懸命な2年間のリハビリ、叶わなかった1年でのJ2復帰…松本山雅の魂、田中隼磨が下した苦渋の決断【コラム】
11月17日昼。J3の松本山雅FCから出された「田中隼磨選手、現役引退のお知らせ」のリリースには、横浜F・マリノスを皮切りに、東京ヴェルディ、名古屋グランパス、松本山雅と23年間にわたってプロキャリアを続け、走り抜いた40歳の右サイドバックが、今季限りで現役を退くという重い事実が記されていた。
そして1日が経過した17日、ようやく連絡が取れて話ができた。「最終的に決めたのはここ2〜3日の間。自分としてはホントはやりたかったけど、J2昇格が難しくなったこともあって決断しました。
最後は応援してくれたファン・サポーターの前で1分でもいいからプレーして、直接感謝を伝えたい。今はそう思っています」と、本人は20日のJ3最終節、ホームでのSC相模原戦へ思いを馳せていた。
2021年2月の開幕・レノファ山口戦に先発出場した直後、長年抱えてきた右膝負傷が悪化し、長期リハビリに突入してから約2年。隼磨は2度の手術を経て、ピッチに戻ろうと懸命に努力し続けてきた。
今年4月にじっくり話した時も、自身の複雑な胸中を吐露していた。
「現状を踏まえると、引退を現実的に捉えなければいけないのは確か。シンプルにこの右膝が良くならなければ、ピッチの上で示しもつかない。示しがつかず、プレーができなければ、もう決断しなければならない。
でも、僕はどうしても松本のためにピッチに戻りたい。自分が生まれ育った町・松本のかりがね練習場でリハビリをしていると、近所のおじさんやおばさんが『あんたがいないからJ3に落ちちゃったじゃないか』『待ってるから戻って来て』と言ってくる。応援してくれる人たちの言葉を聞くたびに『絶対にやめられない』と感じるんです」
とはいえ、その後の経過も芳しくなく、全体練習にもなかなか合流できなかった。7月には40歳の大台を迎え、焦燥感は高まる一方だったに違いない。
ピッチに立てない自分が遠くから見つめる松本山雅もJ3で大苦戦。序盤こそU-19日本代表の横山歩夢のゴールラッシュもあり、J2昇格圏の2位以内をキープしていたが、7月に複数人のコロナ感染者が出てチーム活動が休止に。
直後のいわき、鹿児島との2連戦を落とし、3位に転落してしまう。その後、鹿児島は失速したが、今度は藤枝の驚異的な追い上げを受け、直接対決で敗戦。まさかの逆転を許す。
そして勝負の懸かったリーグ終盤には富山、宮崎に連続4失点で敗戦。1年でのJ2復帰の道が事実上、途絶えることとなった。
2014年から8シーズン在籍した故郷のクラブを救うことができない現状に、彼は不甲斐なさと失望感も色濃く覚えたはずだ。
「山雅の流儀とは、規律を持って厳しく戦う姿。最後まで諦めず、全員で仲間のために、勝利のためにスプリントして、戦い抜くメンタリティ。それを取り戻したい」
こう訴え続けたベテランSBにしてみれば、ともすればクラブの根幹に関わる重要な原点を忘れてしまったかのような戦いを目の当たりにする日々は、本当に辛く、切なかったはずだ。
田中隼磨という偉大な選手が訴え続けてきた「山雅流儀」とは一体、何だったのか……。どうしたらそれを取り戻せるのか……。彼の引退を機に、クラブ、選手、サポーターがそれを改めて考え直すべき時期に来ているのではないか。そうしなければ、彼があえて苦言を呈し続けてきた意味がない。
この10年間で2度のJ1昇格を経験し、最も成功した地方クラブとも評された松本山雅。その復活のためにも、隼磨がピッチ内外で示してきた行動や言動を今一度、思い出し、先々の方向性を見定める道しるべにしてほしいものである。
「今後のことはまだ考えていません。山雅の復活の手助けをしたいけど、少し考える時間も必要だと思います。指導者ライセンスもJFA公認B級ライセンスを受講中ですが、足の怪我もあって実技ができないので、なかなか難しい状況です。技術委員長のソリさん(反町康治=元松本監督)とも話して相談したい。いつかは松本山雅の監督になれたらいいなという気持ちもあります」
そうやって気丈に前を向いた田中隼磨。エネルギーと野心に満ち溢れる男なら、セカンドキャリアにおいてもやれることは、たくさんあるはず。まずはラストマッチとなる相模原戦で、自身の雄姿を多くの人々に焼き付けること。そこに集中してほしいものである。
取材・文●元川悦子(フリーライター)
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