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昨年は、モトザワ自身が、老後の家を買えるのか、体当たりの体験ルポを書きました。その連載がこのほど、『老後の家がありません』(中央公論新社)として発売されました!(パチパチ) 57歳(もう58歳になっちゃいましたが)、フリーランス、夫なし、子なし、低収入、という悪条件でも、マンションが買えるのか? ローンはつきそうだ――という話でしたが、では、ほかの同世代の女性たちはどうしているのでしょう。「老後の住まい問題」について、1人ずつ聞き取って、ご紹介していきます。

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前回「58歳女性、シングルで海外在住、帰国するならいつ?老後はお先真っ暗、国民年金はずっと払っているけど……」はこちら

自治体に非正規で働く淑恵さん

一般的に、純粋シングル(一度も結婚したことがない人)に比べて、離別や死別したシングルのほうが、経済的には豊かでしょう。離別の場合、婚姻期間中の財産分与を受けられ、専業主婦なら年金も分割されます。死別の場合は、家を買っていれば住宅ローンが完済されて住まいが確保されるうえ、遺族年金も出ます。もちろん人生は経済合理性だけでは語れません。こうした財産は、すごく苦しい日々やつらい境遇の、補償や補填の意味もあります。

ただ、バツイチになったなら、過去を振り返って悔やむより、手にしているもので先に進むほうが良いでしょう。自治体に非正規で働く淑恵さん(仮名、66歳)は、まさしくそんな一人です。20代で結婚した夫にはたくさん傷つけられましたが、40代で離婚後、財産分与で得たお金を元手に中古マンションをゲット。離婚後に身につけた専門性を生かして、60代の今も、現役で働いています。

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西日本在住の淑恵さんが、離婚成立で手にしたお金で中古マンションを買ったのは2001年、42歳の時でした。

マンションは、県庁所在地市の中心部の便利なエリアにあります。6階建ての6階。当時すでに築20年以上でしたが、バルコニーの鉄部などがおしゃれな高級マンションです。2DK、34平米で、専用使用権のある広いルーフバルコニー付き。東、北、西の3面に窓があります。玄関を開けた瞬間、「明るい!」。玄関の向かいは床までの窓になっていて、上部は開き戸、下部はすりガラスです。

たまたま内見した予算オーバーの物件

「とにかく入ったとたん、明るくて、驚いて。いっぺんに気に入りました。予算オーバーだったんですが、使っちゃえ〜って思って」と、淑恵さんは笑います。原資は、離婚した夫から財産分与で手にしたお金でした。

淑恵さんが引っ越し先の中古マンションを探し始めたのは、家出して離婚調停をしていた時でした。予算は500万円。仕事休みの毎週末、市内まで物件を内見に来ていました。もともと、淑恵さんが夫と住んでいた地域は県内でも農村部です。県庁所在地のほうが仕事もあるから出てきたらと、弁護士からも誘われていました。離婚後に働くための国家資格を取ろうと、市内の専門学校への入学を決め、在学中の生活費もバイト代などで貯めていました。

この部屋を見に来る前に調停が成立。ある日、代理人弁護士から、「口座に財産分与のお金が振り込まれます」と連絡がありました。口座を見てびっくり。なんと1000万円、振り込まれていました。「こんなに!って驚きました」。婚姻期間は約20年。子どもはおらず、離婚原因は夫の浮気、有責配偶者は夫です。片働き夫からの財産分与としては妥当な額かもしれません。

この日はたまたま、内見予定だった別の物件が、大家の都合で見られなくなりました。不動産屋に、「せっかく来たんだから、予算オーバーですけど、ついでに見ますか」と、案内してもらったのが、購入した部屋でした。

他の部屋はファミリータイプですが、内見した部屋だけが独り暮らし向き。全16戸と小さなマンションです。売主は県外在住で、セカンドハウスとして使っていたらしく、家具付き販売でした。照明やソファ、机など家具もおしゃれ。200万円予算オーバーの700万円でしたが、即決。購入して、ここに引っ越してきました。


『老後の家がありません』(著:元沢賀南子/中央公論新社)

マンションは、淑恵さんの前のオーナーのように、外に住むオーナーが3分の1くらいいます。でも管理費や修繕積立金の滞納や未納はありません。やりたがらない人も多いマンションの管理組合の理事を、淑恵さんはあえて引き受けました。「放置すると資産価値が下がりますよ」と外オーナーも説得し、修繕積立金の不足分として1戸あたり約50万円の特別徴収を実施。エレベーターの取り替えを含む大規模修繕を15年ほど前に済ませました。

先日はマンション内の物件が1500万円で売られていました。淑恵さんの部屋も、購入時よりも高く売れそうです。民泊も禁止にしたし、維持管理も良好です。資産価値を保てていて、ひとまず安心です。

