東海大学付属甲府高等学校 菊地 大輝投手「努力した姿を結果で証明したい」

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「本気で今は努力をしています。体の調子も良いですし、選抜では完全試合を狙える投球を見せていきたいと思います」と豪快に宣言する菊地 大輝。夏よりもシャープな顔つきになった菊地の姿を見れば、それは嘘ではないことが実感できる。菊地といえば、最速146キロのストレートと、曲りが鋭い130キロ台のカットボールで圧倒する速球派右腕。その能力は同世代でも頭一つ抜けているが、実は想像以上に苦しんでいることが分かった。その苦しみを経て、甲子園ではどんなピッチングを見せたいのか、今の思いに迫った。

自分の取り組みの甘さを知った昨夏の甲子園

菊地 大輝投手(東海大学付属甲府高等学校)

 菊地が東海大甲府に入学したきっかけは、2012年夏の甲子園までさかのぼる。その時のエース・神原 友(現・東海大)の投球が目に留まった。「甲子園準決勝の光星学院戦だったのですが、連投の中でも迫力ある投球をしている神原さんの姿を見て、ここに行こうと」

 そして東海大甲府に入学した菊地は1年春からベンチ入りし、その年の夏に甲子園出場を経験。菊地は登板することなく、チームは初戦敗退したが、初めての甲子園の感想を伺うと、「とにかく圧倒されましたね」。そして甲子園から戻った後の1年秋から、菊地はエースの座に就く。県大会を勝ち進むと、関東大会初戦の千葉黎明戦で完封勝利し、そして準々決勝で浦和学院と対戦した。試合は6回まで0対0の好試合だったが、7回表に3点を失い、0対4で敗れた。

 この時、東海大甲府は関東・東京6枠目を争っている状況だったため、菊地は選抜に選ばれるつもりで、懸命にウエイトトレーニング、走り込みに取り組んだ。残念ながら選抜には選ばれなかったが、すぐに関東大会出場、夏の甲子園出場に狙いを切り替えた。そして迎えた春の県大会では優勝を果たし、目標としていた春季関東大会に出場。佼成学園戦(試合レポート)では140キロ台を連発する快投で、1年生の時よりもパワーアップした姿を見せていた菊地だが、実はこの時、腰を痛めていたという。「もう歩けないぐらいでした。大会が終わってから1か月間は、練習のお手伝いでした」

 それでも腰の痛みを治し、夏の山梨大会は体も軽く、好調だった。快投を見せ、チームを2年連続の夏の甲子園に導く。しかし甲子園1回戦の静岡戦で、今度は股関節の痛みが出てしまう。145キロ前後の速球と130キロ台のカットボールを投げ込み、改めて能力の高さを見せたが、静岡打線につかまり、チームは勝利したものの菊地は7回途中まで投げて11安打7失点と悔しい結果となった。

 2回戦の下関商戦では、6.1回を投げて1失点の好投を見せ、甲子園初勝利を手にしたが、続いて迎えた3回戦の早稲田実業戦。注目打者・清宮 幸太郎(関連記事)を何としてでも抑えろという指示が出ており、菊地は徹底した内角攻めを行った。第1打席は死球。そして第2打席はチェンジアップで打ち取ろうとしたが、そのチェンジアップが甘く入ってしまい、本塁打を打たれてしまう。さらに4番加藤 雅樹に真っ向から投げ込んだストレートは、本人としてはベストストレートだったが、「打った加藤さんが凄かったです」と二者連続本塁打を打たれてしまう。そして菊地は5回5失点で降板、チームも敗れた。二度目の甲子園について菊地は、「いろいろと課題を突き付けられた甲子園でした。甲子園はそんなに甘くないよと教えられた。そんな大会でしたね」と振り返る。

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菊地 大輝投手(東海大学付属甲府高等学校)

 その後、山梨県大会でも本来の投球ができず、秋の大会中に肩を痛め、関東大会初戦の春日部共栄戦では4失点。準々決勝後は肩の痛みで登板ができなかった。菊地が本来の投球ができない中、好投を見せていたのが松葉 行人。準々決勝の霞ヶ浦戦で完封勝利を挙げると準決勝の木更津総合戦では2失点完投と、村中 秀人監督も、「松葉は本当に努力ができる投手。関東大会ベスト4に行けたのは松葉のおかげ」と、首脳陣の評価も急上昇した。菊地にとっては悔しい秋だったが、松葉の努力と成長には認めざるをえなかった。

「ケガではないです。僕は松葉に負けたんです。本当に努力した奴には勝てない。僕はどちらといえば、努力することが嫌いだったんですけど、松葉の活躍で、火が付きました」

 さらに菊地に大きな影響を与えたのが横浜南ボーイズの先輩である望月 惇志(横浜創学館−阪神タイガース)の存在だ。今でこそ最速148キロの速球を投げ込む望月だが、中学時代はケガばかりだった。「背番号20で、ヘルニアになることもありましたし、ケガが多くプロに行くとは思いもよりませんでした。望月さんは憧れになりましたね」

 身近な存在が努力して進化した姿を目の当たりにした菊地は、自身の取り組みを見直すようになった。まずは痛めていた箇所の治療に専念し、しっかりと治してからは、再びウエイトトレーニングと走り込みに取り組んだ。それだけではない。菊地はこの冬から野球ノートを付け始めた。理由は「何か継続的にやっているというものが欲しかった」とのことだが、毎日つけている。

 ノートの内容を見ると、チームのテーマ、個人のテーマ、その日のトレーニング内容、食事内容、振り返りがしっかりと書かれていた。それを和泉 淳一部長が見て、赤ペンをつけて返すようだ。ノートをつけてみて菊地は、「本当につけてみてよかったです。その日の振り返りが本当にできて、充実とした練習ができていると思います」

 菊地の変わりようは選手たちも認める。主将の鬼頭 孝明も、「菊地も目に見えるくらい頑張っているんで、本当に松葉とダブルエースで頑張ってほしいです」と期待を込める。今では球速は切れのある150キロを目指し、そして自慢とするカットボールも140キロ超え。その中にも緩急ある投球ができればと考えている。

「今度の甲子園では努力した姿を見てもらえればと思っています」と決意は固い。センバツ出場校発表日の1月29日。菊地は、応援してくれる方々、学校関係者へ感謝の気持ち、そしてノートを続けて良かったという思いを綴っていた。そんな菊地に和泉部長は赤ペンでこう綴った。

「結果で証明すること」

 文句なしの投球ができたとき、多くの方々が剛腕・菊地 大輝の実力を認めてくれるはずだ。

(取材・文/河嶋 宗一)

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