発売40周年「カップヌードル シーフードヌードル」が“夏の定番商品”として訴求する背景にカップ麺ならではの市場特性、1984年7月23日発売【食品産業あの日あの時】

日清食品はこの夏、発売40周年を迎えた「カップヌードル シーフードヌードル(以下「シーフードヌードル」)」のアピールを強化している。7月1日から「カップヌードル レッドシーフードヌードル」「日清のどん兵衛 カップヌードルシーフードうどん」「日清焼そばU.F.O. カップヌードルシーフード焼そば」の3品を「シーフードトリオ」として発売。あわせて定番の「シーフードヌードル」も40周年記念ロゴをあしらった夏季限定パッケージに切り替え中だ。

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1984年7月23日の発売以来、日清食品は「シーフードヌードル」を夏の定番商品として訴求し続けている。2017年の夏には海のない群馬県に「海の家」を期間限定でオープン。昨年はボカロPのゆこぴによる楽曲「強風オールバック」とコラボした自虐的なCMも話題となった。

ところで、なぜ「シーフードヌードル」といえば夏、なのか。その背景にはカップ麺ならではの市場特性がある。気温の上昇する夏場は、どうしても温かい“汁物”の売上が伸び悩む。そのため各社は毎年、夏季に向けて新製品やスープの無い焼きそばを投入し市場の活性化を図るのが恒例となっている。

「カップヌードル」も例外ではなかった。日清食品は1981年8月には「チキンヌードル」を、1982年8月には「チリトマトヌードル」を、そして1983年7月には「ポークチャウダーヌードル」を投入したものの定着には至らず、1983年まではCMでも「夏こそカレー」という訴求を行っている。

カップ麺にとって鬼門とも言える夏を攻略し、「オリジナル(しょう油味)」、「カップヌードル カレー」に次ぐ第三の柱を打ち立てるべく開発されたのが「シーフードヌードル」だった。具材にはイカ、カニ風カマボコなどのシーフードを用い、魚貝類のエキスを使ったスープと組み合わせ、紅ショウガなどを加えることでさわやかな後味に仕上げた。

発売当初のキャッチコピーは「海はひろいなおいしいな」。CMでは「新発売」のノボリを掲げたヤドカリが白い砂浜を歩んだ。おりしも当時は団塊ジュニア世代(1971〜74年生まれ)の成長期。同年には各社からも「ニューQuick-1」「青春という名のラーメン」(ともに明星食品)「L.L.ヌードル」(東洋水産)、「中国野菜ヌードル好(ハオ)」(エースコック)といった新製品が投入され、さながらタテ型カップ麺戦争の様相を呈していた。

前年に企業ロゴを刷新したばかりの日清食品はこの年、ブランド確立のため広告展開をいっそう強化。中でも大沢誉志幸の『そして僕は途方に暮れる』をBGMに、少女が目を閉じカメラに向かってキスをする一連のブランドCM(1984〜1985)は、「カップヌードル」独特の世界観の確立に大きな役割を果たした。

他社のカップ麺との比較ではなく、「カップヌードル」の中でどの味を選んでもらうか、という日清食品の戦略はついに花開く。当時の業界専門紙の報道によれば「シーフードヌードル」は発売後半年で約70億円を売り上げ、翌1985年には「オリジナル」に次ぐ「カップヌードル」の看板商品へと成長。一般社団法人 日本即席食品工業協会の統計でも同年の国内カップ麺生産量は大きく伸長し、過去最高(当時)の20億1000万食を記録している。

ちなみに、同年の国内の海水浴客数は過去最多の約3790万人(日本生産性本部「レジャー白書」)。杉山清貴&オメガトライブの『ふたりの夏物語 -NEVER ENDING SUMMER-』がヒットし、ロックバンドTUBEが『ベストセラー・サマー』でデビューするなど、今よりも夏の海でのレジャーが身近に感じられた時代だった。

「シーフードヌードル」登場から40年。前出の「レジャー白書」によれば、国内の海水浴客は2015年には約760万人にまで減少し、海水浴場も減少の一途をたどっている。こうした“日本人の海離れ”に向き合ってのことかどうかはわからないが、日清食品は2016年から「シーフードヌードル」のグローバル展開を強化している。

現在、同社は米国、中国、ベトナム、タイ、ブラジルなど10ヶ国以上で「シーフードヌードル」を販売。なかでもフィリピンでは特に人気が高いようで、日本からの土産物としても定番となっているそうだ。世界の夏をこれからどう盛り上げてくれるのか、日清食品のチャレンジは続く。

【岸田林(きしだ・りん)】