「もっと違う経験をして、常に新鮮な自分でいないと、いつか何かが枯渇してしまうのではないかという危機感がありました」(撮影:小林ばく)

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朝ドラ『虎に翼』に桂場等一郎役で出演中の松山ケンイチさんが、6月24日、NHK『鶴瓶の家族に乾杯』に登場。ドラマではいつも何かを「食べかけ」ている松山さんが、香川県さぬき市へでスイーツ&うどんに出会う旅を。松山さんは、お遍路に興味を持ち、札所のお寺へ。家族や沖縄との2拠点生活を語った『婦人公論』2022年2月号の記事を再配信します。***********さまざまな役を演じわけ「カメレオン俳優」とも称される松山ケンイチさん。女優の小雪さんと結婚し、3人の子どもとともに1年の約半分は地方で過ごしているそうです。沖縄への思いと、都会と自然の中での二拠点の暮らしについて語っています。(構成=篠藤ゆり 撮影=小林ばく)

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何ごとにおいても失敗したい

地方と東京の2ヵ所に拠点を持つようになり、3年ほど経ちます。地方にいる間は野菜を育てているのですが、毎年、何かしら失敗しています。でも、それは僕自身が望んだこと。野菜作りに限らず、何ごとにおいても失敗したいんですよ。失敗をするなかで、「こうしたらいいんじゃないか」「ああしたらどうだろう」と試行錯誤して、自分自身で何かをつかみたい。

ただ、まわりで野菜を育てている方たちからもアドバイスをいただけるので、それなりの成果は出るようになりました。地元の人たちとコミュニケーションを取りながら、勉強している。そんな段階です。

そういえば、去年はスイカが大きくなった頃に寒くなり、出来がイマイチだったんです。そうしたら近所の農家さんが、「昔はそういう時、スイカ糖にしていたよ」と教えてくれました。

スイカの果汁を煮詰め、メープルシロップみたいなドロッとした蜜にして、風邪の時に舐める健康食品として重宝していたとか。それを聞いてさっそくチャレンジして――。初めて知ることがたくさんあって、本当に面白いんですよ。

この生活は、もともとは僕のわがままから始まったことでした。17歳で俳優デビューするとともに青森県から上京。それからは東京で暮らしていましたが、いつしか仕事場と家を往復するだけの単調な生活になっていることに気が付きました。

野菜を育てたい、動物を飼ってみたい、お祭りに参加したいなどやりたいことはあったのですが、それは「東京でやりたいこと」ではなくて。

子どもたちも田舎の生活を気に入って

もちろん東京にいても畑はできるけれど、郊外に畑を借りて車で1時間くらいかけて行くとか、管理者がいて収穫をするだけといったやり方には、あまり興味が持てなかったんです。

俳優としても、ひとつの世界に引きこもっているだけではダメだろうな、という思いがありました。もっと違う経験をして、常に新鮮な自分でいないと、いつか何かが枯渇してしまうのではないかという危機感があった。

だから、この期間は東京に出て俳優として仕事をしているけれど、ほかの季節は別の場所で別の仕事をする。そんなライフスタイルを選択してもいいんじゃないかなと思ったんです。僕の気持ちを妻にも伝え、よく話し合ったうえで、1年の約半分は東京で、残りの期間は田舎で暮らすという今の生活を始めました。

3人の子どもたちも、田舎での生活を気に入ったみたいです。虫捕りをしたり、カナヘビの卵を孵化させたり――学校の友だちと一緒に、自然のなかでの遊びを楽しんでいます。そういった経験をするのは、東京では難しいんじゃないかな。

一方、東京でしかできないこともあります。歌舞伎や相撲を観に行くとか。その場所ならではのことを自分たちで見つける暮らしを楽しんでいます。

人として半人前なんじゃないか

目下の悩みは、おつきあいさせていただいている方たちに、どうお礼をしたらいいのかということ。野菜作りのコツを教えてもらったり、道具を貸してもらったり、たくさんお世話になっているのですが、僕は返せるものを何も持っていない。

東京では、お金を払って畑地を借りたり、野菜作りを習ったりしますよね。でも、僕と農家さんの関係はそういうものではない。向こうはプロなので、僕が収穫した野菜を持っていくわけにもいかないし、ちょっといいお菓子でも買って「先日はどうもありがとうございました」とご挨拶するのもしっくりこない。かといって、畑の真ん中で台詞を言ったところでしょうがないですから。(笑)

こういう時、僕には俳優として演技をすること以外の武器がないのだと実感します。このままでは人として半人前なんじゃないか。何かしらほかに強みを作らなくては、と思っています。

