左から 松山商時代の越智 洸貴、伊藤 駿介

 四国でも実績、伝統では屈指の学校と注目される松山商。夏通算60勝は歴代2位、また優勝回数も5回と輝かしい実績を残す松山商の歴史を振り返るとともに、著名なOBも紹介していきたい。

夏5度の甲子園優勝 夏将軍の異名を持つ松山商

 明治35年に開校した松山商。松山商の初の甲子園出場は1919年夏の第5回大会。初代監督だった近藤兵太郎氏はその後、台湾に渡り、1931年、嘉義農林の監督に就任して、甲子園準優勝。そのストーリーは映画化され、台湾映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」は台湾で大ヒットとなった。そして松山商が全国初優勝を果たしたのは、1925年の選抜だった。そして夏の甲子園では1935年に初優勝。一時期、学制改革により松山第一と統合して愛媛県立松山東高等学校商業科という校名になり、1950年には松山東として優勝を果たしている。そして1952年に松山東から分離独立をして、再び松山商に復活改称。その翌年の1953年夏には3度目の夏の大会全国制覇を果たした。

 そして今でもドラマとして語り継がれているのが1969年の選手権である。決勝の相手は太田 幸司擁する三沢。壮絶な試合となり、延長18回でも決着がつかず再試合へ。そして再試合を見事に制し、4度目の全国制覇を果たした。

 こうして夏に強い松山商は夏将軍と呼ばれるようになったが、さらにドラマチックな戦いを見せたのが1996年の選手権だった。決勝まで勝ち進んだ松山商は熊本工と対戦。試合は9回裏に同点本塁打を許し、延長戦へ突入。10回にも一死満塁のピンチを迎え、熊本工の打者が打ち上げた飛球はライトへ。犠牲フライで万事休すになるかと思われたが、ここで奇跡が起こる。ライトの矢野 勝嗣がバックホームした送球がダイレクトでキャッチャーミットにおさまり、三塁走者をアウト。後に「奇跡のバックホーム」と呼ばれ、今でもこのプレーは高校野球ファンの間で語り継がれている。そして延長11回に3点を勝ち越した松山商は6対3で熊本工を破り、5度目の全国制覇を果たしている。

 その奇跡のバックホームから20年。2001年夏の甲子園ベスト4を最後に、甲子園出場から遠ざかっている松山商だが、今年は何かドラマのある活躍を見せてくれるか注目していきたい。

[page_break:近年の卒業生]近年の卒業生

 松山商野球部の主なOBを挙げれば、初代巨人監督の藤本 定義、大阪タイガースとイーグルスの初代監督を務めた森 茂雄 、千葉 茂(元巨人)など野球殿堂入りした偉大な人物が多い。近年も大学で続ける選手が数多くおり、今後も大学球界で活躍する選手たちの輩出が期待できそうだ。

■2011年卒・渡部 圭介(国士舘大−国士舘大準硬式コーチ)

■2013年卒・堀田 晃(大阪学院大)・越智 洸貴(近畿大)・西森 大騎(岡山商科大)

■2014年卒・宮岡 昇輝(大阪商業大)・武市 司(JR四国)

■2015年卒・黒川龍太(岡山商科大)・伊藤 駿介(福井工業大)・白方 克弥(愛媛マンダリンパイレーツ)