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現在放送中のNHK大河ドラマ『光る君へ』。吉高由里子さん演じる主人公・紫式部を中心としてさまざまな人物が登場しますが、『光る君へ』の時代考証を務める倉本一宏・国際日本文化研究センター名誉教授いわく「『源氏物語』がなければ道長の栄華もなかった」とのこと。倉本先生の著書『紫式部と藤原道長』をもとに紫式部と藤原道長の生涯を辿ります。

【書影】古記録で読み解く平安時代のリアル。『光る君へ』時代考証担当・倉本さん著書『紫式部と藤原道長』

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痴話喧嘩

さて、長保元年(999)正月10日頃には、さっそく痴話喧嘩の歌を残している。

紫式部の性格の強さを示すものでもあろう。

それは、藤原宣孝が紫式部の送った手紙を他の人に見せたと聞いたので、今までの自分の出した手紙をすべて集めて返さなければ返事は書かないと、使者に(手紙ではなく)口上で言わせたところ、宣孝が、すべて返しますと言って、これでは絶交だねとひどく怨んでいたというものである。

宣孝としてみれば、文才豊かな(自分よりは)若い新妻の歌を見せびらかして自慢したかっただけかもしれないが、そんなことが女性に通用するはずがない。

閉ぢたりし 上の薄氷(うすらひ) 解けながら さは絶えねとや 山の下水
(氷に閉ざされていた谷川の薄氷が春になって解けるように、折角うち解けましたのに、これでは、山川の流れも絶えるようにあなたとの仲が切れればよいとお考えなのですか)

まったく、夫婦喧嘩というのは、はたから見れば馬鹿馬鹿しい話でも、本人たちにとっては重大な営為なのであろう。

紫式部の返事

紫式部の歌になだめられたはずの宣孝は、「浅い心のお前との仲は切れるなら切れるがいいんだよ」という歌を寄こし、「もうお前には何も言うまい」と腹を立てたが、紫式部は笑って歌を返した。

言ひ絶えば さこそは絶えめ なにかその みはらの池を つつみしもせむ
(もう手紙も出さないとおっしゃるなら、そのように絶交するのもいいでしょう。どうしてあなたのお腹立ちに遠慮なんかいたしましょう)

宣孝は結局、夜中になって、「お前には勝てないよ」と降参することになる。

父娘ほども年齢の離れた夫に対して、結婚後すぐに主導権を握る紫式部もさすがであるが、希代の天才である紫式部とこのようなやりとりをすることのできる宣孝というのも、考えてみれば大した男ではある。

桃の花を詠む

この春、瓶(かめ)に挿してあった桜がすぐに散ってしまったので、桃の花を眺めて、つぎの歌を送った。

折りて見ば 近まさりせよ 桃の花 思ひぐまなき 桜惜しまじ
(折って近くで見たら、見まさりしておくれ、桃の花よ。瓶にさした私の気持ちも思わずに散ってしまう桜なんかに決して未練はもたないわ)


(写真提供:Photo AC)

桃を自分に、桜を宣孝の別れた旧妻(の一人)になぞらえて、結婚してみたらいっそうよく見える女であったと思われたいとの寓意(ぐうい)を含むとされる。

その気の強さもさることながら、日本的な桜ではなく、中国的な桃に自分をなぞらえるなど、いかにも漢籍に詳しい紫式部ならではである。

宣孝は、「百(もも)にも通じる桃は、すぐに散ってしまう桜より見劣りするようなことはない」という歌を返している。

実際には100年どころか、2年半ほどの結婚生活となってしまったのであるが。

梨の花を詠む

一般的に日本では賞翫(しょうがん)されることのない梨の花も詠んでいる。

花といはば いづれかにほひ なしと見む 散りかふ色の ことならなくに
(桜も梨も花という以上は、どれが美しくない梨の花と見ようか。風に散り乱れる花の色は違っていないんだもの)

すでに当時の一般的な婚期を過ぎ、美人という評判も立っていない自分を、梨の花にたとえたものであろうか。

これも中国では「長恨歌(ちょうごんか)」にあるようにもてはやされる梨の花を詠みこむあたり、『枕草子』第35段の「木の花は」に通じる美意識である。

ともあれ、こうやって紫式部の結婚生活ははじまった。

このまま幸福な日々がつづくと、このときには思われたことであろう。

※本稿は、『紫式部と藤原道長』(講談社)の一部を再編集したものです。