「太陽」「月」「夜」は、名曲を生み出す鉄板モチーフ(写真:左が光GENJI『太陽がいっぱい』〈スノーレコードサイトより〉、右がYOASOBI『夜に駆ける』〈公式サイトより〉)

2023年1月11日、2人組音楽ユニット・YOASOBIの『夜に駆ける』が、Billboard JAPANチャートにおけるストリーミング累計再生回数で、史上初の9億回を突破した。タイトル通り、コトバと音符が追いかけっこしているような、疾走感溢れる曲だ。

切迫した絶望が明るいメロディーに乗る。夜に”死”の意味が漂うのに、同時に不思議な開放感もあり――。

さらに2022年から今年にかけ、街中で繰り返し流れていたのが、King & Princeの『ツキヨミ』。こちらも、オリコン年間ランキング2022年の作品別売り上げ部門シングルランキングで1位。凄まじく孤独が漂う楽曲なのに、歌われる「夜(深い闇)」と「傾いた月」の強さと妖しさに惹かれ、何度も聴いてしまう。

そして、ああ、今は「月」と「夜」が身近な時代なのだ、と、とても感じるのである。言い方を変えれば、かつて多く描かれていた「太陽が世界を照らす昼間」は眩し過ぎるのかもしれない。

昭和はギラついた「太陽ソング」が隆盛だった

昭和の流行歌では、「太陽」は間違いなく主役だった。エネルギーの象徴。自ら炎を燃やし周りを照らす、今でいう“リア充”!

1970年代まで遡ると、フォークグループ・青い三角定規の『太陽がくれた季節』(1972年)という歌がある。まさに昭和の高度成長期は、タイトルのまま“太陽がくれた季節”だった。ギラギラした野心や青春を「燃やそうよ」と、日本全体の空気がハッパをかけてくる時代だ。

青春だけではない。昭和歌謡で欠かせないテーマである“恋愛”においても、「太陽」は重要な役割を果たしている。

昭和の恋愛は、生死とかなり近い位置にあり、「フラレたら死ぬ」くらいに熱烈かつ切羽詰まった愛情を歌う歌詞が多い。特に、身を焦がすような熱愛時期は「太陽」「夏」として表現された。

美空ひばりの『真赤な太陽』(1967年)や、安西マリアの『涙の太陽』(1973年)からは、情熱メラメラの“肉食女性”の姿が見えてくる。

それに対し、「夜」は心の闇や秘密を連想させた。もっといえば、良い子は眠り、不良やハスッパの活動する時間。明るい時間には動けない、もしくは昼には手に入らないヤバめの欲望がある、など“ワケアリ”を思わせせた。

「夜明けのコーヒー」とあれば“性”を感じ、「夜汽車」とあれば“逃避行” “挫折” “今の環境からの脱出”を連想したものである。

眠れない人を寝かせようとする「ララバイ(子守歌)」は、「バイバイ」というダジャレ的要素もあり、中原理恵の『東京ららばい』(1978年)や岩崎宏美の『聖母たちのララバイ』(1982年)など、“傷心”や“ぼっち”の代名詞として、どこか社会になじめない苦しさと慰めをあわせて感じたものだ。

夜に輝くビルの明かり「摩天楼」も、アメリカでは映画『摩天楼はバラ色に』(1987年)などでは“上昇志向”のイメージで使われるが、昭和の歌では逆。岩崎宏美の『摩天楼』(1980年)や東京JAPの『摩天楼ブルース』(1984年)など、“都会の冷たさ”を思わせる。

さらに、出だしで「夜の街」が描かれる中森明菜の『飾りじゃないのよ涙は』(1985年)では、10代の少女が冷たい夜のまん中でも「平気」と言い放つことに、凄まじい早熟さと孤独を感じたものである。

夢と幸せに満ちた者は、太陽の光を浴びキラキラした日々を送り、そこになじめないマイノリティは夜に逃げる。昭和は、このわかりやすい対比で、「うおお!」と希望に燃えたり、「つらい」と沈み込んだりする感情の両極端を、これ以上にないほどドラマチックに描いていた。

バブル崩壊後、「太陽」から「月」の時代へ

そして、1980年代半ばからやってくるのが、浮かれっぱなしのバブル期である。このパワー過多な時代を見事に表しているのが、1989年の光GENJIのヒット曲『太陽がいっぱい』だ。金が溢れるようにあり、人々は己の欲望と欲情を発散させギラギラと輝いていた時代、確かに“太陽がいっぱい”。誰もが自分を中心に回っている主役だった。

光GENJIは全盛期がそのままバブル期と重なる、まさに時代の申し子。いま思えばだが、彼らが1988年の『パラダイス銀河』で世の中がパラダイスだとおおらかに歌い、『太陽がいっぱい』で熱さが限界を超えたことを、意識せずして発信していたように感じる。

