井上尚弥は”衰えている”のか…今回の試合で感じた「成長」と避けられない「選手寿命」

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井上尚弥の圧勝だった

「ナオヤ・イノウエ、いい試合だったな! 本当にモハメド・アリに匹敵するレベルのチャンピオンだよ」

パソコンの画面に映る元世界ヘビー級チャンピオンは、「フィリーも残暑が厳しい」と、上半身裸で笑顔を見せた。

1984年3月9日、プロデビューから19戦目でWBCヘビー級タイトルを、その1年10月後には26戦目でWBA同級王座に就いたティム・ウィザスプーン(66)。彼は今回の4冠統一スーパーバンタム級タイトルマッチを、オンデマンド放送で目にした。

7月に肺血栓塞栓症で入院したウィザスプーンだが、思いのほか元気そうだった。ペンシルバニア州フィラデルフィアで生まれ育った彼は、近代アメリカ最初の首都から北東に47kmの地、ベンサレムで中学生の五女と共に暮らしている。

2LDKアパートでの暮らしは、2度最重量級王座に就いたとは思えないほど、質素だ。今年の頭に筆者がウィザスプーンの自宅を訪問した際、ドアの入り口下に敷き詰められたバスタオルの役目を質すと、「ゴキブリの侵入を防ぐんだ」と笑った。

ベンサレムのアパートで娘を学校に送り出した後、元世界ヘビー級王者はスマートフォンで井上尚弥がTJ・ドヘニーを第7ラウンドに下す様を凝視した。

「終始、イノウエが試合をコントロールした。プレッシャーを掛けてTJを下がらせたな。序盤からボディショットで挑戦者にダメージを与えていた。ラウンドが進むに連れ、TJは動きが鈍っていった。イノウエのペースは変わらなかったけれど。

オーソドックスが、サウスポーに対して右を放っていくのは、まさにボクシングのセオリー。その折、イノウエが顔面じゃなく、ボディを的にしていた点が良かった。削って削って仕留めたんだな」

日本では「いつものようにモンスターの豪快なKOが見たかった」「フィナーレが尻切れトンボだった」「格下を仕留め切れなかった」などの声が上がっていることを告げると、ウィザスプーンは笑い飛ばした。

「ワンサイドの圧勝だったじゃないか。俺の故郷の隣人であるスティーブン・フルトン、その次のマーロン・タパレス、そして前回のルイス・ネリとのファイトと比較したって、俺はイノウエの成長を感じるぜ。

自信を持って強いパンチを放っていった。イノウエはどんな試合もKOを狙って組み立てるよな。序盤は手数が少なかったが、自分の距離を崩さず、ロープ際に追い込んでチャンスを窺った。第3ラウンドにコーナーに詰め、前足を中、外へとステップしながらTJの動きを観察したシーンなんて、本当にアリを思い起こさせたよ。

37歳の挑戦者だって、弱い選手じゃない。経験に裏打ちされた、ベテランならではの上手さがあった。世界タイトルに挑戦するだけの力は十分に備えていたし、闘志も見せた。最後はもう動けなくて、どうしようもなかったんだ。限界までは戦ったと俺は思う」

井上尚弥vs.中谷潤人の勝敗は試合のタイミング次第

ウィザスプーンはそれでも‥‥と、一瞬間を置いてから言葉を続けた。

「イノウエは、自分に自信があるよな。『オレのパンチが当たったら、確実に対戦相手は眠る』と、強打を自覚している。だから、フィニッシュを狙いにいく時、ガードが下がるんだ。特に右ストレートを打つ時の左がガラ空きになる。

今回のファイトで、イノウエは5ラウンドからペースアップし、TJを倒しにかかった。それは当然の流れだが、空いていたら狙われるよ。イノウエはノックアウトの仕方を良く知っている。でも、何発か、挑戦者のパンチを喰ったシーンもあった。あそこは気を付けなきゃ。彼はディフェンスよりも、オフェンスの意識が強いんだろうな」

45歳までリングに上がった元世界ヘビー級チャンピオンは、画面の向こうで身を乗り出しながら言った。

「オレが長く現役を続けられたのは、ディフェンス力があったからさ。イノウエのように、28戦全勝25KOなんていうレコードは作れなかったが、打たせない努力は徹底的にやったよ。

