「やっと3Dツールが紙とペンのような存在になる」エヴァ制作のカラーがBlenderへの移行を進める理由とは?(西田宗千佳)
株式会社カラー(以下、カラー)といえば、ご存じ庵野秀明氏が代表を務める映像企画・制作会社だ。現在は2020年6月公開に向け、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を制作中である。

そんなカラーが、7月30日、短いプレスリリースを出した。

タイトルは「Blender開発基金への賛同について」。オープンソースの3DCGツールである「Blender」の開発を進めるBlender財団に賛同、開発資金の提供を含めて協力する、というものだ。

もちろん、単にお金を出すだけではない。

カラーとアニメ・CG制作会社の「プロジェクトスタジオQ」では、社内での主力CG制作ツールをBlenderに切り換えるべく準備を進めている。制作中の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の一部にも、Blenderが使われる予定だという。

なぜ、カラーはオープンソースのBlenderへとツールを切り換えようとしているのか? 今回はその真意をカラーに聞いてみた。

アニメ制作を悩ませる「ツールコスト」問題


現在のアニメ制作に、3DCGは欠かせない。ピクサーやドリームワークスの作る「いわゆるCGアニメ」でなくとも、各シーンの中に3DCGによる作画が含まれるのはあたりまえのことだ。人の手による作画と3DCGとが共存することで、作品制作の効率化と品質アップに寄与している。

特にカラーは「手描きと3DCGのハイブリッド」に積極的な会社だ。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズもその方向性で作られている。また、2017年にはカラー・ドワンゴ・麻生専門学校グループの3社合弁で、アニメ・CG制作を中心とした映像作品制作および人材育成にも注力する「プロジェクトスタジオQ」(以下、スタジオQ)を設立したのも記憶に新しい。

そんなカラーだが、これまではメインのCGツールとしてAutodesk社の「3ds MAX」を採用してきた。実は、進行中のプロジェクトである『シン・エヴァンゲリオン劇場版』でも、主軸になっているのは3ds MAXだ。

だが、あえて今、同社は3ds MAXからBlenderに移行しようとしている。

ツールの移行と聞くと、「ツールそのもののクオリティや機能が違うから」というイメージを持つかもしれないが、そういう話ではないのだ。

カラー取締役デジタル部部長で、スタジオQの代表取締役社長も務める小林浩康氏と、カラーデジタル部CGI監督兼スタジオQ制作部部長の鬼塚大輔氏は、今回の事情を次のように説明する。

小林氏:簡単に言ってしまうと、規模的に3ds MAXという1種類のツールでやっていくのが難しくなっているんです。



▲カラー取締役デジタル部部長兼、スタジオQ代表取締役社長 小林浩康氏

鬼塚氏:弊社はこれまでずっと3ds MAXを使っていました。一方で、作品を制作するのに弊社のスタッフだけでは、スタジオQの人員を合わせても人手が足りません。協力会社の方々と共に作品制作を進めることになりますが、3ds MAXをメインで導入しているスタジオは中規模から小規模の会社が多く、人数を確保するために依頼する会社の数が増えてしまい、管理コストが高くなってしまいます。

この点については若干解説が必要かと思う。

3ds MAXはAutodeskからサブスクリプション形式で提供されているソフトウェアである。だが、業務用ツールだけあって利用料金が高い。Autodesk社のサイトによれば、1人分の場合で年間25万4880円。複数年や複数人数による多少のディスカウントはあるが、高価であることに変わりはない。一定以上の規模がある会社の場合、人数が多くても、その分売り上げが大きいため、この価格でも対応できる。

しかし、20〜30名の規模が小さな会社では、全員が3ds MAXを使うと採算が取れなくなってしまう。

アニメ制作の現場ではスタジオや作品によって使われているツールが異なり、ツールを統一しないとアセット(モデルデータやアニメーションデータなど、映像を作るために必要な素材のこと)の使い回しができず、制作効率が落ちる。そのためどうしても「使っているツールから一緒に働く人を選ぶ」状態になっているという。

