写真提供:ソフトバンク


 日本を代表する通信キャリアの一つ、ソフトバンク。だが、同社の事業は通信だけではない。日本の企業、そして日本社会の変革を側面から支援するエンタープライズ事業(法人事業)が成長を続けている。本連載では、『ソフトバンク もう一つの顔 成長をけん引する課題解決のプロ集団』(中村建助著/日経BP)から内容の一部を抜粋・再編集。多くの関係者への取材に基づき、ソフトバンクの次世代の成長の原動力となる法人事業の概要、目指す未来、企業文化に迫る。

 第5回は、ソフトバンクの新規事業をけん引するデジタルトランスフォーメーション本部(DX本部)の成り立ちを解説する。
(文中敬称略。社長、CEO/COOに関しては代表取締役を、所属部門が複数階層に及ぶ場合は一部を省略したケースがあります。本書は、役職、組織名などに関して、予定を含め2024年2月末時点で公開された情報を基にしています)

<連載ラインアップ>
■第1回 世界初でANAがiPadを大量導入、ソフトバンクが支える航空会社のDXとは?
■第2回 孫正義の「タイムマシン経営」の気風が生きる、ソフトバンクの法人事業の原動力とは?
■第3回 ソフトバンク式、EXを圧倒的に向上させる「DW4000プロジェクト」とは?
■第4回 ソフトバンクの本社東京ポートシティ竹芝、フルスペックの5Gを使ったスマートビルで何ができるのか?
■第5回 「これからは一切通信サービスを売るな」ソフトバンクDX本部の新たな事業の発想とは?(本稿) 
■第6回 断水の続いた珠洲市、七尾市に手洗いスタンドを設置、ソフトバンクが「ビジネス」として挑む社会課題の解決とは?
■第7回 2万人の従業員にソフトバンク版AIチャットを導入、全社員を巻き込んだ生成AI活用コンテストとは?(9月30日)

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『』(日経BP)


「これからは一切通信サービスを売るな。いろいろな企業とタイアップして、日本の社会課題を解決するソリューションや事業を作れ」

 2017年10月、営業やエンジニアを中心に120人の精鋭を集め、デジタルトランスフォーメーション本部(DX本部)をスタートさせた時、「これまでとは全く異なる新たな発想で考えてほしい」という意味を込め、2023年度末まで副社長執行役員兼COOとして法人事業を統括した会長の今井康之はメンバーにこう檄(げき)を飛ばした。

 DX本部設立の目的はどこにあったのか。「通信の売り上げだけではいつまでも成長することはできません。専任の組織で全く新しいことをやろうということです」と今井は話す。

 法人事業の関係者を騒然とさせたDX本部はこうスタートした。多くの日本企業は小規模に新規事業をスタートさせる。スタート時点で一気に120人を集めるスタイルはいかにもソフトバンクらしい。人数に根拠はない。大きなことをやろうというのだからふさわしい陣容をそろえたのだ。

一堂に会した発足当時のDX本部メンバー
出所:ソフトバンク


 ソフトバンクでは、モバイル端末のモノ売りからソリューションを軸にしたコト売りに法人事業の変革を進めている。営業のコンサルタント化も同じ文脈で理解が可能だ。

 いくら売り方を変えても、既存商品だけでは限界がある。法人事業の規模拡大、社会への影響力を高めるためにどうするかを考えるうちに出てきたのがソフトバンクの新規事業を専門で考えるDX本部の設立だった。

「クラウドの販売やコンサルタントの育成を通じ、その経験や知識を組み合わせ、アプリやサービスを企画・構築・販売するような新しい事業を作る部署が必要だと考えるようになりました」と今井は語る。

 設立時点から現在までDX本部の本部長を務める執行役員の河西慎太郎が初めて新規事業の大型部隊の責任者を打診されたのは、設立5カ月前の2017年ゴールデンウイーク明けのことだった。「営業の仕事を楽しんでいました」と言う河西は「安定的な世界から超不安定な世界」に自らの舞台を変えることが決まった。

■ 優秀な営業、エンジニアが右往左往

 ただ集められた120人が優秀だったのはあくまで営業やエンジニアとしてだ。新しい事業を生み出すセンスを持っていそうかどうかが選抜の基準だったというが、30代のまだ若手に近いメンバーも多く新規ビジネスはもちろん、アプリやサービスを作った経験はない。

 それどころか「事業を進めるための社内のルールもはっきりしていなければ、新規事業開発に必要な知識を身に付ける教育コンテンツもありませんでした」と河西は振り返る。

 竹芝への本社移転前、スタートアップも多く利用するシェアオフィスに集められたものの、設立当初は雲をつかむような日々が続いた。その後は右往左往の連続だ。組織の設立からの半年程度で400を超すアイデアが出てきたが、ゴーサインはほとんど出なかった。

 河西は「身近な課題を解決するという意味では事業として成立しているものはいくつもありました。ですがどれもニッチで小さいんです。ソフトバンクがやる必然性はあまり感じませんでした」と言う。

 年末年始も頭を絞り続けたという河西は2018年の2月ころ「このままでは無理だ」と覚悟を決める。悩むなかで、ふと頭をよぎったのがソフトバンク・ビジョン・ファンドの動きだった。日本国内に目を向けた発想には限界がある。誇るべき文化や制度と同時に日本の抱える課題の分析からスタートし、改めて新規事業のアイデアを導き出す方針が固まった。

