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環境省が公開している「犬・猫の引取り及び負傷動物等の収容並びに処分の状況」によると、犬や猫の返還・譲渡率は年々増加しており、令和4年度には76%と最も高くなったそう。そのようななか、作家として活動するカリーナ・ヌンシュテッドさんとウルリカ・ノールベリさんは「猫がストレスや不安を軽減することは、研究で示されている」と話します。そこで今回は、お二人の著書『にゃんこパワー:科学が教えてくれる猫の癒しの秘密』から、不思議な<にゃんこパワー>の秘密を一部ご紹介します。著者のカリーナさんが、そのパワーを感じたきっかけは――

【書影】猫の不思議な力を解き明かす、にゃんこ本の決定版。カリーナ・ヌンシュテッド、ウルリカ・ノールベリ 翻訳:久山葉子『にゃんこパワー:科学が教えてくれる猫の癒しの秘密』

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猫への扉を閉ざして生きてきた

もう20年近く猫を飼っていませんでした。猫アレルギーのある人を伴侶に選んだのだから、他にどうしようもありません。

だから心の扉――心地よいゴロゴロという音と安心感につながる扉――を閉ざして生きてきました。

反抗期だった10代には、母が飼っていた白と茶色の雑種ミッセンがいつも私を癒してくれました。

当時、新しい父親とはケンカばかり。だって母の話もろくに聞かないし、母が病気で大変だった時期にもサポートしないような男だったから。

彼は猫嫌いだったのに、ミッセンはそんなことおかまいなしに、茶色のマンチェスターソファでテレビを観る彼の膝にのっていました。

最初は追い払われていたけれど、そのうちに膝にのったままのどを鳴らすように。そんな時、新しい家族にようやく平和らしきものが広がったのです。ミッセンは私の長男ヴィルメルが誕生した数年後に亡くなり、それ以来私の心は空っぽでした。

それでも私には素晴らしい家族がいます。夫アンデシュ、そして2人の息子ヴィルメルとオスカル。

ただし夫が猫アレルギーだったので、猫を飼うという話は出ませんでした。夫は猫を2匹飼っている妹の家に遊びに行っただけで目がかゆくなり、くしゃみが出て、30分も滞在できないのですから。

毛のない猫を飼うことも考えたけれど、毛がないとなんとなくちがう気がして……。だから我慢して心の扉を閉めたのです。

ある時、ウルリカが自分のバーマン種のボーレを貸してくれました。アレルギーに優しい猫だから、と。

ふわふわの美しい猫に、うちの10代の息子たちまで甘い声を出したほど。どうかうまくいくよう祈ったものの、4、5時間もするとアンデシュの目から涙が流れ出しました。

そして扉はまた閉まったのです。

また猫への扉が開いた時

2018年の夏、アンデシュの癌が発覚し、私たちの日常は完全に中断されました。次の化学療法、次の告知、次の手術、次の通院、救急車の呼び出し――そういったことにエネルギーをすべて費やす日々。

それでも私たちは素晴らしいチームでした。愛があれば何でも解決できる――そう思ってがんばったのですが、コロナ禍が始まった春に3度目の再発がわかり、これ以上悪いことは起きようがないという気分でした。アンデシュは田舎の別荘で隔離生活を始めました。

5月になった頃、夫が予想外のことを言い出しました。

「猫を飼いたいと言ったらどう思う?」

私は夫の意図がまったく理解できませんでした。

「かなりアレルギーが起きにくい猫の品種があるって読んだんだ。サイベリアンだよ」

「本気? 検索してみたの?」

「うん、他にすることもないし。猫がいたら楽しいかと思って」

「本当にそう思ってる? 冗談を言っている場合じゃないのよ。アレルギーが出たらどうするの」

「試してみようよ」

それで私もむさぼるようにサイベリアンについて調べてみると、ずっと憧れていたノルウェージャンフォレストキャットに似ているし、毛もふさふさだし、犬みたいな性格ですって? うちにぴったりじゃないの。

なぜ今まで知らなかったの――。

我が家に愛を振りまいてくれたミア

ふさふさの黒い毛皮のサイベリアン、ミアがわが家にやってきたのは、私たちがまさに彼女を必要としていた時期でした。それ以来、家中に愛を振りまいてくれています。

7月のある暑い日、家族全員で車に乗りこみ、ブリーダーのエヴァの家へ向かいました。到着すると夫アンデシュはすぐにベッドルームの床に座りこみ、子猫たち――ミアやそのきょうだいと全力で遊び始めました。わざと目をこすったりもしましたが、アレルギーは出ませんでした。