3ds MAXは優れたツールであり、世界全体を見渡すとスタンダードなツールの1つではあるものの、コスト的なデメリットが生まれ、「人員不足」の原因にもなっていたのだ。

過去にカラーも3ds MAX同様に業界内で利用者数が多い「Maya」への移行や併用を検討したという。「Mayaを使う人のために、3ds MAX用とMaya用、両方のアセットを用意して作業したこともある」と鬼塚氏は言う。だが、いうまでもなく、両方のアセットデータを用意する手間の問題がある。

そこで、着目したのがBlenderだ。



▲カラーデジタル部CGI監督兼、スタジオQ制作部部長 鬼塚大輔氏

鬼塚氏:当たり前の事ですが、同等のクオリティと期間で制作できるのであれば、ツールのコストは安いほうが良いです。Blenderはオープンソースのソフトウェアとなり、無料で公開されています。また、他社のソフトウェアウェアに引けを取らない機能を実装しているので非常に魅力的でした。

発注先がBlenderを使えるのか、という課題は残るのですが、他のツールと違い、少なくとも導入コストの面での敷居ははるかに低い。ですので、「弊社でも積極的に利用しますので、ぜひみなさんも導入しませんか?」とご提案することで、裾野を広げることができるのではないか、と思っています。

機能面では移行に問題なし。2Dアニメに最適な「グリースペンシル」が決め手


もちろん、作品制作に足る能力がなければ、ツールを切り換えることはできない。Blenderは無料ということもあって、長く「入門向け」「学生向け」と言われてきた。だが、現在のバージョンでは機能が充実し、他のツールとの差は小さくなっている。

カラーでは3年前にMayaの併用を検討したが、そのあとすぐにBlenderの検討も始めたそうだ。

小林氏:ずっと見てきて、これは基幹ソフトウェアとして使える、という感触を得ました。鬼塚とも相談し、今後色々なツールを使うよりはBlenderを中心に構成してもよいのでは......という風に決断したんです。

スタジオQ制作部の執行(しぎょう)拓美氏は、個人的にもずっとBlenderを使い続けている、カラー・スタジオQ内随一の「Blender使い」だ。執行氏のようにBlenderをよく知る人材が社内にいたことも、カラーでのBlender採用の後押しとなっているのだろう。執行氏は現在のBlenderを次のように評価する。



▲スタジオQ制作部 執行拓美氏

執行氏:最新バージョンの「2.8」からは、3ds MAXを使っていた人が困らないよう、意識的に作りを「寄せて」来ています。ですから、習熟の点でも問題ないと考えています。

そして、いわゆる「2Dアニメーション作品」を作っているカラーとして、Blender採用の鍵になった機能もある。

それが「グリースペンシル」という機能だ。

この機能は、ペンで描いた描線がそのまま3D空間に描けるというもの。モデルとして作り込むだけでなく、「描き込む」ことでアニメとしてのディテールを作っていくことができる。

鬼塚氏:弊社の作品の場合、映像を3Dで作りはするのですが、それをコマ毎に修正して「アニメ」として使います。作画監督がコマを見て修正したりするんですよ。あと、影をAfter Effectsなどのツールで後から描き足したりなんかも。

例えば、ちょっと肘を尖らせたい、とします。その時、従来ならばそこにリグ(3Dモデルの骨格のこと)を入れていました。これが手間も時間もかかる。

でも、Blenderならば、アニメーション作成後に、グリースペンシルで「描き足せば」いいんです。フォトリアルなCGではできないやり方ですが、3Dセルならできる。そうやって、リギングにかかるコストも下げていけるはずです。



小林氏:この機能があること、そして基本無料であることから、3Dの経験がない、いわゆる手書きのアニメーターさんが「ステップアップの道具」としてBlenderを選ぶことも多くなっているんです。この点も我々の選択に大きく影響しています。

なおスタジオQでは、これからアニメーターになる人材の育成も行っている。「Award:Q」というコンテストを行っているが、ここでもBlenderの利用例は増えているという。

執行氏:すでにスタジオQでは「Blenderを使い始めている」というスタッフが徐々に増え始めました。また、Award:Qの高校生部門では、Blenderを使った非常にクオリティの高い作品を作る方々も増えてきています。そういう世代が増えていって、早いうちから高度な仕事ができるようになるんだろうな......と予想しています。

