2013年ちょーすごいオススメ本はこれ!
ローラン・ビネ『HHhH』(東京創元社)
長嶋有『問いのない答え』(文藝春秋)
岡本茂樹『反省させると犯罪者になります』(新潮社新書)
鈴木敏夫『風に吹かれて』(中央公論新社)
市川春子『宝石の国』第1巻(講談社)
レイ・オルデンバーグ『サードプレイス』(みすず書房)
鈴木健『なめらかな社会とその敵』(勁草書房)
山崎努『俳優のノート』(文春文庫)
酉島伝法『皆勤の徒』(東京創元社)
デイヴィッド・マークソン『これは小説ではない』(水声社)
稲生平太郎『何かが空を飛んでいる』(国書刊行会)

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下北沢の書店B&Bで「本屋で年越し前夜!」というイベントに出た。
杉江松恋×米光一成×瀧井朝世×木村綾子が、2013年の最高におもしろい本を紹介するというイベントだ。
米光一成が選んだ「2013年、問答無用でおもしろい本ベスト10」を紹介しよう。

■ローラン・ビネ『HHhH』(東京創元社)
まずは海外文学。
ナチにおけるユダヤ人大量虐殺の首謀者であり責任者であったハイドリヒを暗殺する計画を描いた歴史小説。
でありながら、作者が随所に出てきて、歴史を描くことについて煩悶する。
資料や、映画や、文献を、チェックし、この本はここがダメだ、ここが良いと論ずる。「オタクか、おまえは!」的な執拗さで、歴史を描く規律を自分に課すのだ。
恋人や友人に草稿を読んでもらった反応を挿入し、自分が書いたものを反省し書き直していく。
映画のメイキングを観ているような、それの歴史小説版とでもいうか。
だが、ただの裏舞台が挿入されてるってだけじゃない。
たとえば、こういうくだりがある。
当事者の証言にもとづいたセリフを書いた後に「ところが、僕はハイドリヒがこんな脅しの言葉を口にしたとは思えないのだ。これは彼らしくない」と、証言者の言葉を否定したい欲望を露わにする。
「僕は気晴らしみたいなものとして、こんな場面を思い描いたことはあった」とことわって、夢想するシーンを描く。
「僕はさっき、おかしなことを言った。あながち見当外れでもない想像力と勘違いとが同時に作用してしまったのだろう。」と、間違いを残していることを告白する。
事実から創作を排除しようと試みることで、創作が雪崩れ込んでくる。
それに抗えないのは、作者だけではなく読者も、だ。気持ちが動いてしまう。気持ちが動くことで、歴史を歪めてしまう。
現在を生きる作者と、1942年のプラハで起こった暗殺計画を企てる若者が、別々に描かれているのではなく、同時に、そして、読者もその場にいるような錯覚(残念ながら錯覚だ)に陥ってしまう。
「小説とは何か」「歴史とは何か」を問い直し、なおかつそれがスリリングで、読み終わった後もずっと背中を押し続けられているような感動が残る。
小説の読み方が、この本を読んだ後に変わってしまうパワーを持った作品だ。
「ある晩、僕は夢を見た。(…)とはいえ、文学の計り知れなく不吉な力を前にひれ伏してしまうことはある。この夢だって、ハイドリヒが小説的な次元で僕を感動させている明白な証拠なのだ」
第二部が始まるちょい前あたり(暗殺がいまにも行われんとするところ)から、ガチで盛り上がって、イッキ読み。やめられない。

帯にある絶賛の言葉の数々を紹介しよう。
バルカス・リョサ“ギリシャ悲劇にも似たこの小説を、私は生涯忘れないだろう。(…)傑作小説というよりは、偉大な書物と呼びたい。”
ブレット・イーストン・エリス“『HHhH』には圧倒された。……今までに出会った歴史小説の中でも最高レベルの一冊だ。”
ニューヨーク・タイムズ“文学的力わざ”
デイヴィッド・ロッジ“ローラン・ビネは、語りに、作家としての不安・書くことへの不安を織り込むことでノンフィクション・ノヴェルに新たなる地平を切り開いた。その手法は、決してストーリーのちからを弱めることにはならず、それどころか、あのクライマックス。私は決して忘れることができない”
マーティン・エイミス“見事なまでに独創的な作品だ”
タイムズ“桁外れなデビュー作……「歴史小説」であると同時に「歴史小説を書くにあたってのテクニックとモラルを語る小説」にもなっている。……この一風変わった作法がこの作品を文学的成功に導いたのだ。”

