「酒をくれ」と暴れて救急搬送も…ボクシング元世界王者が明かすアルコール依存症との壮絶な死闘の日々
「俺は依存症じゃない」
この頃の口癖は「俺は依存症じゃない、いつでも酒をやめられる」だったという。当時の主治医もアルコール依存症という診断を下さなかった。
「夫の主治医は専門医ではなく、アルコール依存症に対する知識がなかったんです。それで’23年3月にあらためて専門のクリニックを受診すると、すぐにアルコール依存症と診断され、入院を勧められました」(絵美さん)
それでも、井岡本人に依存症の自覚はなかった。入院を拒み、いったんはお酒を断つ約束をする。だが、誘惑に勝てず痛飲を繰り返した。
「初めての入院は’23年4月26日でした。足元がふらつき、まともに歩けない夫を息子と二人で説得し、車椅子に乗せて病院へ連れていったんです」(絵美さん)
ところが同年のGW中に井岡は入院先の病院から脱走。病院の職員が自転車で追走し、近くの路上で発見した。「タクシーを拾って帰ろうとしていた」と本人は強弁するも、携帯電話もお金も持っていなかった。このときのことを、井岡はほとんど覚えていないという。
「3ヵ月の入院を終えて退院しましたが、家では私たちの目を盗んで飲酒を繰り返していました。外出の準備を急(せ)かされるとか、何かイラッとすることがあると飲んでしまうことがあるんです。近くのコンビニに行き、お金を払わずにお酒を持って帰ってきたこともあった。本人は『携帯でQR決済した』と言うのですが、実際は私がコンビニに行って代金を支払っています」(絵美さん)
断酒の禁断症状で暴れることもあった。怒りをモノにぶつけ、家中の茶碗やガラスを割る。その度に家族は自宅を離れ、自家用車やジムで夜を明かしたという。
「なんとなく飲みたいだけなのですが、どうしてもやめられなかった。トイレの中に酒を隠していたこともある」(井岡)
体調を案じた絵美さんが「このままでは死ぬよ」と諭しても、「別に長生きしたくない。酒をくれ」と暴れ始める。このとき、すでにγ-GTPの数値(肝機能を評価する値)は6000(正常値は男性で50以下)まで上昇。肉体は確実に蝕まれていた。昨年10月、下血。冒頭のように真夜中に救急搬送された。
生死の境を彷徨(さまよ)ったことを受け、井岡はついに断酒を決意する。一体、どのようにして依存症を克服したのか。
「何か打ち込むものを作らなければいけないと思い、妻が利用していたボイストレーニングに通い始めたんです。それまでは、お酒を飲んで食事するぐらいしか趣味がありませんでした。音楽という新たな趣味を見つけたことで、断酒することができたんです」(井岡)
家族の協力も大きかった。8ヵ月が経った今も断酒は継続している。
「もうまったく飲みたいと思わない。コンビニでお酒を見ると気持ち悪いと感じるほどです。家族の協力なしにアルコール依存から脱却することはできなかったと思います。今後は自分たちの体験を題材に、講演活動をするつもりです」(井岡)
井岡は今も、アルコール依存症というリングの上で闘いを続けている。
『FRIDAY』2026年7月10日号より
取材・文:取材・文/加藤 慶(ノンフィクションライター)
