紫式部と藤原道長の関係性に迫ります(左イラスト:りうん/PIXTA、右イラスト:UU/PIXTA)

日本の古典文学というと、学校の授業で習う苦痛な古典文法、謎の助動詞活用、よくわからない和歌……といったネガティブなイメージを持っている人は少なくないかもしれませんが、その真の姿は「誰もがそのタイトルを知っている、メジャーなエンターテインメント」です。

学校の授業では教えてもらえない名著の面白さに迫る連載『明日の仕事に役立つ 教養としての「名著」』(毎週配信)の第10回は、『源氏物語』の作者で、2024年のNHK大河ドラマの主人公でもある紫式部の『紫式部日記』について解説します。

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藤原道長の家から始まる「紫式部日記」

当時にしては例外的なほど漢詩や漢文に詳しく、そのことに過剰ともいえるコンプレックスを持っていた天才女性作家、紫式部。2024年の大河ドラマはそんな彼女が主人公らしい。なかでも藤原道長との関係性が主軸として描かれるようである。

それでは『紫式部日記』において、藤原道長はどのような存在としてつづられているのだろう? 大河ドラマを予習するため、『紫式部日記』藤原道長登場シーンを読んでみよう。実は現存する『紫式部日記』の冒頭は、中宮彰子の出産のため藤原道長邸にいる場面。そう、紫式部の日記は、道長の家から始まるのだ。

<原文>
秋のけはひ入り立つままに、土御門殿のありさま、いはむかたなくをかし。池のわたりの梢ども、遣水のほとりの草むら、おのがじし色づきわたりつつ、おほかたの空も艷なるにもてはやされて、不断の御読経の声々、あはれまさりけり。

やうやう凉しき風のけはひに、例の絶えせぬ水のおとなひ、夜もすがら聞きまがはさる。

(※以下、原文はすべて『紫式部日記 現代語訳付き』(紫式部、山本淳子訳注、角川ソフィア文庫、KADOKAWA、2010年)

<筆者意訳>秋の気配が濃くなるにつれ、道長さまのお邸の様子は、美しくなる。言葉にできないくらい。池のほとりのこずえたち、庭の遣水に茂る草々、それぞれが色づいている。空もたいてい鮮やかに広がる。安産祈願のお経を唱える声もずっと聴こえてくるけれど、こういう情景の中だといっそう素敵に響いてくる。

夜になるにつれ、風はすこしずつ涼しくなってくる。いつものとおり、せせらぎはずっと流れている。風の音と水の音が混ざり合った音は、夜更けまで、ずっと私の耳に届く。

日記として、素敵なことこのうえない書き出しではないだろうか。『枕草子』と並べても遜色ない「をかし」な情景描写である。紫式部にとって道長の邸で過ごした日々は、華やかな儀式に沸き立つものというより、こういうちょっとした秋のお庭の美しさに魅入られたものだったのだろう。邸の描写をしようとして、まず華やかさではなく秋の優美さを綴るあたり、小説家らしさも見られる。

道長の邸宅であった「土御門殿」とは、藤原道長の権力の象徴のような場所だった。妻・倫子と結婚して得たこの邸で、道長の4人の娘は生まれた。そして彼女たちもまた息子をこの邸で産んだ。彼らはのちの天皇となったのだ。

ちなみに道長の有名な和歌「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」もまた、この邸で開催された宴会で詠まれたものだという。

かなり解釈が分かれる2人の歌のやりとり

そんな土御門殿の生活で、紫式部は藤原道長と言葉を交わしている。『紫式部日記』の中でもかなり冒頭にある会話である。

<原文>
渡殿の戸口の局に見出だせば、ほのうちきりたる朝の露もまだ落ちぬに、殿ありかせ給ひて、御隨身召して遣水払はせ給ふ。

橋の南なる女郎花のいみじう盛りなるを、一枝折らせ給ひて、几帳の上よりさし覗かせたまへる御さまの、いと恥づかしげなるに、我が朝顏の思ひ知らるれば、「これ。遅くてはわろからむ」とのたまはするにことつけて、硯のもとに寄りぬ。

女郎花盛りの色を見るからに露の分きける身こそ知らるれ

「あな、疾」と、微笑みて、硯召し出づ。

白露は分きても置かじ女郎花心からにや色の染むらむ

<筆者意訳>私の控室の戸口から外を眺める。まだ、うっすら霧がかかった朝方だった。露もまだ落ちない時間帯に、道長様が庭を歩かれていた。彼はお付きの男を呼んで、庭の遣水を掃除させていたのだ。

