YouTubeチャンネル「ゆっくり遺産の探検隊」が「【地元民「行ったらアカン」】かつては日本最大級の街だったのに…今や中心地の座すら奪われた街の今がヤバすぎた【ゆっくり解説】」を公開した。かつて西日本最大の娯楽街として栄華を極めた神戸の「新開地」の誕生から衰退、そして現在に至るまでの歴史について解説している。

新開地は、かつて「東の浅草、西の新開地」と称され、劇場24館がひしめき、年間400万人が訪れた一大娯楽街であった。動画では、この街が湊川の付け替え工事によって生まれた川の跡地にできた街であると解説する。最盛期には「西の帝劇」と呼ばれた本格劇場「聚楽館」があり、映画評論家の淀川長治氏もこの地で育ったという。

しかし、華やかな歴史を持つ新開地は、3つの大きな波によって衰退の道を辿ることとなる。第一の波はテレビの普及による娯楽革命と、神戸高速鉄道の地下コンコースによる「新開地パッシング」という交通の誤算。第二の波は、1957年の市役所の三宮移転に代表される中心機能の流出。そして第三の波が、1970年代の石油危機に伴う造船不況による「産業の崩壊と孤立」である。さらには、1995年の阪神・淡路大震災が追い打ちをかけ、街は壊滅的な被害を受けた。

そんな悲劇に見舞われながらも、地元の人々は再生を諦めなかった。震災後わずか5日後にテント小屋で開かれた役員会で「震災復興でこそ、目指すまちづくりを実現する」と立ち上がった。現在では関西最大級の野外音楽フェス「新開地音楽祭」の開催や、上方落語の定席「喜楽館」のオープンなど、新たな文化の発信地として息を吹き返しつつある。新開地はただ衰退した街ではなく、歴史を重ねながら力強く再生を続ける街の姿を示している。