ところが平成に入り、1991年にバブル崩壊。あれよあれよという間に、急カーブを描き日本経済は低迷していく。

大人の輝きには陰りが見え、代わりに「太陽」を受けて立ったのが、才能を尖らせる10代の女の子たちである。コギャル文化が爆発する1990年半ばは、安室奈美恵がこんがり日焼けた姿で『太陽のSEASON』(1996年)を歌い、初々しくも危なっかしい太陽を思わせた。

しかし、疲れ果てた大人にとって、JK(女子高校生)という“太陽”は眩し過ぎ、制御不可能な刺激でもあった。

同じく1990年後半、燃え盛っていくギャルたちとは逆に、男性アーティストたちは「月」の名曲を生み出していく。

1997年、大ヒットしたのが、エレファントカシマシの『今宵の月のように』。「くだらねえ」と呟きながらも、夢と愛を探し、いつか輝くだろうと考える。しかも「太陽のように」ではなく「月のように」輝くだろうと、希望を持つのである。この歌に出てくる月はとても穏やかで、何かを見守っているようだ。

昭和に『月がとっても青いから』(1955年、菅原都々子)という名曲があったが、そのやさしさに似ている。

1999年には、The end of genesis T.M.R.evolution turbo type Dが『月虹-GEKKOH-』を、2000年にはB’zが『今夜月の見える丘に』をリリース。このあたりから、月の光の包容力と神秘性、癒やしと赦しという意味合いがどんどん増してくる。

疲れた時代に「月ソング」は必須

女性アーティストもそれに続く。同じく2000年には、鬼束ちひろの『月光』がリリース。「GOD’S CHILD」「腐敗」という言葉が、凄まじくリアルに胸に響いてくる曲だった。どうしてこんな世の中に生まれちゃったんだろう、という絶望だらけなのに、救われる思いもある。歌において「月」が太陽を凌駕したと言えるほどインパクト大だった。

2003年には柴咲コウRUI名義で歌唱した『月のしずく』が大ヒットし、2006年には絢香の『三日月』が包み込むようなやさしさで、愛された。どの曲にも感じるのは、浄化作用だ。当時夢中で聴き、疲れた心が癒やされたものである。そう、私だけでなく、この頃世の中全体がかなり疲れていた。

思い出してみれば、2003年はイラク戦争で自衛隊が派遣された時期。戦争が身近に感じたという意味では、今と似ている。そして「自己責任」という言葉が流行し、呪いのような強さを持って、多くの人の心に鎖のようにまとわりついていった。自ら光を放ち、周りを輝かせようとすることに、この言葉がクッとブレーキをかけてくるのだ。「それ、責任を持てるの? 誰にも迷惑をかけない?」と。

自ら表に立ち、輝こうとするのは危険。それよりも、行き先が見えないときはそっと道を照らしてくれ、幸せなときは姿を隠して見守ってくれる、そんな月のような存在が求められるようになるのも、自然なことだったのかもしれない。

加えて、2005年には映画・ドラマで『電車男』が大流行し、これまでマイノリティとされていた「オタク」のイメージがガラリとポジティブに変わった。さんさんと太陽が降り注ぐ外ではなく、家の中でつないだネット掲示板で本当の自分をさらけ出せる。太陽がないところにも、もう一つの自分の世界ができるようになったのも大きいだろう。

「夜」と「月」が身近になっていく2000年中盤。「太陽」は輝きを失ったのかと言うと、とんでもない。独特の“パリピ(パーティーピープル)感”を増していった。2007年には、太陽が象徴的に描かれたORANGE RANGEイケナイ太陽』や湘南乃風睡蓮花』が大ヒット。

昭和なら夜に活動する一択しかなかったヤンチャたちが、昼から夜までぶっ通しでビーチを駆け回る。なかなか刺激が強い、まさに“ヤケドレベル”の太陽たちが輝いていた。

2010年からの平成後半には、ボーカロイドという新たな音楽の形が登場し、顔を出さず、あだ名のようなアーティスト名で歌う「ボカロP」が名曲を生み出していく。この仮想空間に漂うような新ジャンルは、「個人の思考、もしくは闇を覗き見る気持ちになる」、という意味で、どこか濃紺、夜空のイメージをうっすら感じるのである。

令和と「夜」の親和性

そして令和。YOASOBI夜を駆ける』の大ヒット、そして1979年の松原みきの楽曲『真夜中のドア〜stay with me』がSpotifyで世界的ヒットとなるなど、「夜」と親和性がある時代だ。

コロナ禍の自粛、そして緊迫感のある世界情勢や不況。2022年末に『徹子の部屋』でタモリが発した「新しい戦前」という言葉に象徴されるような、さまざまな危険と隣り合わせのムードも、“夜”感を強めている。

ただ、先が見えない閉塞感はあるが、同時に、顔の見えない誰かとつながれるツールが普及し、世界は広がった。ならば、この暗闇を“さまよう”のではなく、“遊ぶ”心が必要なのかもしれない。

(田中 稲 : ライター)