昨年から始まった、高校での「金融教育」。しかしその実態は「投資教育」となっており、日本の子供たちへの大きな悪影響が懸念されるという(画像:metamorworks / PIXTA)

「お金の本質を突く本で、これほど読みやすい本はない」

「勉強しようと思った本で、最後泣いちゃうなんて思ってなかった」

経済の教養が学べる小説きみのお金は誰のため――ボスが教えてくれた「お金の謎」と「社会のしくみ」には、発売直後から多くの感想の声が寄せられている。本書は発売3週間で5万部を突破したベストセラーだ。

著者の田内学氏は元ゴールドマン・サックスのトレーダー。資本主義の最前線で16年間戦ってきた田内氏はこう語る。

「みんながどんなにがんばっても、全員がお金持ちになることはできません。でも、みんなでがんばれば、全員が幸せになれる社会をつくることはできる。大切なのは、お金を増やすことではなく、そのお金をどこに流してどんな社会を作るかなんです」

今回は、昨年から高校のカリキュラムに取り入れられた「お金の教育」の大きな弊害を解説してもらう。

子供たちに「投資すること」を教える意味

「うちも投資したほうがいいのかな」


サトミの言葉に、夫はアジフライを箸に挟んだまま、ぽかんと口をあけている。いつもの彼女らしからぬ発言だったからだろう。

病院勤務のサトミは、これまで“投資”とは無縁の生活を送ってきた。NISAが来年から拡充されるという話も、自分には関係ないと思っていた。ところが、今日の昼休みに同僚たちが投資の話をしているのを聞いて、妙な焦りを感じた。

食卓の沈黙を破ったのは高校2年生になる娘の言葉だった。

「来月、誰か来るらしいよ」

彼女の人差し指が、食卓の隅に置かれた“学校便り”をさしている。

サトミがその紙を広げると、来月の講演会について書かれていた。投資にくわしい講師が全校生徒向けに投資の話をしてくれるそうだ。

学校で投資の講演を聞くというのは違和感を覚えたが、これからの時代、投資もわからないようでは生きていけないということなのだろう。

「しっかり聞いてきて、ママにも教えてよ」

サトミは本心から娘にお願いした。

昨年から高校の家庭科で、金融教育が始まった。この金融教育について文科省の指導要領を読むと、投資について書かれていることはごくわずかでしかない。

ところが、銀行などの金融関係者たちは「高校でも投資教育が始まった」と言って張り切っている。若い顧客を囲い込もうとでも思っているのだろうか。彼らのせいで、教育者も含めて金融教育=投資教育だと勘違いしている人たちも多い。実際に、サトミの娘の通う学校のように、特別講師を呼んで投資を教えている学校も少なくない

なぜ外資系金融機関が首相を「接待」するのか

さて、場所は変わって、迎賓館赤坂離宮。

バッキンガム宮殿やヴェルサイユ宮殿を参考に建てられたこの建物は、現在では世界各国の賓客をもてなすために使われている日本の迎賓館である。

先月10月5日、この迎賓館で夕食会が開かれた。世界の機関投資家が集まったこの夕食会に参加した岸田首相は、海外の投資マネーを日本に呼び込むと張り切っている。

日本のためにリーダーシップを発揮しているように見えるのだが、いささか様子がおかしい。この夕食会の主催者は岸田首相ではなく、アメリカの資産運用大手ブラックロックなのだ。つまり、岸田首相は客人として呼ばれていたのである。

個人レベルでも国レベルでも「投資」という単語をよく聞くようになった。「貯蓄から投資へ」は、国民の資産所得倍増を目指す政府のスローガンになっている。

銀行に眠っている預金が投資に回れば、日本経済はいっきに回復すると主張する人は多い。そして、その実現のために投資教育をすすめてマネーリテラシーを底上げする必要があるという。

投資教育で日本が回復するなら嬉しい話だが、残念ながら実態はまったく異なる。その主張をする人たちこそ、マネーリテラシーを上げるべきだ。彼らの考える投資教育とは、「投資をする側」だけの偏った教育だ。この教育が日本の凋落をさらに加速させることは必至だ。

この20年ほど、アメリカでは情報技術への投資が盛んだった。GoogleなどのいわゆるGAFAがアメリカの株価を押し上げたのは紛れもない事実だ。

GAFAの先頭にあるG、Googleという検索エンジンを開発したのは、ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンの2人。開発当時、彼らはまだスタンフォード大学の学生だった。

1990年代にインターネットが普及し始めたころ、インターネット上の検索エンジンの精度は低く、検索ワードと関連の少ないページが検索結果の上位に表示されることが多かった。

その不便さを解消しようと彼ら2人が立ち上がった。彼らの研究が評価されたことで、投資マネーが集まった。多くの人を雇うことができて、Google Mapなどのさまざまな製品を開発することに成功した。彼らのように、社会に存在する不便さや問題などの解決に取り組もうとする人がいるから、社会は暮らしやすくなっていく。