Blender財団も協力的、日本のアニメ会社として旗振り役に


すでに述べたように、Blenderはオープンソースのソフトウェアであり、開発はBlender財団が主導する形で行っている。今後カラーはBlenderを使っていくが、それだけでなく、企業スポンサーのひとつとしてBlender財団に協力し、態勢を作っていく。

Blender財団との仲立ちを担当した、カラーデジタル部プロダクションマネージャー兼スタジオQ海外事業部部長の岩見正潤氏は、「実は事前にBlender財団とコネクションがあったわけではなかった」と明かす。



▲カラーデジタル部プロダクションマネージャー兼、スタジオQ海外事業部部長 岩見正潤氏

岩見氏:Blenderのページに、財団の会長であるトン・ローセンダール氏の連絡先が書いてあったので、そこからコンタクトを取りました。

やはり、『エヴァ』のネームバリューは大きいですね。すぐにいい返事がいただけました。彼らからしても、日本のアニメ制作会社が使う、ということに大きなニュースバリューを感じたようです。そうして我々は、日本のアニメ業界で最初に旗を振った状態になりました。

彼らの活動に賛同することで、ポジションも変わります。ツールを使ったうえでの、我々の意見も通りやすくなりました。コミュニティーとの間で、技術的なコミュニケーションも行っていきます。

Blenderの良いところは「オープンソースだ」という点にある。そのため、必要とあればツールを使う側が機能などを開発することもできる。「具体的な開発はこれから」(小林氏)とのことだが、この点にも期待が持てる。

鬼塚氏:誤解していただきたくないのですが、Autodesk社とは今もこれまでも良好な関係を築いてきました。Autodesk社や他の企業様と情報を共有し、改善等のリクエストをお願いしている関係です。

しかし、プロプラエタリなソフトウェアは、どうしても改善までに時間が掛かってしまう。オープンソースならそこのスピードを上げられるのではないか、という期待を持っています。

本格移行は『シン・エヴァンゲリオン劇場版』完成後だが、作中でも一部Blenderを利用


気になるのは、カラーがいつからBlenderへ移行するのかということだ。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』はBlenderで制作されているのでは? と思う人もいそうだが、実際にはそう簡単にいかない。

小林氏:すでに検証は済み、「実地検証」として、実際にBlenderで実制作を行おうとしている段階です。とはいえ、すぐに制作のすべてをBlenderに変えるわけではありません。

でも、「ワークフローに組み込めば、今のストレスフルな状態からは移行できるのでは」と思っていますよ。ポテンシャルとしては、十分「置き換えていい」レベルです。

鬼塚氏:2020年6月までは『シン・エヴァンゲリオン劇場版』をやっていますから、全部の行程を変える、というわけにはいきません。

でも、次のプロジェクトでは最初から「今回からBlenderにします」としてしまってもいいんじゃないか、くらいには思ってます。

ここからの1年で、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の中でも積極的にBlenderを使用し、検証を進めたいです。

小林氏:今のBlenderでは我々の望むことで、できないこともあるのですが、Unityなどを組み合わせれば解決できる部分があります。Unityは便利で、そのまま3ds MAXやMayaにも対応できる。環境の橋渡しをしてくれるんです。

鬼塚氏:作画アニメーターは紙と鉛筆さえあれば絵を描くことができます。それと同じように、3DCGクリエイターも(コンピュータを持っている必要はありますが)Blenderがあれば、「紙と鉛筆」並のコストで作品作り、学ぶことができます。

現在、取引のあるアニメ関係者に「一緒にやりましょう」と声をかけているところです。僕らが旗を振る事になりますが、Blenderでクオリティの高いアニメが作る事ができれば、なによりの証明になります。

弊社は絵で勝負したいと思っているので、技術的な部分については秘密にせず、協力会社にどんどん共有する事で一緒に作れる仲間を増やしてきたいです。



関連リンク:
株式会社カラー
シン・エヴァンゲリオン劇場版