『うみのまもの』(徳間書店)は、海にくらす人々に伝わる魔物の話を、ちょっぴり不思議な切り絵で表現した絵本。作者は、探検家・関野吉晴さんの「新グレートジャーニー」(2007年〜2011年、フジテレビ系列で放映)に参加し、舟でインドネシアから石垣島まで共に旅した前田次郎さんです。どんなふうにこの絵本がうまれたのか、前田さんに聞きました。(文:大和田佳世)

お話を聞いた人前田次郎(まえだ・じろう)

1983年生まれ。2008年武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科卒業。2008年から、探検家関野吉晴氏の「新グレートジャーニー」に参加。関野氏とともに実際に舟をつくり、その舟でインドネシアから石垣島まで、星と島影を頼りに、風の力で旅した。共著に、写真絵本『舟をつくる』(徳間書店)がある。旅の体験を元にしたはじめての創作絵本『うみのまもの』(徳間書店)を刊行。

旅からうまれた創作絵本

――『うみのまもの』は、海にくらす男の子の1日と魔物を描いた、前田さんの創作絵本デビュー作。「きょうは ぼくが ばんごはんを とってくるよ!」と男の子は元気いっぱいに舟で出かけます。この作品はどのようにうまれたのですか。

『うみのまもの』(徳間書店)より

 おおもとは武蔵野美術大学の4年生のとき、当時大学で教鞭をとっていた探検家・関野吉晴さんの呼びかけに手を挙げたことからはじまります。「東南アジアから舟で渡ってきた日本人のルーツをたどる旅『海のグレートジャーニー』で使う舟を、一から、道具から手づくりします。一緒にやる人はいませんか」と関野さんは言いました。

 学生・卒業生あわせて約200人が参加し、木を切るオノやナタをつくるため、浜辺で素材となる砂鉄を集めることからはじめました。舟にする木はインドネシアのスラウェシ島の西側、マンダールの人びとが住む地域から切り出しました。僕は「つくる」ことにも興味がありましたが、一緒に海を渡りたくてインドネシア語を独学するなどし、マンダールの船乗り5人と木こり1人、関野さんを含む日本人クルー4人のうちの1人になることができました。

写真前列、右から2人目が作者・前田さん。 ©SEKINO YOSHIHARU

 手づくりの舟で足かけ3年にわたり、星と島影を頼りに、風の力で旅をした体験は貴重なものでした。旅では、マンダールの人たちに伝わる魔物「ラクササ」の話を聞いたり、スールー海(インドネシア、マレーシア、フィリピンに囲まれた海域)にくらす漂海民バジョに出会ったり。水深3メートルはある海原に錨を下ろしたはずが、どんどん水が引き、草原のような海底がまるまる顔を出して舟が座礁する体験もしました。その日は満月でした。そうした旅の体験から、この絵本はうまれました。

大潮時に十分深いところで錨を下ろしたつもりが、干潮時には干上がって海底が姿を表した。バジョの人たちは歩き回ってナマコ、シャコガイ、海藻などを集めていた。©SEKINO YOSHIHARU

もがいた8年、魔物の顔があらわれるまで

――絵本の冒頭では、「うみには まものが いるんだよ。えものを とりすぎると、まものが あらわれるからね。よくばったら いけないよ」と大人に言われますが、男の子は次々獲物をとっていきます。ページをめくっていくうちにだんだん海面が下がり、いつの間にか魔物があらわれます。

 よく見ると、最初の画面から、魔物はいるんですよね、男の子が気づいていないだけで。子どもたちに感想を聞くと、小さい子はただおもしろがってくれるようですが、むしろ小学校中学年以上の子どものほうが「ちょっとこわかった」「ドキドキした」と言っていました。

『うみのまもの』(徳間書店)より

――なぜこの絵本をつくろうと思ったのでしょうか? 

 旅の後、就職して結婚し子どもが産まれました。生活の中で次第に旅の記憶が薄れ、このまま何も形にしないと、いつかあの体験が自分の中から消えてしまうのではないかという焦りがずっとあって。「旅で味わったことを自分のやり方で表現したい」と、ずっと表現方法を探していました。舟づくりの過程を記録した写真絵本『舟をつくる』(徳間書店)では文章を担当しましたが、その数年後、絵本のラフをいくつか持って、編集者さんを訪ねました。そこから8年以上の格闘、10作以上の絵本企画のボツがあり、ついにこの作品が出版できることになったんです。

切り絵じゃなきゃ表現できない

――以前から切り絵で作品を制作していたのですか?

