コーラのお茶カテゴリーマーケティング責任者。「太陽のマテ茶」や「からだすこやか茶W」などの新製品発売および「綾鷹」ブランドの立て直しなどによるお茶カテゴリーV字回復を実現。2013年、同社副社長に就任し、「ジョージア ヨーロピアン」「世界は誰かの仕事でできている。」キャンペーンなど複数の大型ブランドのビジネス拡大推進をリード。2019年にコカ・コーラ社世界初となるアルコールブランド「檸檬堂」の開発責任者として成功を収め、最高マーケティング責任者に就任。2020年、日経クロストレンドが選出する、マーケター・オブ・ザ・イヤー大賞受賞。2023年、同社を退社。Jukebox Dreams(ジュークボックスドリームズ)を設立、同社代表取締役CEO就任。
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(Jukebox Dreams代表取締役CEO 和佐 高志)