そして、世界の大富豪の上位は、そのほとんどがこの2人のような起業家たちだ。彼らは「投資する側」にいて、お金をもうけたのではない。自分たちで問題を解決しようとして、「投資される側」に回ったのだ。今でもスタンフォード大学では優秀な学生ほど起業家を目指すそうだ。

お金ではなく「若い時間」を投資する

私が先日上梓した経済教養小説『きみのお金は誰のため』では、投資銀行で働く七海が、投資への誤解を反省するシーンがある。

「投資の目的は、お金を増やすことだとばかり思っていました。そこまで社会のことを考えていませんでした。大切なのは、どんな社会にしたいのかってことなんですね」

苦笑いで恥ずかしさを隠す彼女に、ボスが優しく声をかける。

「そう思ってくれたんやったら、僕も話した甲斐があったわ。株価が上がるか下がるかをあてて喜んでいる間は、投資家としては三流や。それに、投資しているのはお金だけやない。さっきの2人は、もっと大事なものを投資しているんや」

ボスは七海と優斗を順に見つめてから、ゆっくりと続けた。

「それは、彼らの若い時間や」

『きみのお金は誰のため』152ページより

残念だが、現在の日本の投資教育を受けていると、「投資=お金を増やすこと」だとインプットされる。投資の実態を知らなければ、「投資される側」に回ろうとする発想も浮かばない。

働けなくなった高齢者が投資をしてお金を増やそうとするのはわかるが、問題を解決するために「投資してもらう側」になるべき若者に、アメリカ株への投資を教えることがいかに馬鹿げているかは明らかだろう。小説に書いたように、お金ではなく「若い時間」を投資することが重要なのだ。もちろんお金が余っているのなら、「投資する側」に回るのもいいだろう。しかし、「投資される側」の存在を教えていないのは危機的状況だ。

そして、国レベルでも同じ過ちを犯している。

昨年、資産所得倍増計画を掲げた時はまだよかった。スタートアップを育成することにも力を入れようとしていた。「投資する側」だけでなく「投資される側」も育てることができれば、日本にGoogleのような会社を作ることも可能だ。

ところが、最近では「資産運用立国」と言い始め、投資するお金が増えれば成長できると言い始めた。投資するお金が増えたところで、投資される側がいなければ何も生み出さない。

個人の資金で日本株を買っても、大企業が新しく株を発行でもしないかぎり、その資金が企業に流れることはない。株の購入に支払った100万円は、その株を売った株主に流れるだけなのである。

「海外投資」が日本の将来に陰を落とすわけ

さて、岸田首相は海外の投資マネーを呼び込むと言っているが、お願いされる側のブラックロックが迎賓館での夕食会を主催したというのは不自然だ。ブラックロックが期待しているのは、日本の1000兆円以上のお金が「貯蓄から投資へ」流れることだろう。そうなれば、彼らの運用するお金も増え、手数料が彼らの懐へと入っていく。日本を代表する岸田首相は大事なお客様なのだ。

そもそも海外の投資家に投資してもらうこと自体が不自然だ。仮に、日本の企業が投資マネーを求めていたとしても、1000兆円の預金が眠っているのだから、わざわざ海外の投資マネーを呼ぶ必要などない。何度も繰り返すが、日本に足りないのは投資マネーではなく、新しい製品やサービスを生み出そうとする人たちの存在だからだ。

「何を言っているんだ。多くのお金が日本の株に向かえば、株価が上がるじゃないか」という人たちもいる。それもまた馬鹿げた話だ。

NISAには年間の上限がある。1年で1000兆円の預金が日本株などの投資へ流れることはない。ゆっくりと日本株の購入が進んでいく。あらかじめ株の購入がわかっていれば、海外の投資家は先回りして株を買っておく。国内の預金や海外の投資マネーによって株価は上がるだろう。値上がりしたところを、来年、再来年にNISA枠で株を買い続ける日本人に売ればいいのだ。こんなに簡単なゲームはない。

そして、日本の預金は海外への投資にも向かう。これもまた問題だ。

アメリカにはスタンフォードを出て起業した人たちや、ドル資金を必要とする新興企業がごろごろいる。彼らに資金を提供するためには、ドルを購入することになるから、さらに円安が進むことは避けられない。

そして、その投資が成功するとき、アメリカには第2、第3のGoogleやAppleが生まれている。投資ではもうかるかもしれないが、消費者は今まで以上にアメリカから輸入をしないといけなくなる。そこまで岸田総理はわかっているのだろうか?

新しい製品やサービスを作ろうとする若い人たちが育たなければ、国内産業はどんどん衰退していく。岸田総理は「お金」が投資できる環境を整備しようとしているが、それよりも重要なのは、若い人たちの「時間」が投資できるような環境を整えることだ。「投資される側」になることを金融教育で教える必要がある。

先日、自民党の西田昌司議員が興味深いYouTube動画をあげていた。“岸田総理に今すぐ読ませたい!!「きみのお金は誰のため」”というタイトルの動画だ。

総理にはいち早く読んでもらいたいものである。

(田内 学 : 元ゴールドマン・サックス トレーダー)