■ 「社会課題解決」という軸が浮かび上がる

 結果、浮かび上がってきたのは少子高齢化という日本に突き付けられた根本的な社会課題だ。財源、労働力の不足も少子高齢化の解決を避けて通れない。同じころ、河西は「ソフトバンクさんもお金もうけだけでなく、社会の役に立つことを少しは考えていいのではないか」とある顧客から、なかば冗談めかした調子で諭されたことがあった。

「もっと社会のために汗をかいてもいいんじゃないか」。この思いがきっかけとなって社会課題解決というDX本部の基本方針が決まった。社会課題という大きな相手がビジネスなのだからニッチなものにもなりようがない。社会課題解決に沿わないアイデアはこの時点でクローズしていった。

 一言で社会課題解決といっても幅広い領域が対象になる。全てができるわけではない。河西は規模が大きいにもかかわらずデジタル化の余地が大きそうな4つの業界をピックアップして、どんな新規事業があり得るかを考えたという。具体的には、ヘルスケア、小売・流通、建設・不動産、金融だ。少しずつ足がかりが見えてきた。

 ただソフトバンクはゼロから内製するよりも、面白いもの、ヒットしそうなものに目を付けて一気に拡販するのが得意な会社だ。だがプロダクトアウトの発想で、既存の商品やサービスありきでは新規事業と相性が悪い。自分の頭だけで考えるアイデアにも限界がある。頼りになるのは自分たちの行動力と好奇心、構想力だ。

 DX本部の面々は、社内外から人を集めたワークショップの開催、リアルイベントへの参加を足がかりにしたスタートアップ企業との関係構築など、足を使いながら外部の企業との「共創」を前提とした新規事業が成立するかを考えていった。

 社内の経験とリソースでは限界がある。これまで自分たちが付き合ってきた大手企業顧客こそが有望な共創の相手だと気付くのは少し先の話になる。

 営業からDX本部に異動してきたある人物の記憶に今でも残るのは河西から言われた「相手先に訪問ばかりするのではなくて、こちらに呼んでWin-Winを考えろ」という言葉だ。

 営業時代はとにかく顧客ファースト。だが共創で新規事業となれば対等のパートナーになる。全てのステークホルダーにビジネス上のメリットがなければ、持続的な事業にならない。こうやって営業マインドからの転換が進んでいった。

 もともと優秀な社員の集まりだ。法人事業でもまれた行動力もある。試行錯誤を繰り返すうちに、社会課題解決につながる新規事業のアイデアが生まれ始めた。ただ手応えを感じてからがまた一苦労だ。

 2週間に1度開かれていたDX本部主催の「新規事業審査会」に企画の是非がはかられる。河西の眼鏡にかなわなければ、別の事業を考えるか、練り直して再度提出する必要がある。最後の関門は統括役員の今井だ。「最終的に認めてもらえるようになるまで、何度もダメ出しを食らいました」と前記の社員は当時の苦労を思い出す。

■「3年間は売り上げゼロで構わない」

 河西は「最初の3年間は売り上げゼロで構わない」とDX本部の全員に伝えたという。とはいえ精鋭を集めた部隊だ。1年が過ぎるころには、社内から「あれだけ優秀な人材を集めて何をやっているんだ」といった声も聞こえ始めた。肩身の狭い思いを感じながら、河西は将来にかけた。

 実際に4年目から共創型の新規事業で売り上げが生まれ始める。すでに終了したものを含めれば、2023年3月時点で25の新規事業が誕生している。

社会課題解決に向け25の新規事業を創出。図は代表的なもの
出所:ソフトバンク


 現状では、ヘルスケア、社会インフラ、建設・不動産、保険、小売・流通などのカテゴリーまで対象は広がった。建設・不動産や小売・流通といった業界は深刻な人手不足に直面する。社会課題解決に直結する事業が多い。

 具体例を挙げるなら、ヘルスケアテクノロジーズが運営するヘルスケアアプリの「HELPO」やスマートオフィスの実現を支援するアプリの「WorkOffice+」、AI(人工知能)需要予測の「サキミル」、資本・業務提携するWOTA(ウォータ)を手がける自律分散型の水循環システムなどのサービス、あるいはリードインクスによるフィンテックを活用したデジタル保険商品の開発・販売支援などになる。

 直近では2023年12月に、日建設計と合弁で上流からスマートビルの設計支援を推進し、そのためのアプリや「ビルOS」と呼ぶ仕組みを提供するSynapSpark(シナプスパーク)を設立した。

<連載ラインアップ>
■第1回 世界初でANAがiPadを大量導入、ソフトバンクが支える航空会社のDXとは?
■第2回 孫正義の「タイムマシン経営」の気風が生きる、ソフトバンクの法人事業の原動力とは?
■第3回 ソフトバンク式、EXを圧倒的に向上させる「DW4000プロジェクト」とは?
■第4回 ソフトバンクの本社東京ポートシティ竹芝、フルスペックの5Gを使ったスマートビルで何ができるのか?
■第5回 「これからは一切通信サービスを売るな」ソフトバンクDX本部の新たな事業の発想とは?(本稿) 
■第6回 断水の続いた珠洲市、七尾市に手洗いスタンドを設置、ソフトバンクが「ビジネス」として挑む社会課題の解決とは?
■第7回 2万人の従業員にソフトバンク版AIチャットを導入、全社員を巻き込んだ生成AI活用コンテストとは?(9月30日)

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筆者:中村 建助