WBSS優勝を果たした井上尚弥【写真:Getty Images】

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底知れない成長意欲「自分でもどこまで強くなるのか楽しみ」

 ボクシングのWBA・IBF世界バンタム級王者の井上尚弥(大橋)が、ワールド・ボクシング・スーパー・シリーズ(WBSS)の同級決勝でWBAスーパー王者ノニト・ドネア(フィリピン)に3-0の判定勝ち。自身3年半ぶりとなった12ラウンドの死闘を制し、優勝を飾った。これまでのスピードKOだけでなく、耐久力を含めた長期戦の素質も証明。どこまでも強くなる26歳はモチベーションの“置き所”を語っていた。

「ベルトをそろえることが目標なら達成感があるけど、目標を持たないようにしている。“ここが目標”とかはない。この先、(目標を)達成することはないかもしれないですね」

 6月末のことだった。井上は満足感を味わったことはないのだろうか。これまで獲得した主要4団体(WBA、WBC、IBF、WBO)と権威ある米専門誌「リング」認定のベルトをお披露目。横浜市内の所属ジムには大勢の報道陣が集まった。輝かしい実績を示す勲章だが、井上は5本のベルトを眺めながら言い切っていた。「嬉しいけど、満足するのとは違う」。燃え尽き症候群という言葉には、一生出会うことはなさそうだった。

 常に強い相手を求めてきたキャリアがある。2012年の大橋ジム入門時、井上の希望で「強い相手とやる」ことが契約の条件につけられた。スーパーフライ級時代は強すぎるあまり対戦を断られ続ける悲哀を経験。18年からタレントの多いバンタム級に転向した。

 初戦となった昨年5月のWBA王者ジェイミー・マクドネル(英国)は、井上にとって「過去最強の相手」と謳われていた。しかし、井上が5度の防衛を誇る王者を112秒で瞬殺。当時日本最速16戦目で3階級制覇を達成したが、「まだ何かしたとは思っていない」と当たり前のように言った。記録や肩書は関係ない。底知れない成長意欲に度肝を抜かれたことを覚えている。

 マクドネル戦後、選ばれた強者が集まるWBSSに参戦した。昨年10月の初戦、元WBAスーパー王者フアン・カルロス・パヤノ(ドミニカ共和国)に70秒KO勝ち。5月の準決勝でも、無敗のIBF王者エマヌエル・ロドリゲス(プエルトリコ)を259秒KOでリングに沈めた。2戦とも、試合前に「過去最強の相手」と称されていたが、ハイレベルのパフォーマンスで超速決着だった。

 ここ数試合の合間には、試合時間の短い圧勝劇の繰り返しで「課題がわからない」と贅沢な悩みを明かし、「どっちが勝つか、見ている人がわからないくらいヒリヒリする試合をしたい。そういう試合の方が自分の限界を引き出すし、成長できる」と強者の出現を願っていた。そして、またも「過去最強」として現れたのが、ドネアだった。

決して失うことのない限界突破への意識「次の強敵をどう倒すか」

 ドネアとの死闘。自身3年半ぶりの判定決着までもつれ込んだ。下馬評では井上優位だったが、相手は不利予想を何度も覆してのし上がったレジェンド。一撃必殺の左フックに、もしかしたら…と思わせる不気味さがあった。これこそ、井上が望んできた「ヒリヒリする試合」。リング上で互いに拳を交差させ、自身初の流血を経験。ロープを背にし、クリンチで難を逃れようとするシーンも見せた。

 モンスターらしくない姿。会場のファンからは悲鳴が響いた。井上尚弥が負けるのか。そんな不安を抱いた人もいたかもしれない。ただ、リング上の井上は、そんな心配をよそに全てを失う可能性もある時間が心地よさそうだった。一夜明けてこう語る。

「陣営はハラハラしたでしょうけど、やっぱり殴り合ってこそ、というものがある。楽しかったですね」

 待ち望んだ課題に出会ったことで、嬉しそうに笑う。常人には理解しがたい感覚で戦っていた。各階級で世界王者の肩書を奪い、どれだけ敵をなぎ倒しても強くなろうと汗を流す。他競技に比べて単調な練習が多く、過酷なボクシングは、トレーニングに“飽き”が生まれやすい。それでも、井上は基本を徹底して上を目指している。

「何のために練習するかというと、自信を持つため。限界を少しずつ破らないといけない」。決して失うことのない限界突破への意識。父・真吾トレーナーに指摘され、気を引き締めることもあるが、自ら心を燃やし続けてきた。モチベーションの作り方も抜群に上手い。燃え尽きることのないモンスターは、いつだって“戦い切る”姿を見せている。

「いつかは、僕もどっかで負ける時が来るかもしれない。ボクシングの競技性が持つ魅力として、勝ってもまた次が出てくるし、引退するまで次が現れる。

 強さには満足していないですし、自分でもまだまだ底が見えない。自分でもどこまで強くなるんだろうっていうのが楽しみ。前回、前々回といい結果を出しても、ボクシングは次の強敵が出てくる。次の強敵をどう倒すか。強敵に対してどう戦うかにモチベーションがある」

 ドネアを倒し、また一つ経験を積んだ。誰か、井上尚弥の限界を教えてほしい。(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)