それは透渡殿の南に咲く女郎花が、いちばんきれいな季節だった。道長様は女郎花を一本折り、几帳越しに私へ差し出した。彼のお姿はしゃんとしていたけれど、一方で私の起き抜けの顔はひどいもんだった。「ほら、この花についての和歌が遅くなってはどうします」と道長様がおっしゃった。私は硯の近くに寄り、歌を詠んだ。

“女郎花盛りの色を見るからに露の分きける身こそ知らるれ”(秋の露に濡れる女郎花は、今が、いちばんきれいな時。でも花を眺めていると、露も降ってこなくて老けてしまった自分を思い知らされますわ)

「歌詠むの、早いなあ」と道長様は微笑まれた。そして硯を、とおっしゃって返歌を詠まれた。

“白露は分きても置かじ女郎花心からにや色の染むらむ”(白露はどこにでも降りますよ、女郎花は自分から美しくなろうとしているのです、あなたもその気になってくださいよ)

この和歌のやりとり、実はかなり解釈が分かれるものである。そもそも大前提として、道長は紫式部にとって大・大・大パトロン。上司どころの話ではない、自分を今の会社に引き抜いてくれた社長みたいなものだ。

そんな社長から、早朝に花を贈られる。ほら歌を詠んでくださいよと言われる。現代の感覚だと「パワハラでは!?」と腹が立ってくる。が、紫式部はその姿を「いと恥づかしげなる」と描写している。

「恥づかし」という古語は、現代語とは違い、「こちらが恥ずかしくなるほどに相手が立派である、すぐれている」という意味。この言葉の解釈はなかなか難しい。

もし紫式部が道長を恋愛的な意味で「お花くれた!すてきっ(ハート)」と思っていたならば、「恥づかし」というだろうか。

もっと「あはれ」とか書くのでは? でもやっぱりその姿がちゃんとしていてよいものだった、プラスの評価をしたいから「恥づかし」と書いているんだよね? などさまざまな解釈が考えられ、紫式部の感情を読み取ることが難しい、何とも微妙な語彙なのである。

どちらかというと紫式部は、自分の朝起きたばかりの顔のひどさ――当時彼女は立派な30代女性である――が恥ずかしかったらしい。道長に対しても、自分の老いを自虐するような和歌を贈る。ちなみに女郎花は夏から秋にかけて咲く花で、「女」という漢字がついていることから、和歌では女性にたとえられることが多いのだ。

ツッコミを入れたくなる道長の返答

そんな自虐する和歌に対し、道長は「そんなこと言わないでよ!」と歌を返す。が、この和歌がまた、現代の感覚からすると腹が立つ返答なのだ。

道長の詠む「白露は分きても置かじ」というのはつまり、「あなたみたいな歳の人にも、そうじゃない歳の人にも、みんなに平等に露は降って来る=男性は声をかけますよ」という意味。

ちなみにこの「露」とは、「女郎花に降る露」でありながら、同時に「男性が女性を誘うこと」ということの喩えでもある。前の和歌で紫式部が使っていた比喩だ。だから、暗に道長は「あなたのことも平等に誘うし、その気になってよ!」と誘っているのである。

しかし、考えてみれば腹の立つ言葉である。分きても置かじじゃないよ、ちゃんと分けて置けよ!! 私からするとツッコミを入れたくてしょうがない。だって道長は、あなただけを誘うというのならともかく、誰でも私は誘いますよ、と言っているようなものだ。「歳をとったあなたでも私は誘いますし、その気になってよ」という上から目線のニュアンスも漂う。

このエピソードは、道長の和歌で終わっている。紫式部は和歌の後、何の言葉も足していない。そのため紫式部がどのような感想を持っていたのかはわからないのだ。このあたりの余韻の残し方も、小説家の日記として上手い……読者としては解釈の余地を残さずにいてほしかったところだが。

紫式部日記を読む限り、仲は深かった

まあ紫式部としては早朝のパトロンの戯言に「やれやれ、あの社長はいつもめんどくさいな」と思っていたかもしれない。

逆に、案外色っぽい展開を隠していたのかもしれない。隠していたからこそ感想を書かなかったという説もある。2024年の大河ドラマは後者解釈を採用するようだ。

ただ『紫式部日記』を読む限り、紫式部と藤原道長は早朝に花と和歌をやりとりするくらいには仲が深かったらしい。実は紫式部が道長をどう感じていたのか、解釈の考えがいはあるものである。

(三宅 香帆 : 文筆家)