現在、NPB支配下登録選手のなかに160センチ台の投手は5人しかいない。167センチの石川雅規(ヤクルト)、谷元圭介(中日)、野田昇吾(西武)、168センチの大山暁史(オリックス)、そして169センチの美馬学(楽天)。そして、今回のドラフト候補のなかに、石川らと並ぶ167センチの投手がいる。

「身長のことは気にしてないです。マウンドに立っているときは、大谷翔平投手になったような気分で投げています」

 そう語るのは、市立西宮高(兵庫)のエース・山本拓実。167センチの体から最速148キロのストレートを投げ込み、スカウトの注目を集める右腕だ。


春以降に急成長し、一躍ドラフト候補となった市立西宮のエース・山本拓実

 今年夏の兵庫大会では、準々決勝で報徳学園に延長サヨナラで敗れたが、大会通算3試合(23イニング)を投げ、23奪三振、4失点と好投した。

 打者の手元で強い”圧”を感じるストレートが持ち味で、ある球団のスカウトは「関西ナンバーワン」と太鼓判を押し、あるMLBの日本担当スカウトは「20年前に見た松坂大輔のような球質」とまで口にした。

 本人は自身の最大の武器について、「すべての力を注ぎ込んで、リリースで叩きつけるイメージで投げています」と語る。ほかの投手よりも低い位置で放たれながら、そこから伸び上がるようなストレートは、全盛期の武田久(日本ハム)や谷元のイメージと重なる。

 山本は、甲子園球場からほど近い兵庫県宝塚市仁川で育った。大の阪神ファンで、憧れの選手は赤星憲広だった。中学入学時で身長は139センチ。小柄で俊敏なプレーが持ち味の選手だと勝手に想像したが、実際は違ったらしい。

「足は速くなかったですし、運動神経も全然よくなかった。バスケットとかバレーとか、ほかの球技も得意ではありませんでした」

 小学生のときに少年野球チームに入り、野手と投手を兼ねていた。中学時代も「ピッチャーをやりながら、セカンド、サード、ショートをこなす。イメージは2番・セカンドで、バントキャラの選手でした」という存在だった。

 本人の記憶によれば、投手として最初にボールが変わったと感じたのは中学3年の夏。エースではなかったが、夏の大会に敗れたあと練習をしていたら、明らかにボールが速くなったという。

 とはいえ、高校に進み、初めて投げた練習試合での最速は123キロ。球速が上がったといっても、しばらくは野手と併用だった。

 1年秋からようやく投手としてベンチ入りし、日々のトレーニングに加え、少しずつ技術を高めていった。自宅でもプロ野球選手の動画を見て、体の使い方を学んだ。

「フォームは人それぞれなので真似することはないんですけど、このピッチャーはこういうところを意識して投げているんだろうな、と思いながら参考にしてきました」

 たとえば、憧れの投手のひとりに挙げる則本昂大(楽天)の動画は、こんな風に見るという。

「僕のイメージですけど、下半身で投げている感じがすごくあるのと、肩甲骨を柔らかく使っている。だから、あれだけ力があり、回転数の多いボールが投げられるのかなと。少しコースが甘くなっても、キレと球威で空振りやファウルの取れるストレートが理想です」

 自身のフォームのなかで、強く意識していることは何かと聞くと、真っ先に下半身の使い方を挙げた。

「ボールは下半身で投げるものだと思っていて、そこの動きをしっかりつくることができれば勝手に腕も振れて、いいボールもいく。特に、下半身の動きのなかではタメをしっかりつくることを一番に考えています。投げにいくなかでギリギリまで(左サイドの)開きを我慢しながら溜めて、左足が着いたところから一気に回転させる。ボールにすべての力を込めて投げるイメージです」

 山本の父も大学まで本格的にプレーを続けた野球人で、子どもの頃から遊び感覚のなかで自然と様々なトレーニングに取り組んでいた。たとえば、山本の手首は内側に曲げると指先が腕につくほど柔らかい。

「子どもの頃から鉄アレイで手首を鍛えていたことが影響したのかもしれません」

 本人は「運動神経はあまりよくなかった」と告白するが、地道に強さと柔らかさを身につけた。だからこそ、167センチの体を余すところなく使い切り、これだけのストレートが投げられるのだろう。

「ピッチングフォームについては、これまで撮ってもらったビデオを見ると、2年の夏からダイナミックな感じになっていきました」

 その2年夏は、球速が140キロ台に到達し、県大会では8回参考ながらノーヒット・ノーランを記録。次第に注目度は上がっていったが、まだ翌年のドラフト候補と見る向きはなかった。そんな山本の評価が急上昇したのは3年の春以降。

「ひと冬越えて、すべてのレベルが上がったのは間違いないです。冬の間、とにかく体の土台をしっかりつくろうと、徹底してトレーニングに励みました。バーベルを持ってやるスクワットも、昨年9月は100キロを1回上げるのがやっとだったのが、今年の3月には170キロを2、3回上げられるようになりましたから」

 体の強さが一気に加わり、ストレートの速さ、回転数、それに迫力も増した。春の県大会では26イニングを投げ3失点。センバツ4強の報徳学園に敗れはしたが被安打3、失点2と好投。すると、その情報を聞きつけた大阪桐蔭の西谷浩一監督から市立西宮の吉田俊介監督のもとに電話が入り、夏の大会直前の6月に急遽、練習試合が組まれた。

 そこでも山本は、センバツ優勝チーム相手に7回を被安打3、失点3の快投を見せ、一躍マスコミから注目される存在になった。山本もこの試合のピッチングが大きな自信になったという。

「日本一のチームが相手でも、自分のボールを投げることができれば通用するというのがわかりました。特にあの試合は、これまでのなかで一番いいボールを投げることができた。しっかり右足に体重が乗り、すべての力がボールに伝わった最高のストレート。夏の県大会ではその感覚を再現できなかったんですけど、今後もそれを求めてやってきたい」

 そして山本のもうひとつの武器は、夏の県大会で投じた23イニングで四死球はわずか2という制球力の高さだ。

「小さいから体を扱いやすいんだと思います。あと、3歳の頃からストライクゾーンよりひと回り大きいぐらいの壁に、テニスボールを毎日投げていました」

 その山本の進路だが、夏の大会期間中は大学進学と伝わっていた。事実、関西にある3つの大学の関係者がスカウト活動に躍起になっていた。しかし大会が終わり、山本の気持ちはプロへと傾いていった。

「夏休みの終わりに吉田先生と面談して、気持ちが固まりました。当初は『大学でアピールして、プロにいきたい』と思っていたんですけど、いける可能性があるなら早い方がいい。プロは野球に打ち込める環境が揃っていますし。それに今は、筋力もついて、ピッチングがすごく伸びていると感じている時期。ならば、その時期をプロで過ごした方がいいんじゃないかと考え、決めました」

 この先に待っているのは、身長も公立高校出身のプロフィールも関係ない競争の世界だ。普通の野球少年だった山本は、自身を”ドラフト候補”にまで導いたストレートを信じ、猛者たちが揃う世界でいかにして戦っていくのだろうか。

「いいバッターとどんどん対戦したい。いくらいいバッターでも人間なので……。『打てるものなら打ってみろ』という気持ちで投げていきます。これまでも僕と対戦するバッターは、最初はなめた感じでくるんですけど、それを抑えるのが楽しみでもありました。先々はプロの世界で活躍して、見ている人が167センチという身長を忘れるようなピッチャーになりたいです」

 球界最小投手・山本拓実のプロ野球人生が、ここから始まる。

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