写真提供◎photoAC

写真拡大 (全3枚)

父親による性虐待、母親による過剰なしつけという名の虐待を受けながら育った碧月はるさん。家出をし中卒で働くも、後遺症による精神の不安定さから、なかなか自分の人生を生きることができない――。これは特殊な事例ではなく、安全なはずの「家」が実は危険な場所であり、外からはその被害が見えにくいという現状が日本にはある。何度も生きるのをやめようと思いながら、彼女はどうやってサバイブしてきたのか?生きていく上で必要な道徳や理性、優しさや強さを教えてくれたのは「本」という存在だったという。このエッセイは、「本」に救われながら生きてきた彼女の回復の過程でもあり、作家の方々への感謝状でもある。

この記事のすべての写真を見る

* * * * * * *

前回「親の性虐待が原因で貧困に。希死念慮、精神障害者への偏見…絶望の中に『死ねない理由』を読んで「生きる理由」を思い出した」はこちら

信じたいのに、信じきれない

人は簡単には変わらない。多くの人が口を揃えてそういうのに、目の前の人が「変わる」と言い切ってくれた時、その言葉を信じてしまうのはなぜだろう。

元夫から精神的DVを受け続けた私は、はじめての子育ての苦労も相まって、心身ともに疲労困憊の状態であった。我慢の限界を迎えて離婚を申し入れた途端、彼がこれまでの自分を悔い、「これからは変わる」と約束してくれたことは前回のエッセイで綴った通りである。

その後、彼はたしかに変わる努力をしてくれたように思う。不安定な私の体調を気遣い、家事や育児にも積極的に参加してくれるようになった。

しかし、元夫が変わったとて、彼が私に放った数々の暴言が帳消しになるわけではない。ふとした拍子に、過去が頭をもたげる。また以前のように暴言を吐かれるかもしれない。彼に優しくされればされるほど、不安が膨れ上がった。その感覚は、実家で過ごしていた日々とよく似ていた。さっきまで笑っていた母が、些細なことで激昂する。穏やかに煙草をふかしていた父が、突然灰皿を投げつける。地雷はそこかしこに散らばっていて、何が彼らのトリガーになるかわからない。そんな恐怖を抱えて暮らすうち、警戒心を持つことが常となっていた。

家族としてやり直そうと決めたからには、彼を信じたい。本心からそう思っているのに、どうしても怯えを拭えず、私は少しずつ心身のバランスを崩しはじめた。産後のホルモンバランスの乱れや、長男の夜泣きで睡眠が満足に取れない疲労も重なってのことだった。ストレスから食事を受け付けなくなったことで体重は一気に10キロ落ち、長男が眠っている間もうまく眠ることができず、昼夜問わず気持ちが落ち込む日々が続いた。

「精神科に行くなら遠くの病院に」

「精神科を受診したいんだけど」

私のこの一言が、再び夫婦のバランスを崩したきっかけだったように思う。元夫はあからさまに顔をしかめて、「なんで?」と問うた。おそらく、変わる努力をしているにもかかわらず、妻がいっこうに元気になる兆しが見えないことに苛立っていたのだろう。

「うまく眠れないし、気持ちがしんどいから」
「しんどいって、どういうふうに」
「……あなたに言われた言葉がどうしても消えなくて、何度も思い出してしまって、しんどい」

躊躇いながらも本音を口にした私に、元夫は不機嫌さを隠さぬ声でこう言った。

「別に、病院に行くのは好きにすればいいけど。精神科に行くなら遠くの病院にしてね。もし通っているところを近所の人に見られたら体裁が悪いから」

同じような台詞を、過去、身内からも言われた。元夫との交際時にも私は精神科に通っており、当時の彼は通院に付き添ってくれたこともあったのに、夫になり、家族になったら、「隠したい」と思うらしい。内科も、外科も、呼吸器内科も、通っている事実を隠さねばと思う人はいないのに、精神科に通っている人だけが、「知られないように」と身をすくめている。そうさせているのは本人ではなく世間なのに、周囲は簡単に「堂々としていればいい」などという。

企業が掲げる障害者雇用においても、軽度の身体障害者のみを対象として雇用するケースは珍しくない。精神障害者は、「障害者枠」の中でさえ排除されがちだ。社会に蔓延する根強い差別と偏見が、精神疾患を患う人々の権利を損ない、可能性を狭めている。

