「この木なんの木」「あなたとコンビにファミリーマート」…CMソングの巨匠が「最期まで貫いた流儀」

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CMソングも歌謡曲も大ヒット

「この木なんの木 気になる木」「あなたと、コンビに、ファミリーマート」

作曲家・小林亜星は、誰もが口ずさめるCMソングを山のように作った。

1932(昭和7)年、東京都・幡ヶ谷の裕福な家庭に生まれた亜星は、慶應義塾大学医学部に進学。在学中は進駐軍の専属バンドに入ってカネを稼いでいた。

卒業後、作曲家・服部正に弟子入りして音楽家として活動を始めると、日立製作所『日立の樹(この木なんの木)』や大関『酒は大関こころいき』など視聴者に親しまれたCMソングを多数作曲した。

歌謡曲では阿久悠とのコンビで都はるみ『北の宿から』を作り、日本レコード大賞を受賞している。

「先生は夢の中で作曲できる方でした。朝、会社に来ると夢で流れた曲を部屋に籠って譜面に起こし、すぐレコーディングするんです」(亜星のマネージャーを務めていた松井洋佑さん)

亜星は作曲以外にも多彩な才能を発揮していく。とりわけ、向田邦子原作のドラマ『寺内貫太郎一家』で演じた、昭和の大家族の頑固一徹な父親・貫太郎役は見事にはまった。この配役について、彼は本誌の取材に対してこう語っている。

「もともとフランキー堺さんや高木ブーさんに声がかかったのですが、断られたそうです。困り果てた演出の久世光彦さんが選んだのが私でした。試しに丸坊主にして半纏を羽織ったところ、向田さんが『これが貫太郎よ!』と手を打って出演が決まったのです」

『寺内貫太郎一家』で大ブレイク

俳優としてデビュー作となった『寺内貫太郎一家』は、全話平均視聴率が31・3%という大ヒットを放つ。当時、亜星は世間からは作曲家というより「昭和の頑固親父」という目で見られたという。本誌に対してこう語っている。

「寅さんを演じた渥美清さんの気持ちがよくわかりますよ。出演以降、髪型はずっと丸坊主になりました」

まさにテレビの時代を象徴する「マルチタレント」として、昭和の茶の間を盛り上げてきたのだ。

『寺内貫太郎一家』で人気者となった亜星は、クイズ番組『象印クイズ ヒントでピント』でレギュラー解答者、テレビドラマ『サザエさん』で磯野波平役に抜擢されるなど、テレビで幅広く活躍するようになる。

その素顔は、貫太郎のように昭和気質だった。大酒飲みで、全盛期にはウイスキーを毎晩一瓶転がし、タバコのハイライトを日に5箱も吸っていたという。

それでも仕事に対しては一貫して誠実な態度で臨んでいた。前出のマネージャー・松井氏はこう語る。

「よく『時間を守れないヤツは仕事もできないしカネも稼ぐことができない』と仰っていました。事務所の時計が1分でも遅れたり進んでいたりすると『直しなさい』と怒るんです。その分メリハリがあって、仕事が終わると大好きなお酒を飲みに出かけていました」

還暦を過ぎてからは、戦う姿も注目を集めた。'94年に日本音楽著作権協会(JASRAC)の入居先ビルに関して「不正融資」疑惑が発覚すると、執行部を糾弾し退陣を迫るなど、この問題の先頭に立っている。常に音楽に対する真摯な正義感を貫き続けていた。

'21年に心不全で逝去。制作楽曲は8000に上ると言われている。テレビとメロディに人生を捧げた亜星の功績は今も色あせない。

「週刊現代」2024年9月14・21日合併号より

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