(写真:shu/PIXTA)

厳しい競争社会で誰もが勝者になれるわけでもない時代をどう生きればいいのか――。松浦弥太郎さんが提案するのが「エッセイストという生き方」です。エッセイを通して日々の暮らしや自分自身との向き合い方を考える書籍『エッセイストのように生きる』より、一部抜粋・再構成してお届けします。

「ドクター・ユアセルフ」

エッセイについてあらためて考えているタイミングで、ひょんなことからある言葉に出会いました。それが、「ドクター・ユアセルフ(Doctor Yourself)」。

同名の洋書で知った言葉ですが、出会った瞬間、心にあかりが灯ったような気持ちになりました。僕がこれまで考えてきたこと、してきたことに、すてきな言葉を与えてもらったなあと感じたのです。

「ドクター・ユアセルフ」─あなた自身の医者であれ。

この言葉を僕なりに解釈すると、自分を客観視して、コントロールすることで、ほんとうの意味で健康的に生きていこうということです。

身体で言えば、医者や薬、手術といった医療に頼りきるのではなく、日々の生活や食事、睡眠、運動といった自分の活動によって健康を維持する。

心で言えば、だれかがしあわせにしてくれると期待するのではなく、本を読んだり、おしゃべりしたり、はたらいたり、ほんとうに大切なものと暮らしたりと、日々の中に自分なりのしあわせを見つけることで健康を維持する。

つまり「ドクター・ユアセルフ」とは、自分の人生に責任を持ってよりよく生きていこうとする言葉なのです。

エッセイストとしての生き方は、こうした生き方にとても近いと感じます。この言葉について知れば知るほど、これまで無意識に「ドクター・ユアセルフ」してきたんだなあとしみじみ思いました。

自分を見つめつづけてきたから、どんなときに身体や心の調子がよく、どんなときにバランスを崩してしまうのかを把握できるようになった。

気づきを、日々の行動に落とし込むことができた。

その積み重ねで、自分にとってなにが大切で、なにがしあわせで、なにが豊かさなのかを理解できるようになった。

自分自身を深く知り、ケアという名の「ドクター・ユアセルフ」してきたことで、身体と心の健康を守れるようになったのです。

エッセイストとして日々書くこと

エッセイストとして日々考え、書くことは、マラソンに近いと感じます。

走りはじめたころは、とても寒い日や暑い日なんかは「ああ、いやだなあ」「大変だなあ」と思うこともありました。

けれど、自分を鼓舞して走ってみると、すっきりします。つづければコンディションもよくなります。もちろん体力や筋肉もついてきます。次第に、走らないと気持ち悪くなってくる。身体が思いどおりに動くことは、すべての活動のベースにもなっています。

「はじめは大変だけど、やってみるといいこと尽くし」で、「なくてはならない存在になる」、そして「自分の基盤になってくれる」。

いろいろな点で、マラソンとエッセイはよく似ています。

「ドクター・ユアセルフ」できる自分になる。─これが、「エッセイストとしての生き方」のひとつのゴールと言えるかもしれません。

人生の岐路で、正しく判断できる

「ドクター・ユアセルフ」ができるようになると、人生の分岐点でも冷静に歩を進められるようになります。

じつは2022年は、僕にとって大きな決断をした年でした。

2015年に『暮しの手帖』の編集長を退いてから、松浦弥太郎の名前で一生懸命にはたらいてきました。だれかのお役に立ちたいという気持ちからでしたが、正直なところ「もっとがんばらなければ」という気持ちもゼロではなかったのです。

そしてあるときふと、「このままいくと、なにもかもが経済活動になっていく」と気づきます。でも、そのとき湧いてきたのは、うれしさや誇らしさではなく「ほんとうにいいのか?」という気持ちでした。

そこで、いったい自分はどう生きていきたいのか、深く考えました。あらためて自分と向き合い、問うた。その結果、「人生において必要以上の経済活動をしない」と決め、その道をぱっと手放すことにしたのです。

この決断をするまで、実際に考えた期間はほんのわずかです。

それができたのは、エッセイストとして日々を積み重ねてきたからこそ。

ずっと考えつづけてきたからだと思います。

自分の身の丈に合わない暮らしはしない

エッセイストとして僕は、たとえば「お金」や「投資」について考え、エッセイを書きつづけてきました。だから「お金や地位が最優先ではない」ということも、自分にとっての「ちょうどいい暮らし」がどんなものかもよくわかっていた。