「専門学校時代は、子どもくらいの年齢の同級生たちもよく泊まりに来たんですよ」。その後、淑恵さんの親族が大学に通う時に1部屋を貸してあげたことも。とにかく便利な立地なので、どこに行くのも楽です。「ほんとうに、このマンションがあって良かったです」。良い買い物をしたと、我ながら大満足しています。

夫は精神的DV男で結婚前から浮気も

いまの住居にも独り暮らしにも大満足の淑恵さんですが、いつも、結婚していた間だって、一生懸命に生きてきました。婚姻期間中は、「長男の妻」役割を積極的に果たしました。夫の実家は農家で、農業は義弟が継ぎました。実家に近寄りたがらない夫に代わって、淑恵さんは顔を出し、義父母や義弟たちと仲良くしました。米を送ってくれる義弟の田んぼに、毎年、田植えや稲刈りの手伝いにも行きました。

正月には、淑恵さんや義母、義弟の妻たちが、義理の実家の台所で働くのが常でした。義父や夫ら男性陣は飲んで食べてくつろぐだけ。淑恵さんは、女性陣を代表して、妻たちも労って欲しいと義父に直談判。小遣いをもらい、妻たちだけで正月の後に泊まりがけの旅行に行ったことも。長男の「よくできる嫁」として、義父にはかわいがられ、義理の家族には絶大な信頼がありました。

ところが8歳年上の夫は精神的DV男でした。「誰の稼ぎで喰わせてもらっていると思ってるんだ」「俺以上に稼いでみろ」といった常套句で、よく淑恵さんを貶めていました。妻を管理したがった夫は、淑恵さんが外で働くことにいい顔をしません。もともと勤めていた自治体正職員は、夫の転勤で辞めさせられました。でも生活費として渡されるのは計月5万円だけ。全然足りません。家計を補うため、淑恵さんはバイトや非正規で働いてきました。正社員に誘われた時は、夫の反対で辞退しました。

実は、夫の浮気は結婚前から始まっていました。淑恵さんはうすうす気付いていましたが、いずれ相手とは切れるだろうと楽観視していました。相手の女性は、当初は既婚者で、夫が淑恵さんと結婚した後に離婚したようです。結婚から10年以上経ってから探偵に頼んで、浮気相手が昔と同一人物だと確認。淑恵さんはようやく重い腰を上げて、弁護士に離婚調停を頼んだのでした。


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会計年度任用職員の試験に合格し続け

ところで仕事ですが、淑恵さんは目指した国家資格を取得できませんでした。40代半ばで、資格も取れず、就職も決まらず、困っていた時。たまたま、かつて仕事で知り合った人と電車で再会しました。仕事を探しているとこぼしたら、その人が、市内の団体職員の口を紹介してくれました。淑恵さんはそこに勤めながら、ダブルワークでヘルパーとしても働きました。ホームヘルパー1級の資格は、かつて結婚期間に取得していたものです。1時間単位で働けるので、終業後に2本入れるなどして収入を増やしました。さらに調理師免許も取得、知人の喫茶店を手伝った時期もありました。

公的施設で1年ほど事務職として働いた後で、公的機関の嘱託職員に応募したのは2007年でした。非正規職員なので、給料はそれほど高くありません。「もし、家賃が5万円かかっていたら、きつかったと思う。自宅があったから何とかなった」と振り返ります。3年限定採用のはずが、幸運が重なって5年働けました。次の職場を考えていた時に、いまの自治体の採用試験を見つけました。

55歳での受験で、受からないかもと心配しました。でも、前の団体で、同じ分野の専門家として働いていたのが評価されたようです。2012年に嘱託職員として採用されました。専門性と職務内容は変わらずに、組織を移動した格好です。嘱託職員の定年は63歳でしたが、2021年に会計年度任用に制度が変更。再び試験を受けて、会計年度任用職員になりました。1年更新の3年が上限なので65歳までの任用期間。でも65歳時にも再び試験に合格。任期は68歳までですが、特殊な専門性があるため、次の試験も通るかもしれません。そうしたらなんと、71歳まで働き続けられます。

「今の自治体の制度では、副業OKなんです。だから、できれば自分で事業を始めて、個人事業主になりたいと思っています」。副業をするにしても、本業である自治体の会計年度任用職員の立場と収入はキープした上で、です。いまの職務を単純に業務委託で切り出したら、いまの給与よりぐっと減ると見ています。いくつかの自治体から同じ業務を請け負っても、どこも予算が少ないので受託費も安いはず。それでは、とても暮らせないでしょう。「年金もギリギリなので、75歳まで働くかなあと思います」

車は断捨離候補、医療保険一つを解約検討

若いころに自治体の正職員だったため、淑恵さんはかつて共済年金に掛けていました。制度が変わっていまは厚生年金ですが、特別支給の老齢厚生年金として報酬比例部分の受給がすでに始まっています。