合意書にサインする約束をして帰りましたが、翌日エヴァから懸念した声で電話がありました。

「後になってアンデシュがアレルギーを発症したらどうするの?」

飼い主を変えるのは子猫にとって辛い経験です。それでも私たちは必死でエヴァを説得しました。

「大丈夫、アレルギーは全然出なかった。世界中の何よりもミアがほしい!」

突然命をかけても叶えたいと思えたのです。

突然の入院

母猫と離してもよい3カ月を迎え、あと2週間で引き取れるという時、私は自宅のキッチンで倒れました。リビングにいた夫にかろうじて「私、今から気を失うから!」と伝えて。

そして汚れた敷物の上に横たわりました。もっと前にクリーニングに出しておくべきだった――そんなことを考えながら。

足が動きません。心臓がものすごい速さで、しかも不均一に打っています。昔から不整脈があったけれど、それまで特に生活に支障はなかったのに。

しかしここ半年で心拍数がかなり上がり、3週間前にアブレーションという簡単な心臓手術を受けたところでした。それで安心だと思っていたのに……。

救急に運ばれ、2時間におよぶ検査をして、途切れ途切れの心電図の結果が出ました。予後観察のために心臓科に入院し、なるべく早くまたアブレーションの手術をしてもらえるのを待つことに。

非現実的な気分でした。夫が癌だというのに、私のほうが入院しているなんて。家では子供たちが私を必要としているのに。しかし医師に「心臓を落ち着かせるために、もう一度“焼く”必要がある」と言われました。

ここ数年のストレスが溜まっていたのでしょう。愛する人が病気になり、闘病を支えるのは家族にとってもっとも辛いこと。

それに、健全とは言い難い会社で長く働いてきました。同僚は体調不良で休み、次々と辞めていきます。そこをマネージャーとしてやりくりせねばならず、時には3〜4人分の仕事をこなしました。

結局、心も身体もそれ以上がんばれない状態に追いこまれていたのです。

新しい家族を待つ入院生活

同じ病室には他に3人心臓病の患者が入院していて、ベッドは薄いカーテンで隔てられているだけ。

私は幸い窓際のベッドでしたが、それでも向かいの女性が寝返りを打ち、咳きこむたびにベッドがきしみます。コロナ陰性だとは説明を受けましたが。


(写真提供:Photo AC)

昼間は30度を超えるスウェーデンとしては暑い夏で、私は窓を開けて、8月の夜の空気を部屋に入れました。全身に貼られた心電図の電極がかゆくてかゆくて。

眠りにつく前にはミアのことを考えました。ミアが人生の光のように思えたのです。

入院3日目の8月9日は結婚記念日でしたが、コロナ規制により病院は訪問が一切禁止されていました。

しかし医師はしぶしぶ、「ポータブル心電図につながったままなら、正面玄関を出たところのベンチに15分間だけ行ってもいい」と言ってくれました。

太陽が焼けつくような病院のベンチでのひとときが、その夏の最高の思い出になりました。私たちはアイスクリームを食べて冷たいオレンジジュースを飲みながら、あと10日もすれば迎えに行ける新しい家族のことを話しました。

私たちにたくさん愛情を注いでくれる子猫――研究によれば、心血管疾患のリスクも低下するらしいし。

そして8月19日水曜日、ようやくミアを迎えに行くことができました。初めて彼女を抱いた時の感触といったら!

新しい環境に慣れないミア

生後12週間で体重が1キロもない小さなミアは、ストックホルムのアパートに帰る車の中でずっとニャーニャー鳴いていました。

家に着くとソファの下にもぐりこみ、一晩中出てきません。そして翌日も出てきませんでした。何も食べず、何も飲まずに。

床に腹ばいになって携帯電話のライトで照らすと、奥で震えているのが見えました。ソファの下にエサのお皿を入れたりもしましたが、食べてくれません。

私は息子たちが幼い頃高熱を出した時のような気分でした。お願い、どうかうまくいって!

エヴァからは「あと数時間以内に水を飲まなかったら、獣医に連れて行って水分補給して」と言われました。

もうこれ以上の病院通いはしたくないのに……。うちに慣れる前にミアは死んでしまうの?

その日、夕方近くになって、ミアはやっとエサを食べ始めました。家族全員が集まり、ささやき合いました。

「よかった、食べてる……」

これでやっと一安心。ミアも同じだったのでしょう。

数日後には当たり前のように家族の一員になっていました。そして全員が感謝の気持ちでいっぱいでした。

ミアがこれほど幸せを運んできてくれるなんて――。

※本稿は、『にゃんこパワー:科学が教えてくれる猫の癒しの秘密』(新潮社)の一部を再編集したものです。