Photo:EPA=JIJI

写真拡大

あまりにモーレツな働きぶりから、かつては「狂セラ」とも揶揄された京セラ。しかし「経営の神様」稲盛和夫氏によるマネジメントの根底には、単なるブラック企業とは一線を画す、血の通った哲学があった。「京セラ」と「京セラ風」企業との決定的な違いとは?(イトモス研究所所長 小倉健一)

「狂セラ」断罪は一面的

 京セラやKDDI(当時DDI)を創業し、日本航空を復活させたことで「経営の神様」と呼ばれた稲盛和夫氏は、その卓越した経営手腕で知られている。昭和の時代の話であるが、京セラの業績は絶好調であり、そのオフィスは夜中になっても明かりが消えることはなかった。

 このため、「京セラは狂セラ」と揶揄されることもあった。しかし、当時の時代背景を考えると、「モーレツ社員」という言葉が褒め言葉として使われていたことなどから、現在の価値観で一方的に断罪することは適切ではないだろう。

 それでも、当時の人々でさえ京セラの社員の猛烈な働き方には驚かされる部分があったのである。稲盛氏のリーダーシップの下で、社員たちは自らの仕事に全力を尽くし、昼夜を問わず努力を惜しまなかった。このような姿勢が、京セラの驚異的な成功を支えたのだ。

 現在から振り返ると、その働き方は常軌を逸しているように見えるかもしれないが、当時の価値観と社会状況を考慮すれば、京セラの成功にはそのような努力が必要だったのである。

 結局のところ、京セラの成功とその背後にある社員たちの献身的な働き方は、稲盛氏のビジョンとリーダーシップによるものであり、その評価は時代を越えて見直されるべきである。京セラの歴史は、単なる過去の成功例ではなく、現代の企業経営にも多くの教訓を提供しているのである。

 今回は、なぜ稲盛氏が率いた創立当初の京セラにおいて、社員たちは自分から進んで「仕事の鬼」となったのかを述べたい。

続きはこちら(ダイヤモンド・オンラインへの会員登録が必要な場合があります)