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佐藤大宗(30) 近代五種 銀メダル【前編】

 歴史的快挙を成し遂げたのが佐藤大宗。

【特別インタビュー後編を読む】メダル獲得で生活が激変!近代五種・佐藤大宗が「つらい」こと 「家族サービスもほとんどできず…」

 近代五種が1912年ストックホルム大会で正式種目に採用されてから112年目にして日本勢初の表彰台(銀メダル)に立った。日本が初めて代表を派遣した60年のローマ大会からも64年の月日を要した。

 近代五種は馬術、フェンシング、水泳、レーザーラン(射撃5的、600m走を5回)の5種目を1日で行い、長い歴史と過酷さから「キング・オブ・スポーツ」といわれる。

 古代五輪で行われていた五種競技(ペンタスロン)の流れをくむ伝統競技で歴史に名を刻んだ佐藤を、所属する自衛隊体育学校で直撃した。今回はその【前編】。

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ーーパリ五輪開幕前にメダル取りの手応えはありましたか。

「去年のW杯ソフィア大会で(日本人初の表彰台となる)2位になりましたが、体の状態も含めて決していい仕上がりではありませんでした。W杯は4戦あって、連戦の最後の試合だったので、コンディションがどんどん悪くなっていく中での大会でした。実は、開幕の3日前くらいに風邪をひいてしまって体調が良くなかったのですが、風邪薬を飲んでごまかして気合で乗り切りました。連戦をこなしていく中、体重も落ちてやせ細っていたんですけど、そんな状態でも自分のいいところを出していけたら、どこまでいけるのかなと思って最後まで戦い切った結果が準優勝につながりました」

ーー最悪のコンディションでも結果を残したことが自信につながったのですか?

「五輪に向け、しっかりとコンディションを整えて、ピークを合わせてベストパフォーマンスを発揮できれば、海外の選手に勝てるという自信が芽生えました。体調が悪い中でメダルが取れたので、ベストコンディションなら五輪でも表彰台に立てる、と。まだ強化しなければいけない点が種目ごとに多々あったので、ランニングならもっとタイムを上げないといけないとか、水泳も実力を維持してなおかつ、直後に行われるレーザーランでどれだけ体力を残して臨めるかといったところを五輪までにどこまで成長させることができるのか。そうしたことを計算しながら、監督やコーチ、トレーナーと相談して五輪に挑みました」

ーー本番直前はメダルを見据えていましたか?

「ここまでやってきたので自信しかなかったです。大きなケガもなく、体調も崩さないように細心の注意を払ってきましたので。もちろん自分の力だけじゃなくて周囲の支えがあってのもので、(五輪前の)記者会見の時は大口を叩いて、自分でもどんどんエンジンがかかってきちゃって予定の時間をオーバーしても『自信しかないです』って言ってしまいました。本当にメダルを取ることだけを考えていたので、『男に二言はない』というところを見せたかった(笑)」

ーー五輪本番でメダルを確信したのは、どの種目ですか?

「自分がミスしなければいけるかなと思ったのが、馬術を終えてからです。最初の馬術でノーミスで帰って来られたら、いけるかなと。W杯で日本人初のメダルを獲得した時も馬術から勢いに乗った。最初からノーミスでいかないと自分の場合は引きずって崩れてしまうので、どれだけ最初にパフォーマンスを発揮できるかが重要でした。準決勝、決勝とノーミスで来られたのは、今までの競技人生でも初めてでした。どの種目が良くて、どの種目が悪いということが多かったのですが、あれほどうまくいくとは」

ーー最後のレーザーランではメダル圏内の選手との6秒差を巻き返しましたが、秘策はあったのですか?

「今回、金メダルを取ったアハメド・エルゲンディ選手(エジプト)はレーザーランが強くて、特に射撃が速い。その射撃を何とかコピーしたくて、国際大会でのエルゲンディの射撃を自分で動画に撮って3年間かけて研究しました。エルゲンディはランニングから射座に入って銃を握って撃つまでが速い。射撃では多くの選手は足場やフォームを固めて1、2、3で構えるものですが、エルゲンディの場合、1、2の間で撃てるのです。このタイム差は大きく、4回の射撃でトータル5〜10秒は変わってきます。そのタイムを短縮した射撃を3年間、研究してつくり上げました」

ーー射撃がレベルアップしたのですね?

「最初の撃ち出しが他の選手よりも速くなり、1回の射撃につき1秒短縮してトータルで4秒ですが、ランニングと合わせると差をつけられるようになりました」

ーー本番でマークしていた選手はいましたか?

「東京五輪で韓国勢初のメダル(銅)を獲得した全雄太選手です。今年6月の世界選手権(中国・鄭州)では3位に入り、パリでもメダル候補のひとりでした。射撃を得意としており、ランニングも決して遅くはない。その全選手は射撃でミスが続出しましたが、心理戦で自分が優位に立てたからだと思います。最後の競り合いで、先に自分が射撃を終えて走り出し、全選手が追いかける展開が続き、心理戦に入っていました。自分の方がランニングは速いと自負があったので、仮に全選手に追い越されても、付いていって射撃勝負と。全選手としては得意の射撃で少しでも離したかったはずで、逆に自分に離されて焦っていたのでしょう。その時点で心理戦に勝っていました。自分が最後までベストパフォーマンスを発揮できたのが勝敗を分けたのではないでしょうか」

ーー過酷なレースの中で心理戦が展開されているのですか?

「近代五種では心理戦も醍醐味の一つです。今回は会場に巨大モニターが設置されており、他の選手との距離感が掴みやすかった。モニターを活用して、全選手や他の選手との距離を計算して、射撃は何発かは外してもいいと判断しました。3位に入ったマラン選手(イタリア)はランが速いので食われないように距離を保つよう気をつけていました」

ーー全て作戦通りだったのですね。

「今回、水泳(200m)で2分04秒21(全体12位)とタイムは出ませんでしたが、レーザーランに向けて体力を温存したので、あえて抑えました。観ている人は水泳が苦手だと思われたかも知れませんが、全て計算でした。今回は、少しでも差を広げようと多くの選手が水泳で飛ばしていましたが、コーチと話し合って、水泳で行くべきじゃない、レーザーランで出し切るべきだという結論に達し、その戦略が当てはまりました」

(聞き手=近藤浩章/日刊ゲンダイ)

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 戦略も含めて入念に準備して五輪本番を迎えた佐藤。大会中は92年ぶりの歴史的快挙を成し遂げた「初老ジャパン」の姿に発奮したという。

それらについては、関連記事【特別インタビュー後編を読む】…で詳しく報じている。

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さとう・たいしゅう 1993年10月20日生まれ。青森県青森市出身。青森山田高卒業後、2012年に海上自衛隊に入隊し、翌13年に自衛隊体育学校所属となり、本格的に近代五種を始めた。21年全日本選手権で初優勝。23年W杯ソフィア大会では2位で日本人初の表彰台に立った。