うつ病と診断されて

当時の私には、元夫の言葉に言い返す気力がなかった。精神疾患者への偏見など、とうの昔に慣れていた。元夫の言葉に従い、高速道路を使って片道2時間ほどの病院を受診した。担当主治医は女性で、ハキハキとした物言いの方だった。数枚にも及ぶ問診票に記入し、およそ1時間の初診を終えて、私はうつ病と診断された。

元夫との間にあったことを主治医に告げた際、「旦那さんの発言・行動は明らかにDVです」と明言された。この時、診断書を取っておくべきだった。離婚の際、何度そう悔やんで歯噛みしたかしれない。

配偶者のDVやモラハラで心身の調子を崩した場合、病院を受診して診断書を取得することが、のちの自分や子どもたちを守ることにつながる。とはいえ、つらい時は何をするにも億劫になるし、判断力も鈍くなる。だからこそ、只中にいる人が適切な支援につながれる体制づくりが必要なのだ。


写真提供◎photoAC

私は、元夫との夫婦関係の再構築を望んでいた。息子にとっても、それが最善の道だと信じていた。通院をはじめたのもそのためで、根本の原因に向き合わなければ、回復は望めないと思った。しかし、元夫は、私が精神科に通院することを当てつけに感じたようだった。

「一緒にいるせいで病気になるような人間とは、やっぱり離婚したほうがいいのかもね」

投げやりにそう言って別室に引きこもる元夫の背中に、私はなんと声をかければよかったのだろう。怒りをぶつければよかったのか、淡々と説き伏せればよかったのか、今でもわからない。ただ、この時はおそらく何を言っても無駄だったろうと思う。自分が聞きたくない言葉は、すべてシャットアウトする。私の“感じかた”のせいにする。そういう人だった。

「家族」への憧れ

「家族」というものに、強い憧れを抱いていた。子ども時代の自分が与えられなかったものを我が子に与えたい。その最たるものが、家庭内における安らぎであった。

家の中の空気がピリついていると、それだけで子どもは疲弊する。中には、両親の機嫌を素早く察知して道化に徹する子もいる。これは、アダルトチルドレンでいうところの「ピエロ(道化師・クラウン)」に該当する。家族の雰囲気を明るくするために、わざとふざけたり冗談を言ったりする。表に見える顔は、明るくひょうきんだ。だが、その裏側では過度に気を張り、家庭内の空気が尖ることにひどく怯えている。

両親が何らかの問題を抱えている場合、ケアテイカー(世話役)のように、献身的に家族の世話を焼くタイプが想像されがちだ。しかし、子どもの性格や環境要因により、強いられる役割は変わる。「ロストワン」と呼ばれる立ち位置を選ぶ子どももいる。ロストワン――「いない子ども」という意味だ。自分の存在を消し、家族の均衡を保つ。その反動は、ある日突然やってくる。時には主従関係が逆転し、我が子の家庭内暴力に親が悩まされる事態も起こり得る。親の不仲や虐待が子どもに及ぼす影響は計り知れない。


写真提供◎photoAC

息子を被害者にも加害者にもしたくなかった。ただただ健やかに、子どもらしく育ってほしかった。好きなことをして、嫌なことには「NO」をいえる。そんな子どもでいてほしかった。そのためには、家庭の雰囲気が“安らげる”ものでなければならない。それなのに、私と元夫は喧嘩が絶えなかった。子どもの前で言い合いをするのは、できる限り避けた。だが、それも完全ではなく、時に口論を見せてしまったこともある。また、冷戦のような空気感は、言葉にせずとも伝わってしまう。長男の夜泣きが酷かったのは、彼の疳の虫だけが原因ではなく、私たち夫婦の関係性も大いに影響していたのだろう。

家族を再生させるために、できることはなにか。頭が擦り切れるほど考えたが、どうにもうまくいかない。夫を信じきることができない。かといって、彼との夫婦関係を諦めることもできない。中途半端だったのは私で、家族を振り回していたのも私だった。原因をつくった元夫が悪くないとは言わない。それでも、どうしても「許せない」のなら、私は別れを決断するべきだった。泣かれると許してしまう。謝られると「いいよ」と言ってしまう。それはひとえに、私の弱さだった。