それに、俳優の仕事だけをやっている僕では、子どもに何も教えられない気がするんです。作品を見せるわけでもないし、「親父は今日、(撮影で)焼肉食べて帰ってきたけど、それが仕事なのかな」なんて、遊んでいるかのように思われたくない。

「子どもに見られているぞ」という感覚と、「自分も自分のことを見ているぞ」という感覚を常に持っていたい。適当に生きてちゃダメだな、と思っています。

仕事も住む場所もひとつでなくていい

最近は、一人の人間がひとつの仕事しかしてはいけないという世の中ではなくなってきたような気がします。仕事をいくつか持っていていいし、住む場所もいくつかあっていい。

もちろん、自分にとって俳優の仕事が大事な軸であることは変わりません。今までも一作一作、精魂込めて演じてきたつもりですし、これからもその姿勢は変わらないと思います。

この冬の〈農閑期〉は、舞台とじっくり向き合う時間です。映像の仕事が中心なので、舞台はまだまだ初心者。だからこそ挑戦しなくてはいけないと感じているし、やりがいもあります。

ずっと同じ席に座り、同じようなやり方を続けていたのでは、得られないものがある。慣れないことにもチャレンジし、自分の足で歩きまわって、新たなものを見つけて感動することを大事にしたいと思っています。

今回参加するのは、『hana―1970、コザが燃えた日―』という作品で、背景となっているのは、返還前の沖縄で起きたコザ騒動です。1970年12月20日、アメリカ兵が起こした事件をきっかけに住民による反乱が起きた、日本でも珍しい事件です。この作品は、その夜、とあるバーに集まった家族の物語。

僕が演じるハルオは、アメリカ兵が出入りする「Aサインバー」のママの息子。ハルオには弟のアキオと妹のナナコがいますが、二人とは血が繋がっていません。

ハルオは終戦後、生まれた場所も本名も年齢もわからない状態でママに拾われたことがコンプレックスになっています。「自分は何者なんだ?」という思いを抱え、どこか屈折している。

彼はある出来事をきっかけに、道を踏み外してヤクザになってしまいますが、血の繋がらない家族のことはとても大切に思っている……。切ない台詞や、つらい事実も登場しますが、温かさや幸福もある。何気ない会話のなかから、そういうものを表現できるよう演じたいですね。

「なかったこと」にしてはいけない

沖縄という土地に対しては、複雑な思いがあります。僕は北の生まれなので沖縄は遠すぎて、子どもの頃には行く機会がありませんでした。大人になって初めて訪れた時、レンタカーを借りてあちこちに行ったんですけど、ひめゆりの塔であまりにも悲惨な歴史の痕跡を目の当たりにし、それ以上、沖縄をまわれない気持ちになり――。

思わず目を背けてしまった自分に対する忸怩たる思いもあるので、決して楽しいだけのところ、という印象の土地ではありません。

コザ騒動については、名前は知っていたけれど、実際に何が起きたのかはほとんど知りませんでした。今回、自分なりに調べてみて、こんなことがあったのかと愕然としました。同時に、これは戦争と一緒で、風化させて「なかったこと」にしては絶対いけない、という気持ちが湧いてきて。今年はちょうど沖縄復帰50年を迎えますし、世に問う意味がある作品だと感じています。

今までも作品と出会うたびに必ず学ぶことがありました。なかには自分が変化するきっかけになる出会いも……。この作品もきちんと自分のなかで消化し、ものごとを考えるうえでの糧にしたい。

俳優でいるからには、演じる作品から何かしら自分自身の内面に持ち帰らなくてはいけない。それが一俳優としての、僕の信条です。

この仕事を続けていくうえでは、健康管理も大事です。自分にとっては生活リズムがとても大切。子どもの生活時間に合わせて早寝早起きして、規則正しい生活をし、食べすぎない、飲みすぎないことを心掛けています。

僕はプロテインを飲んでジムに通う、みたいな身体作りは、あまりしたくないんです。アスリートなどを演じるなら話は別ですが、そうでない人を演じる時に、人工的な肉体作りは必要ないんですよね。

日頃、畑での作業をしていると、自然に身体ができていく気がします。そうやって、田舎での暮らしが俳優の仕事にもいい影響を与えて、ふたつがうまくまわっていくのが理想です。

田舎の生活でチャレンジしたいこともまだまだたくさんある。ゴミをアップサイクルする取り組みができないかということも考えたりしています。

僕の故郷の青森には南部裂織(なんぶさきおり)という、古くなった着物や布を裂いて織り直す技法があります。あれなどは、まさにアップサイクルなんですよね。具体的にはまだ何もありませんが、自分自身でやれることを探している最中です。