もう、全員に読んでもらいたいが、二次創作してる人、物語をつくっている人、ノンフィクションをつくってる人、完全に必読書。

■長嶋有『問いのない答え』(文藝春秋)
現実は変わっていて、そうじゃないのに、小説の世界だけ、ちょっと古く懐かしい世界像を描いている。もちろん「その懐かしさがいい」ってのも、別に悪くない。
だけど、今のベストを選ぶのなら、まさに今の世界を描いている小説を選びたい。
だから、長嶋有『問いのない答え』だ。
震災の直後から、作家のネムオがツイッターで「それはなんでしょう」という言葉遊びを始め、それに参加している人たちの交流を描いた長編小説。
群像劇なんだけど、束ねているものがツイッターの言葉遊びでしかなくて、「孤独な群像劇」とでもいうような奇妙な読み心地。
長嶋有という人は、ものすごく今の世界を、それも、数年したらみんなが忘れてしまいそうな、世界の今の手触りを描いている。
いま読む感触と、五年後読む感触が全然違う小説だと思う。
五年後だと、あああ、そうだった、あのころはそうだった、って。
たとえば、6ページ。
“本体を横に持っていると勘違いしたスマートフォンが、画面を勝手に横長にしてしまい、ネムオは舌打ちをする。寝起きの、寝たままのチェックだってことぐらい分かれよ。いろいろ「便利」だって「言う」のなら。”
そして、P48。
“ツイッター閲覧のための「アプリ」を使っているから、本体を横に持っていても、スマートフォンの側で画面を勝手に横長にしてしまうことはない。”
スマートフォンでツイートするときの、ささやかな「あの」感じ。
そういったものが散りばめられていて、いま読むことの興奮がある。
ツイッターという仮想空間での人物と実在の人物の在りようが描かれていて、その中に、漫画の主人公が登場したり、秋葉原通り魔事件の加藤智大が登場して、人間が存在しているリアリティが逆転というか、同じようにリアルに存在していて、私小説というかリアルな世界を描いた小説の枠を軽妙に突き破っている。
奇想小説なんだけど、ぜんぜん奇想じゃなくて、今のリアルな世界を描いていてそれがちゃんと奇想になっているっていう、世界は捉え方によって、掬いあげ方によって、じゅうぶん奇想になるんだっていうリアル私小説奇想小説。
ツイッター小説であり、言葉遊び小説であり、孤独な群像劇であり、コミュニティ論でもあるような作品。
「いつ読むの?」と問われれば「今でしょ!」(←流行語なう)。

■岡本茂樹『反省させると犯罪者になります』(新潮社新書)
新書で、衝撃を受けた一冊。
著者の岡本茂樹は、刑務所の篤志面接委員やスーパーバイザーとして受刑者を支援している。現場でつちかった方法論や試行錯誤が、本書にはしっかりと描かれている。
「悪いことをしたら反省するのが当然」「反省してもらわなきゃ困るよね」って考えてると、どんどん犯罪者が増えるよって本。
第3章に、女優酒井法子の事例が登場する。
保釈された後の記者会見での言葉を引用し、“自分の弱さ故に負け”“自分の弱さを戒め”“二度と手を出さない”といった部分をピックアップして、こう指摘する。
“反省することの問題点が、この文面に集約されています”。
まず、そもそも「すぐに反省なんてできない」という事実だ。
にもかかわらず、すぐに反省を求めたり、何の手順も踏まずに反省文を書かせたりする。
受刑者たちは、模範的な反省をつくりだす。
「自分が弱かった」「自分がいかに甘く、駄目な人間であったのかがよく分かりました」
反省していないのに、反省の言葉を語り、りっぱな反省文を書く。
そうしなければ、刑期は減らないし、世間が許さないからだ。これが、自分の内面と向き合う機会を奪うことになる。
「自分が弱かった」と上っ面だけで反省→「強くあらねば」という思考になる。自分に厳しくなる。そうなると、助けも求められない。
自分だけでどうにかしようとする。そうすると、折れちゃったとき、また犯罪に走ってしまう。
では、どうすればいいのか。
本書を読んでください。
(以前書いたレビューはこちら『反省させると犯罪者になります』を読んで愕然)