 いいえ、切り絵ははじめてです。水彩で描くつもりであれこれやってみていたのですが、どうしても物足りなさがあって。ただ、舟もナタやノミで木を削っているので……刃物のサイズが違うだけでやっていることはそんなに変わらない。舟づくりは木を使った大きな工作、切り絵は紙とカッターを使ったちっちゃな工作という感じです(笑)。

 なかなかうまくいかないとき、「自分はどんな絵本が好きなのか」と向き合うため、数か月間、図書館にこもってたくさんの絵本を読みました。子どもの頃に読んで心に残った『ちいさいおうち』や『スイミー』を読み直し、絵本に込めるメッセージの加減を考えたり、五味太郎さんの『うみのむこうは』、ひろかわさえこさんの『いちにのさんぽ』、ジョン・クラッセンが絵を描いた『サムとデイブ、あなをほる』の設計的な絵本づくりにヒントをもらったり……。ユリ・シュルヴィッツの『よあけ』は、光の三原色を感じさせる描画方法とストーリーの一体感がすばらしいなと。

 自分もそんな絵本をつくりたいと思いながら、水彩、版画、ステンシルなどいろいろ試したところ、切り絵にしたときにピタッとハマるのを感じました。男の子が獲物をひとつとるとそこに穴があき、だんだん穴が増え、穴が組み合わされると魔物がうまれる……。それを思いついたときはじめて男の子の行動と魔物があらわれる展開が合致し、「切り絵じゃなきゃ、この絵本はできない」というところにたどりつけました。

『うみのまもの』(徳間書店)より

――獲物も男の子も表情豊かでユーモラスですね。

 男の子の髪型は、クジラの潮吹きや、ヤドカリのハサミなどの形に合わせたりしています。また、捕まったときの、獲物の描写は、どれも立体的にしているんですよ。紙の継ぎ目がないのにイカの足と足が重なっていたりするので「あれ、ここはどうなっているの?」という不思議な箇所を探してもらえたらと思います。

穴のふちの「影」こそ魔物の表現

――獲物が切り取られ、白く抜かれた穴のふちには、影のようなものが見えます。これがつながって魔物になっていくのですね。

 獲物と魔物のうしろに薄めのクッションを入れることで、凹んだ奥行きの分、穴のふちにうっすら影ができて輪郭が見えるんですよ。コンビニのコピー機で、コピーしてうまく影が出たときは、自分にとってまさに「うみのまもの」がうまれた瞬間でした。魔物と獲物が表裏一体であることが表現できると同時に、凹みをふちどる「影」こそが、目に見えない魔物をあらわすのにぴったりだと思いました。

 おはなしの内容が魔物や言い伝えといった古典的な要素でできているので、表現の面では、従来の切り絵をアップデートした印象の作品にしたかったのです。

『うみのまもの』(徳間書店)より

 でも印刷所の精巧な機械では影がうつらなくて。わざわざ旧型のスキャナーで4方向からスキャンして、それぞれ出た影を画像上で組み合わせ、原画を目で見たときと同じような影の落ち方になるようにと、画像制作担当の方が手のかかる作業をしてくださいました。

探検家であり医師である関野さんへの憧れ

――そもそも前田さんが「新グレートジャーニー」に参加したのはなぜだったのですか?

 小・中学生のとき、関野さんの旅を追ったテレビ番組「グレートジャーニー」が大好きだったんです。もともと木のぼりや工作が好きで、庭の木でY字のパチンコをつくったりと、外遊びが好きな子どもでした。ボーイスカウトに入っていて、どのようにテントを張れば、木や地面など自然環境を活用した野営ができるかを工夫するのも楽しかったです。なので「グレートジャーニー」の世界の辺境の人々のくらしぶりにいつも釘づけでした。

 探検家であり医師である関野さんに憧れ、漫画『ブラック・ジャック』が好きだったこともあって一時は外科医を目指すのですが、二浪することになって……。二浪目の夏に美術大学へ進路を変更しました。

――武蔵野美術大学に入学したのは、関野さんが教授をされていると知っていたから?

 知らなかったんです。医学部受験に挫折して美術予備校に通いはじめたとき、友人から原研哉さんの本『デザインのデザイン』(岩波書店)を薦められたことがきっかけで。現代社会におけるデザインの役割を大きな視点で捉えた文章に刺激を受け、原さんが教鞭をとる武蔵美の基礎デザイン学科を目指しました。

 入学後、授業計画書に「文化人類学・関野吉晴」の名前を見つけて目を疑いました。関野さんの授業は、専攻に関係なく受けることができる一般教養の科目だったので1年生から受講しました。関野さんから「きみたちは、自然から材料をとってきて一から何かをつくったことがありますか」と問いかけられ、気づいたのは、身の周りにあるものはどの材料から誰がどのようにつくったのかわからないものだらけだということでした。

