★「小佐野を切ってほしい」

 こうした田中と小佐野の黒いウワサが続く中、密かに心を痛めていたのが佐藤栄作だった。

 佐藤は政権を取ると、自らの派閥・佐藤派の中で田中を幹部として上手に使った。同時に、都合7年8カ月の長期政権中、田中を大蔵大臣、自民党幹事長として処遇し、実力者としての階段をのぼらせていた。佐藤のこうした処遇は、一方で佐藤派の“台所”を田中が一人で賄っていたことでもあった。しかし、田中はカネを集めて派閥を支えてくれるのはいいが、その陰でどうも黒いウワサが付いて回る。これに、佐藤は次のような思いを抱いていたと、当時の佐藤派担当記者の解説が残っている。

 「佐藤は田中が小佐野と仲が良く、その小佐野が児玉誉士夫と交流を持っていたことを危惧していた。大きなつまずきを起こさねばいいが、と見ていたということです。ために、自らの退陣後の『角福戦争』で、首相候補として田中より福田に傾いていたのは、田中のカネにまつわるリスクを嗅ぎとっていたという見方もあった。すでに田中の“危うさ”を見ていたということである」

 田中が総裁選に立つことを決めた頃、側近から「小佐野との仲を切ってほしい。カネで足をすくわれることになりかねない」との、強い懇請があったという。

 なぜなら、メディアの社会部記者たちの間では、仮に田中が首相の座に就いても「カネでつまずく可能性がある」ことから、早くも“三日天下説”が駆け巡っていたからだった。
(文中敬称略/この項つづく)

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【著者】=早大卒。永田町取材49年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。