「いまの支出を計算してみたら、結構いろんなものにお金を払っている、って分かりました」。駐車場代には月約2万円払っています。淑恵さんは運転好き。月に1度は郊外に、年に1度は泊まりがけで遠くの観光地に、ドライブに行きます。駐車場のほか車検や税金など、年に計30万円近くの維持費がかかります。「車は、手放したほうがいいかしらね」と、残念そうです。いずれ収入が年金だけになって、生活を縮小する時には、車は断捨離候補かもしれません。

他にも、マンションの管理費・修繕積立金が、月に計約2万2千円。医療保険とがん保険は、毎月計約1万2千円。NISAは掛けていないので、老後資金のために「医療保険の一つを解約して積立NISAでも始めたほうがいいかしら」とも考えます。

ただ、実はがん保険には助けられました。


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8年ほど前のことです。健康診断で受けたマンモグラフィー検査で、右胸にしこりが見つかりました。要精密検査と言われ、頭が真っ白になっていた時、旧知の婦人科の医師と事務スタッフに、職場で偶然、会いました。仕事の打ち合わせで来庁していたのでした。相手は名医です。「要精密検査って言われちゃったんですよ〜」。軽い調子で話したら、事務スタッフが顔色を変えました。「淑恵さん、次の月曜、朝イチで来てください」。予約を取ってくれました。

どんな苦しい状況も笑いに変えるバイタリティー

診断の結果、乳がんと分かりました。右胸は全摘出が必要と言われました。ただ、現代では同時再建手術が可能とのこと。手術が終わって麻酔から目が覚めたら、すでに新しい胸が出来ている、と説明されました。半年ほどかけて、徐々に膨らみを増やして形を整えていくそうです。「子どもを産んでない女性は、乳がんのリスクが高いんですよね」

ただ、幸運なことに、淑恵さんら嘱託職員にも、当時は有給休暇がありました。さらに、淑恵さんの勤務は週末出勤が多い職種で、ふだんから平日に振り替え休日を取っていました。結果、約1ヵ月も手術入院で休みましたが、給料は減りませんでした。「ラッキーでした」。さらに、昔入っていたがん保険も大活躍。保険金が400万円近くも出ました。

さすがに、胸を取る前は感傷的になりました。でも、仕方がありません。命が取られるよりは良いです。「アンジェリーナ・ジョリーが、乳がんリスクが高いからって、予防的に両胸を取りましたよね。あの気持ちがよーく分かりました」。明るい淑恵さん。笑って、再建したバストの利点を教えてくれました。

「知ってます? 再建した胸って垂れないんです。ぴん、って張っている。仰向けに寝ても、流れないで、きれいなお椀型のままなんです。すごいですよね〜」

いやはや、タフです。どんな苦しい状況も笑いに変えてしまう淑恵さんのバイタリティーには頭が下がります。だからこそ、浮気の果ての壮絶な離婚話も、いまや笑い話として語れるのでしょう。

手術以来、淑恵さんは「人間の体は食べた物でできている」と実感、食事に気を配るように。大好きだったスイーツは封印。玄米食にして、野菜、キノコ、発酵食品を摂り、牛肉も豚肉もやめました。それまで60キロ近くあり、11号の洋服がきつかったのが、みるみる減量。目標体重の45キロになりました。外食やケーキは、たまに許しますが、いまも体形をキープ。すっかり健康体です。

「たまたま」の幸運を呼び込む力

淑恵さんには、老後についてのぼんやりした構想があります。「女友達が、近隣の市にアパートを持っているんです。彼女は父親から経営を継いだんです。そのアパートの別々の部屋に、老後は、彼女と私と住んだら良いんじゃないか、って話してるんです」

気安い女友達と近くに住むと、精神的にも安心でしょう。アパートの部屋は、3LDKで家賃3万円。いまの自宅マンションを貸したら、家賃は10万円取れます。差額の7万円を生活費に充てる、と計算します。離婚のおかげ、と言ったら語弊がありますが、老後まで暮らせる場所が確保できたのはありがたいことです。

「マンションがあって、本当に良かったって思っています」


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淑恵さんの人生は「たまたま」の連続のようです。今のマンションを見つけて買ったのも「たまたま」内見予定の物件が見られなかったから。その後の就職も「たまたま」再会した知人の伝手で。がんの手術をスムーズに受けることができたのも「たまたま」旧知の医師と会ったから。最後は本人の選択ですが、淑恵さんの前向きさ、明るく楽観的な性格が、そうした「たまたま」を呼び込んだ面もあるように思えます。

隠さずに事情を話してくれる淑恵さんだから、周囲も有益な情報を提供できました。物件の紹介も、就職先の紹介も、病院の紹介もそう。困っていると声を挙げたから、助けが必要だと分かってもらえました。反対に、同じような岐路にいても自分の状況を明かさないために、助けが不要だと誤解される人も多いように思います。モトザワ自身も、つい見栄を張って、大変な状況下でも大丈夫と言ってしまいがち。でも、老後をQOL(生活の質)高く過ごせるかは、どれだけ周囲に助けてもらえるかによるかもしれません。必要な時には、恥ずかしがらずに声を挙げたほうが良いのです、きっと。