■鈴木敏夫『風に吹かれて』(中央公論新社)
渋谷陽一がジブリのプロデューサーの鈴木敏夫をインタビューした本。
鈴木敏夫の少年時代から、宮崎駿と高畑勲との出会い、それからのいろいろ。まあ、この3人が巡りあってからの話が面白い面白い。
NHKの朝ドラにしてください!って初詣する勢いである。
男3人の友情(っていうと「違う!」って3人が声を揃えていいそうだが)の物語だ。
たとえば、こんなくだり(「宮さん」が、宮崎駿で、「パクさん」が高畑勲です)。
“宮さんって変な人で、二、三年前に階段を駆け上がって……ドタドタドタって部屋に来て、『分かったんだよ』って息せき切っていうから何かなと思ったら、『パクさん、俺、鈴木さん、三人がなぜうまくいってるか分かったんだ』って。何だこの人はって思ったんだけれど、『なぜですか?』ってきいたら、『お互いがお互いを尊敬してないんだよ』って”
こんなエピソードも。
『火垂るの墓』製作の終盤、監督の高畑勲が来なくなる。
三日目に奥さんに電話すると、大泉学園の喫茶店で待ってくれってんで、お昼からまってるのに来ない。夜の8時になってようやく来て、いきなりポール・グリモーの『やぶにらみの暴君』の話をする。
グリモーは三年たってもできなくて、延長して、さらに二年やってけど、できない。プロデューサーが待てないってんで編集して公開して、グリモーが訴えた。裁判所は、プロデューサーの考えは筋が通ってると、でも監督が未完成のものを公開したくないというのもわかる、と。なので、そのいきさつを映画の冒頭に入れて公開しよう、と。
高畑勲は「それをやってくれ」と言うのだ。
「風立ちぬ」のエンディングや、いくつかの宮崎駿アニメのエンディングが、最初、大きく違う構想だったことも語られる。鈴木敏夫との対話の中で、それが変わっていく。
鈴木敏夫が、「もとのほうが傑作になりえたのではないか」と苦悩を告白する場面もすごい。

■市川春子『宝石の国』第1巻(講談社)
マンガだ。
『虫と歌』(傑作!)、『25時のバカンス』(傑作!)って短編集が2冊出て、満を持しての長編。
特殊能力少女戦士モノ、と言っちゃうと、ちょっとイメージ違うかも。
そもそも、少女じゃないかもしれない。
なにしろ宝石なのだ。
“今から遠い未来。地上の生物が海に沈み、海底の微小な生物に食われて無機物となり、長い時間をかけて結晶となった宝石生命体”28人と、彼らを装飾品にしようとする月人の戦いを描く。
「技術ある者 二人一組で見張る者 戦う者
皆 それぞれ ひとつかふたつの得意な役割を担い 補い合っているが
おまえに背負わせるものは難しく考えあぐねていたのだ
得意な体質に加え……」
硬く、だが脆い(そして何度も再生可能な)宝石たち。
まあ、見たことのない世界とイメージの奔流。
単行本『宝石の国』2巻は1月23日発売だ(待ち遠しい)。

イベントでは、他にも以下の本をオススメした。
レイ・オルデンバーグ『サードプレイス──コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」』(みすず書房)
鈴木健『なめらかな社会とその敵』(勁草書房)(以前書いたレビューはこちら→ぷよぷよ民主主義、価値が連鎖していくなめらかな社会へ)
山崎努『俳優のノート 新装版』(文春文庫)
酉島伝法『皆勤の徒』(東京創元社)
デイヴィッド・マークソン『これは小説ではない』(水声社)
稲生平太郎『何かが空を飛んでいる』(国書刊行会)

さあ、今年も本を読もう。(米光一成)