「居間のソファに寝転がってゴロゴロしていると、心の底からくつろげる。もともと自分の家ですから、サ高住の暮らしのように人の目を気にする必要もないですし」(撮影:本社・武田裕介)

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2018年、栃木県・那須高原の高齢者住宅に移住し、息子家族とは距離を置いて「自由」と「理想の住まい」を手に入れた久田恵さん。しかし今年2月から、東京の実家でひとり暮らしをしています。終の住処にもなりえた家を76歳で引き払った理由は――(構成=内山靖子 撮影=本社・武田裕介)

【写真】2000平米の原っぱで、仲間と。脚立の上で一休みする人も。

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親戚に譲った家が想定外の状況に

70歳から6年間暮らしていたサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)の「ゆいま〜る那須」を退去して、今は東京に住んでいます。

なぜかというと、自宅が空き家になってしまったから。父と暮らしていたこの家には父の没後、親戚の家族が住み、那須に移る前の私は近くのマンションにひとりで気ままに暮らしていました。

その後、私は那須に移住したので、家は親戚に譲るつもりでこの6年間、任せてきたのです。ところが昨年末、住人が突然引っ越すことに……。

これからこの家をどうすればいいのか? 誰も住まないなら売ったほうがいいのだろうか? 想定外の出来事に途方に暮れて、とりあえず「東京のことは東京で考えよう」と自宅に戻り、ひとりで数日間過ごしてみることにしました。

そうしたら、やけに幸せな気持ちになっちゃって。居間のソファに寝転がってゴロゴロしていると、心の底からくつろげる。もともと自分の家ですから、サ高住の暮らしのように人の目を気にする必要もないですし。

思い返せば、この家は92歳で亡くなった父と二十数年もの間、2人で暮らした場所でした。その前に住んでいたのは、神奈川県の藤沢市。私が38歳のときに母が脳血栓で倒れ、重い失語症と半身マヒになってしまって。

姉や兄はそれぞれの家庭があるので、シングルマザーの私が両親の住んでいた藤沢の家に戻り、仕事や育児をしながら父と2人で母を介護することになったのです。

その母の在宅介護が限界に達し、息子が独立したタイミングで「おまえが取材してすごくいいと言っていた、東京の有料老人ホームのそばに引っ越そう」と父が決断し、藤沢から住み替えたのがこの家でした。

そして、母は家から徒歩3分の老人ホームに入居。毎日ホームに通いながら、父と一緒に料理を作ったり、近所を2人で散歩したり。私にとって、大切な思い出がいっぱい詰まっている、かけがえのない場所なのです。

そんな家であらためて過ごしてみたら、「この家を手放すわけにはいかない」という思いがこみ上げてきて、「だったら、私がひとりで住めばいいじゃない」という心境になりました。

唐突な決断でしたが、「それぞれが自由に生きてよろしい」というのがわが家のルール。息子も好きに暮らしていることだし……と、6年ぶりに懐かしの家へ戻ることにしたのです。

車を売却し、「後悔先に立たず」

東京に戻ってきたもうひとつの理由としては、運転免許を返納したことも大きかったと思います。

2023年の10月、免許更新のお知らせが来たとき、私は75歳。当初は更新するつもりだったのですが、調べてみたら、後期高齢者になると更新の手続きがものすごく面倒みたいで。認知機能検査や高齢者講習も受けなければならないと知り、すっかりおじけづいちゃったんです。

というのも、私は車の運転がとにかく下手なんですよ。どれくらいかというと、運転中に道路脇の側溝にタイヤがはまって、引き上げるためにクレーン車が派手に出動したほど。

もちろんこの騒動はまわりじゅうに広まり、その一件をゆいま〜るのみんなも知っているので、私が運転する車には誰も乗りません(笑)。そんな自分がこの先も運転を続けたら、きっと事故を起こして周囲に迷惑をかけるに違いない。

それで、「更新するのはやめよう!」と発作的に決意して、免許を返納する前に車を売ってしまったのです。

ところが那須の暮らしは、車がないと本当に不便なんですね。バスもありますが、ルートや時間が決まっているので、自分の好きなようには動けない。

私が那須の暮らしで何よりも楽しみにしていたのは、自分でハンドルを握ってあちこちに出かけることでした。車を売り、免許も返納してその楽しみが失われてしまったら、毎日がなんだかつまらなくなっちゃって……。

ちょうどその一件でしょげていた頃に東京の家で過ごしてみたら、まあ、なんと便利なことか。最寄りの駅までは歩いて5分ちょっと。駅の右手には映画館があり、その先には商店街。喫茶店もレストランもコンビニもある。車を手放した高齢のおひとり様にとって、こんなに便利なところはありません。

昨年から、2週間に1度、取材や打ち合わせで東京に出かける仕事を抱えていたのですが、那須と東京を頻繁に往復する生活でへとへとになっていました。都内に住めば、体力的にも負担が軽くなるのは明らかです。

おまけに、私はずっとフリーランスで仕事をしてきましたから、月々の年金は約7万円。那須のサ高住の家賃も月額3万円でさほど高額ではなかったものの、父が遺してくれた家に戻れば家賃は必要ありません。たいした貯金もない私にとって、「家賃がタダ」というのは実に気楽な話ではないか、と。

もちろん、ゆいま〜るでの生活は楽しかったですよ。全国各地から個性的な人たちが集まっていて、現役時代は国家公務員だった人もいれば雑誌の元編集者もいる。

そんな入居者仲間と人形劇を上演したり、2000平米もの原っぱを借りて、そこに手作りのガーデンハウスやコーヒースタンドを建ててさまざまな催しを企画したり。まるで学生時代に戻ったかのような毎日は、刺激的でもありました。でも、70代も半ばを過ぎたら、人と暮らすことにちょっぴり疲れてしまうときもあって……。

もともと、ゆいま〜るに移住したのも、「丘の上に建っている、あの可愛い木のコテージに住みたい!」という衝動的な理由からでした。ですから、そろそろ自分のペースで好きに過ごせるわが家に戻ったほうがいいのかも、という気持ちもどこかにあったのでしょう。

そんなこんなで東京に引き揚げてきましたが、那須との縁が切れたわけではありません。友人が週末だけ開く居酒屋に顔を出したり、原っぱに建てた施設を管理してもらっている後継者に会いに行ったりと、今でもちょくちょく那須に通っています。

ゆいま〜るには1泊3000円ぐらいで泊まれるゲストルームもあるので、いつでも気軽に遊びに行けてありがたい限りです。

<後編につづく>