お前も良く分かっているだろうが、引退後、パンチの影響でボロボロになっている元選手が多いだろう。ボクシングってのは、打たせちゃダメなんだ。どんな時も、ガードを下げちゃいけない。まぁ以前、イノウエはノーガードで誘っていたが、あれとディフェンスの意識を忘れないようにするのは、別の話だよ」

ウィザスプーンは、スポーツ総合チャンネルのケーブルである、ESPNプラスで井上尚弥vs. TJ・ドヘニーを観戦した。同局は4冠統一スーパーバンタム級チャンピオンの今後の対戦相手として、中谷潤人を大きくクローズアップしている。画面に向かって左側に井上尚弥、右側に中谷潤人の写真を並べ、年齢、身長、これまでの世界タイトルマッチの数、制覇した階級数、スタンスを報じた。

「共に28戦していて、全勝。片方は4階級制覇、もう一方は3階級制覇。階級も一つしか違わない。そりゃあ誰だって興味が湧くだろう。プロモーターなら、是が非でも実現させたいカードだよ。日本人にとってはドリームマッチさ。

今戦えば、若干、イノウエが有利かな。でも、ここ数試合のジュント・ナカタニの伸びは目を見張る。開催のタイミングが勝敗を左右するだろう。。試合が決まれば、明暗を分けるのはディフェンス力だとオレは見る。僅かでも、隙を見せたらそこを突かれるよ。いずれにしても、日本でやることになるさ」

両者には4歳の差がある。

「まぁ、年齢ではなかなか判断できないよ。40歳でも溌剌と動けるファイターもいれば、20代で失速するタイプも見られるからな。当たり前だが、打たれていないヤツは選手寿命が長くなる。彼ら2人は日本ボクシング界の光であり、星だよ。いつ、対戦するかが勝敗に影響する」

プロモーターの腹一つで、ボクサー人生が決まる

井上はここ数年、敏腕プロモーターであるボブ・アラムの手で、ビッグマッチが組まれてきた。そのアラムが、1973年に立ち上げたTop Rank社とこの7月、中谷も契約を交わした。

「どういう意図で、アラムがジュントをプロモートしようと考えたのかはわからない。オレみたいに、利用されないことを祈るよ」

ウィザスプーンは短くそう語ったが、その発言は重過ぎる現実を想起させた。フィラデルフィア育ちの元世界ヘビー級チャンプが郷里でプロボクサーとして頭角を表し始めた頃、その存在を知ったプロモーターのドン・キングが接触してくる。

モハメド・アリが去ったボクシングマーケットは、中量級のスター王者たちによって支えられていた。アラムは彼らをぶつかり合わせることで、第一人者となる。

そのアラムの対抗馬として、ヘビー級を仕切ったのがキングだった。アラムが超名門であるハーバード大学院を出た弁護士だったのに対し、キングは殺人罪で服役したことのある男だった。

しかし、黒人であることを前面に押し出し「虐げられている者同士、共闘しよう。ブラックの気持ちはブラックにしか分からない」などと甘言を弄しては、トップヘビーを次々に自分の手駒とする。ウィザスプーンもその一人だった。

白紙の契約書にサインを命じられ、断ると試合が無くなるぞと脅され、渋々サインすれば、ファイトマネーを繰り返しピンハネされる。ウィザスプーンには、保証された金額の10パーセントしか受け取れなかった経験もある。戦うことへのモチベーションを失い、惰性でリングに上がっては黒星を喫した。長期政権は築けなかった。

「プロモーターの腹一つで、ボクサー人生が決まっちまう。ジュントは、自分が納得できない試合にはサインしちゃダメだ。平気な顔で『お前らボクサーなんて奴隷に過ぎない』と見なしてくるヤツがいるからな。

オレ自身、ファイターは用済みになったら撃ち殺される競走馬のようだと感じていた。次世代の選手たちには、そんな思いはさせたくない。思い切り、ボクシングに打ち込んでほしい」

アラムは今後、井上尚弥、中谷潤人にどんなマッチメイクをするのだろうか。

井上尚弥はやはり“怪物”だった…試合を観た元世界王者が「KO勝ち」を確信した瞬間