また、人間の弱さへの理解も深まっていました。若いころは「お金ごときで自分は変わらない」と高をくくっていたけれど、人間というものを知れば知るほど「お金を持っても変わらずにいることはかんたんではない」と思うようになっていった。「僕もきっと悪いほうに変わってしまうだろうなあ」と素直に思えました。

人生の分岐点でエッセイストとして見つけてきた「秘密」たちをかき集め、どう生きるかを真剣に考えた結果、「自分の身の丈に合わない暮らしはしない」と決断できたのです。

いま、自分にとって心地いい豊かさを維持できていて、毎日がしあわせです。

エッセイストとして生きてきたことで、大事なときに自分で自分を守ることができた。「ドクター・ユアセルフ」を実践できたなあと感じています。

全肯定で生きていく

「エッセイストとしての生き方」において、日々僕の心を落ち着かせてくれるのが「全肯定」の姿勢です。

自分に起きているすべてをそのまま認めること。意味や価値があると考えること。

この全肯定の生き方ができるようになると、自分にまとわりついていた生きづらさがほどけていきます。自分の中にネガティブな感情が生まれにくくなり、生まれてしまったネガティブな感情もすっと溶かせるようになるのです。

これまで僕は、さまざまな国や時代のエッセイを読んできました。テーマも筆致もさまざまですが、おもしろいことに、ほとんどのエッセイは最終的に「感謝」に行き着きます。

もちろん直接的に「ありがたいと思った」と書かれていることはほとんどありません。でも、どんなに悲しいことやつらいことが描かれていても、結局は生の肯定、「ありがたい」が立ちあらわれてくるのです。

僕もそうです。暮らしの中で感情が動き、それをていねいに読み解いていくと、かならず感謝に行き着きます。「うれしい」「たのしい」といったポジティブな感情はもちろんのこと、「悲しい」「悔しい」などのネガティブな感情でも同じです。

こんなことを言うと悟りを開いているように思われるかもしれません。でも、違います。「そう思おう」と努力しているわけでもありません。

「すべてのできごとには学びがある。だから、その学びに感謝する」ということなのです。

「なぜ、あの人のあの言葉にあんなにイライラしてしまったんだろう」というとき。

暴飲暴食して憂さ晴らしをしたくなるかもしれませんが、それは「考えるのをあきらめる」ということです。

ぐっとこらえて一度立ち止まってみる。相手ではなく自分に、静かに目を向ける。

すると、さまざまな発見があります。自分が許せないものをあらためて確認したり、子どものころの似た経験を思い出したり、あまりイライラしない人と自分との違いについて考えたり。だんだんと、自分への理解が深まっていきます。

「ああ、そうか」と思えることがひとつでもあると、プラスの経験になる。

「あのイライラのおかげで気づくことができた。いやなできごとだと思ったけれど、ありがたいな」と思えるのです。

すべてのことに意味があり、学びがある

事故に遭って骨折してしまったとしても、同じです。不自由な身体を持つ日々で感じたことや考えたことには、きっと発見があるでしょう。あるいは「死」について自分なりの考えが深まり、価値観ががらりと変わるかもしれません。

最終的には、「ありがたい経験だったな」と思えるわけです。

こうして「すべてのことに意味があり、学びがある」ということがわかっていくと、どんなにつらいことも、いやなことも、腹立たしいことも、ありがたいものとして肯定できるようになります。

さらにエッセイを書くことが習慣になっていれば、どんなできごとが起こっても「エッセイの種になる」と前向きにとらえられるようにもなるでしょう。あたらしい「秘密」を見つけることができそうだ、と。

だからこそ、まだ感情がたかぶっているときに書くのでは早いのです。

夫婦喧嘩も肯定することができた


『今日もごきげんよう』(マガジンハウス)という僕のエッセイ集にある「夫婦喧嘩」という一篇。タイトルどおり、いま読むと笑ってしまうような日常の些細な喧嘩の様子がありのままに描かれています。

けれどその喧嘩の描写のみで終わらせるのでは、エッセイとは言えません。そこからコミュニケーションや夫婦関係について考えをめぐらせ、自分なりの発見に落とし込んで、はじめてひとつのエッセイになっていきます。

もし、腹を立てている最中や仲直りする前に「こんなことがあって腹が立って……」と書いていたら、なにも理解できないままで、感謝にまでたどり着くことはできなかったでしょう。落ち着いて考えたうえで筆を執ったからこそ、「ありがたいな」と肯定することができたのです。

「全肯定」で生きる。

エッセイストは、いやなことも前向きに味わい尽くせる生き方なのです。 

(松浦 弥太郎 : エッセイスト)