島民のいなくなった土地に「絶滅危惧種」がやってきた…“東京の無人島”を占拠する「意外な生き物」の正体
〈「すごい香りがする」北海道の廃村で、朽ちた小学校に足を踏み入れた探索者たちを驚かせた“異臭の正体”〉から続く
東京から南へ約300キロ、高度経済成長の波に呑まれて昭和44年に無住となった八丈小島。野生化したヤギが駆逐された後、この孤島に住み着いたのは「意外な生き物」だった。
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地図から消えた集落を28年かけて記録し続ける廃村専門家・浅原昭生の著書『廃村大全』(大洋図書)より、島民のいなくなった土地に起きた“まさかの変化”を紹介する。

©浅原昭生
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57年前に無住化した「東京都の無人島」
宇津木は太平洋、伊豆諸島八丈島西方沖5キロの孤島八丈小島の南東部にあり、八重根港から9キロ。八丈小島は、面積は3.1平方キロ、名前は小島だが存在感は強く、大平山の海抜は617メートル、地形は急峻で平地はほとんどない。
往時の八丈小島には、宇津木と鳥打という2つの集落があった。昭和20年代はともに行政村で、宇津木村では直接民主制の村民総会が行われた。
しかし、高度経済成長に伴い自給自足の生活は成り立たなくなり、昭和44年3月、宇津木9戸31名、鳥打15戸60名が集団離村し、島は無住化した。
初訪時は秋の初め、大きめの釣り船に便乗した。簡素な船着場からの小道を登ると、コンクリート造の機関場や石垣がある見晴らしが良い丘にたどり着いた。金次郎の墓や玉石垣を見ながら歩くと、やがて門柱が視界に入った。
宇津木小学校は、へき地等級5級、児童数9名(昭和34年)、明治27年開校、昭和44年閉校。スレート葺きの屋根の校舎が、かろうじて形を留めていた。学校跡から山へと向かう急な坂をゆっくり進むと、大きな長石が起立する為朝神社跡にたどり着いた。
無人島にやってきた「絶滅危惧種」の正体
再訪時は夏の初め、7人組でチャーター船を手配した。
見晴らしが良い丘にはたくさんの小さな黄色い花が咲いていた。
宇津木校の校舎の屋根は残念ながら落ちていたが、門柱のくぼみにはハマユウが育っていた。
為朝神社跡では、起立する長石とアジサイの花が見られた。同行した元島民の「小島はよい」という呟きには大いに共感した。
孤島に住み着いたクロアシアホウドリ
平成26年11月、離村45年を記念して、有志の手で八丈島南原園地に「八丈小島忘れじの碑」が建立された。島民や関係者などが小島を偲ぶための象徴ができた。
また、平成25年4月、八丈小島鳥打でクロアシアホウドリという絶滅が危惧される鳥獣の営巣が確認された、そして平成29年11月、小島の全域が東京都鳥獣保護区特別保護地区に指定された。営巣する11月から翌年5月にかけて鳥打への上陸は制限される。なお、宇津木にはこの制限はない。
無住化してから平成中期までは、八丈小島と言えばまず野生化したヤギが頭に浮かぶ島だった。その後、ヤギは環境に悪影響を与えることから東京都による捕獲が進み、平成19年に完了した。筆者が初めて島に渡った頃は、崖地に潜むように過ごすヤギがわずかに見られる程度になっていた。
無人島、八丈小島の主役は「ヤギからクロアシアホウドリに替わった」と言えそうだ。
筆者は改めてその様子を確かめるため、令和7年10月中旬に5人組でチャーター船を手配して小島を三訪する計画を立てていた。しかし、八丈島は直前に台風の直撃を受け、大きな被害が出てしまった。被災地となった上、追いかけ台風まで来る八丈島に、旅人は行ってはいけない。
黒潮の真っただ中の孤島はとても魅力的だが、取り巻く環境はとても厳しい。いつか晴れた凪の日に仲間とともに三訪したい。
(浅原 昭生/Webオリジナル(外部転載))
