狂ったイラン政府はどう「人の尊厳」を奪うのか…ノーベル平和賞活動家が明かす受けた卑劣過ぎる「やり口」

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イランでは「好きなことを言って、好きな服を着たい!」と言うだけで思想犯・政治犯として逮捕され、脅迫、鞭打ち、性的虐待、自由を奪う過酷な拷問が浴びせられる。2023年にイランの獄中でノーベル平和賞を受賞したナルゲス・モハンマディがその実態を赤裸々に告発した。

上司の反対を押し切って担当編集者が日本での刊行を目指したのは、自由への闘いを「他人事」にしないため。ジェンダーギャップ指数が先進国最下位、宗教にも疎い日本人だからこそ、世界はつながっていて、いまなお闘っている人がいることを実感してほしい。

世界16カ国で緊急出版が予定されている話題作『白い拷問』の日本語版刊行に先駆けて、内容を一部抜粋、紹介する。

『白い拷問』連載第6回

『「鎖でベッドに縛り付けろ!」…イラン政府による尋問で倒れた女性が病院で「医者」にされた残酷な仕打ち』より続く

実際に経験したイランの刑務所の実態

独房と尋問室は、囚人のアイデンティティに欠かせない基本的なものをすべて押しつぶすように、そして心理的な抑圧を長続きさせるような仕組みになっている。これは人間の心に深い傷を残す。

2度目の収監で私はゼイナブ・ジャラリアン(クルド武装勢力PJAKのメンバーであったことを理由に、2008年にイスラム革命裁判所で死刑判決を受けたが、2011年に終身刑に減刑された)という少女と数日一緒になったことがあった。ある日、彼女の頭に傷跡があるのに気づき、何があったのか尋ねた。

彼女はクルディスタンにいたとき、6ヵ月収監されていたそうだ。その独房で、尋問官に鉄パイプで強く頭を殴られ、頭蓋骨がへこむほどの大けがを負った。病院に運ばれたが、再び独房に戻された。

彼女のいた独房は完全な真っ暗闇で、窓も明かりもなかったらしい。一度など、寝る前に歯を磨いているときに看守に呼ばれ、中庭に連れて行かれた。ゼイナブはそのときになって、太陽が高く昇っているのに気づいた。夜ではなかったのだ。

曲げない信念

2〜3日を彼女と過ごせたのは神の恵みだった。彼女はクルディスタンから209棟に連れて来られた。尋問官たちに、武装作戦に加わったことを動画で自白するようにと、何度も言われたらしい。彼女は嘘の自白をすることを拒んだ。ゼイナブが209棟にいた間、ある囚人について元気の出る話をしてくれて、イランの刑務所に明るい光明を見たような気がした。

ゼイナブが言うには、ある女性が、グリーン・ムーブメント(民主化運動)のリーダーのひとりを貶めるような内容の手紙を書けと言われ、ものすごいプレッシャーを受け、病気になりながらも、その手紙を書かなかったのだそうだ。

ゼイナブの抵抗する意志と心意気を見ていて、彼女の他の側面、ヒューマニストとしての断固たる、揺るぎない信念も分かってきた。私は独房に収監された3回の経験のなかで、固い意志と決意で立ち向かう素晴らしい男女の存在を知った。彼らは自分の体と心の健康を犠牲にしても、のしかかる重圧に耐え、自分の信念を曲げない。

全てを知られている

私は保釈されるとすぐに入院して治療を受けた。ところが当局が病院の記録を取りあげた。のちに尋問されたときにこの理由を聞くと、答えは「諜報治安省の医師は、あんたの医師よりも経験がある」というものだった。

この発言にはずいぶん考えさせられた。私の主任尋問官は私の気質、つまり興味の対象や、私が嫌うものをよく知っている。私がいつも何か噛む癖があることや、彼の言葉によると、私が書く内容、あるいはイラン・エンジニアリング・インスペクション・カンパニーでの交友関係、私と夫とのことまで、彼は何でも知っていた。なぜ彼はこれほどまでに私の心の中に詳しかったのか?

私についての情報を徹底的に集めたのは何のためだったのか?

おそらく彼は私の持病や常備薬、治療、私の身体的、精神的弱みを把握して操ろうとしていたのだ。なぜなら、彼に言わせれば、私はまだ無罪放免ではなかったから。

『医者も看護師も一緒になって尋問…「長時間の拷問」で倒れた女性が運ばれた「イラン刑務所の病院」がヤバすぎる』へ続く

医者も看護師も一緒になって尋問…「長時間の拷問」で倒れた女性が運ばれた「イラン刑務所の病院」がヤバすぎる