 一方、自分は卒業が近づいても、現在の大量生産・大量消費社会の中で、デザインや広告関係の仕事に就く未来もぴんとこなくて……。そんなときに関野さんの呼びかけがあり「舟をつくるため、材料の木を切るため、刃物をつくる砂鉄集めからはじめる」というプロジェクトにのめりこんでいきました。

巨木から舟をつくる。マンダールの棟梁の指示に従いオノをふるう関野さん(左)と前田さん(右)。©SEKINO YOSHIHARU

木の精霊と、海の魔物「ラクササ」との出会い

――前田さんにとってインドネシアのマンダールの人たちとの出会いも大きかったのでしょうね。海の魔物「ラクササ」についてどんな話を聞いたのですか。

 彼らはイスラム教徒ですがアニミズムも信仰しています。アッラーの神にも祈るけれど、木を切り倒すときは、木の中の精霊に「これから、この木で舟をつくるから、精霊が住んでいたら、他の木にうつってください」とお祈りする人たちです。

 例えば航海中、舟の上で煮炊きすると、薪が燃え残ることがありますよね。水面はすぐそこだから、燃えさしの薪を海に突っ込めばジュッと消せるけれど、それをすると海の魔物「ラクササ」が怒るからヒシャクや手で水をすくって舟の上で火を消しなさい、と言われました。何かにつけて「ジロー、それはラクササが嫌がるからダメだ」と言われることが多かったです。

 絵本の冒頭の「えものを とりすぎると、まものが あらわれるからね。」というのは僕の創作した部分ですが、日頃から海に敬意を払い、海の魔物を怒らせるようなことをしてはいけないという考え方を、海の民の人たちは根強く持っています。言い伝えは何千年も前から受け継がれ、書物のような形になっていなくても、書物以上に伝達手段として優れているのだなと感じました。本書で描いたのは、男の子の1日であり、言い伝えが受け継がれてきた何千年の中の、とある1日なんです。

海の楽しさと恐ろしさ

――はじめての創作絵本づくりはいかがでしたか?

 あまりに大変で、もう出版できないかと思いました(笑)。3年間はこの絵本だけに集中し、試行錯誤をひたすら繰り返して、ようやく……。長かったです。壮大な旅の中の、無限にあるエピソードのどこをどうしたら絵本に落とし込めるのか、実体験をベースに創作する難しさもありました。けれどそれ以前に「自分の好きなもの」を突き詰める時間が、ふりかえればとても大事だったなと。

 魔物と満月の関係、潮の満ち引きなど、文章にしなかった背景も絵の表現にたくさん込めることもできました。終盤の魔物の色は、満月の色なんですよ。自分としてもやり切ったなと思います。

奥が手づくりした縄文号、手前がマンダール人の伝統船パクール号。旅は2艇での航海だった。右端の小舟、最後尾にいるのが前田さん。©SEKINO YOSHIHARU

 絵本には、海の楽しさと怖さを同居させました。男の子が獲物をとるところはカラフルにして、モリで獲物をつく楽しさに思いを込めました。一方、切り抜かれた側には、ちょっと不気味な影や空白もある。大人なら「僕らの楽しいくらしの裏側で、世界のどこかにぽっかり穴が空いて、穴が放っておけないほど大きくなったときに魔物があらわれるんじゃない?」と社会への警笛みたいな面を読み取ってもらえるかもしれません。

 実際、気候変動などそこかしこに魔物は見え隠れしているけれど、みんな見て見ぬふりをしているのかもしれないですね。そのうち魔物は巨大になり姿を見せるのかもしれない……。ただ、あまり難しくしてもおもしろくないから、子どもたちには絵本を通して軽やかに伝えたいなと。獲物を切り抜いた穴の形が組み合わさったら……「わっ、顔になってる!」というところを家族や友達と楽しんでもらえたらと思っています。

インフォメーション『うみのまもの』刊行記念ワークショップ
「うみの まもの」をつくってみよう!

日時:2024年10月5日(土)11時〜/13時〜
場所:ブックハウスカフェ 2Fひふみ
対象:4歳から小学生まで 
参加費:500円(4歳〜大人)/『うみのまもの』(¥1,870)ご購入の方はセットで2,000円!(参加費実質130円)
お申込み先:
https://bookhousecafe.stores.jp/items/66ab6d353e183e002d80c7d9

内容:海の生き物やいろんな形をした、たくさんの色紙を自由に組み合わせて、自分だけの「うみのまもの」の顔を作ってみましょう。詳細は下記へ
https://bookhousecafe.jp/event/content/1599