病室の前でファイティングポーズを決めた谷津嘉章

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 糖尿病のため6月に右足を切断し入院していたプロレスラーの谷津嘉章(63)が10日、義足を付けて群馬県内のリハビリ病院を退院した。「一時退院で帰宅した時には、病院では気づかなかったことがいっぱいあった。これからの日常生活では不自由なことだらけでしょうけど、何とかやっていきますよ」

 1976年モントリオール五輪男子レスリングフリースタイルで8位入賞し、1980年モスクワ五輪は日本のボイコットで“幻の金メダリスト”となって、新日本プロレスに入団。ジャパンプロレス、全日本プロレス、SWS、社会人プロレスSPWF、WJ(ワールド・ジャパン)プロレス、総合格闘技PRIDEなどで活躍。

 54歳で一度はプロレスから引退していた谷津だが、入院前はレジェンドマッチで復活しており、現役プロレスラーだった。今年3月にDDTプロレスリング(高木三四郎社長)から定期参戦を求められ、五輪ならぬ八つの輪をデザインした「YATSU―RIN」のコスチュームで、来年の東京五輪まで盛り上げるつもりだった。

 だが、持病の糖尿病を抱えながらの遠征ファイトに疲労が蓄積。靴擦れからばい菌が入って右足が壊疽(えそ)。6月2日のDDT愛媛巡業を終えて精密検査を受けた時には手遅れだった。

 6月24日に即入院、「最初は血豆ができたんです。悪化したけど、切るにしても指か足の甲までかなと思ってたけど、そんなに軽いもんじゃなかった」翌25日に切断という、考える猶予のない状況だった。「筋肉があって骨太だから手術は3時間半かかった。上半身は意識があるんで、レーザーメスで焼き肉のような臭い、骨をギーーンって削ってる音。グロすぎて体験するもんじゃないですよ」それでも何とか膝関節は残してもらえた。

 術後も麻酔が切れて2度意識を失った。痛みをこらえ切れずナースコールを押すと「なんですぐ痛いって言わないんですか。プロレスラーだから痛くないのかなと思ってましたよ」と看護師からあきれられ、痛み止めの薬をもらったという。

 現役時代は186センチ、120キロのスーパーヘビー級だった体重は、引退してから97キロになっていた。体調を崩して入院時は92キロ。そこから右足を切断して87キロになった。「ラッパみたいになった」という患部の腫れが引くのを待って、8月19日に採型、26日に仮合わせして人生初のマイ義足を手に入れた。休みなしでリハビリを重ねて、超人的なスピード退院にこぎつけた。

 2010年10月30日に東京・新宿FACEで一度は引退試合を行った谷津。新日本プロレス時代の先輩、藤波辰爾(65)と初代タイガーマスク(佐山サトル)が相手だった。パートナーとして、かつてインタータッグ王者コンビとして共闘した長州力(67)にラブコールを送ったが、WJ時代に決別していることから修復はかなわず、SWS時代に新弟子だった元大相撲十両の維新力(58)と師弟タッグを結成した(結果は、藤波のドラゴンスリーパーに谷津がギブアップ)。

 その後、レジェンドマッチへのゲスト参戦を重ね、昨年10月19日に約10年ぶりにプロレスの聖地、東京・後楽園ホールで試合をした時に「あれは引退試合ではなくて、SPWF(主宰した社会人プロレス)の解散式だったのかって思う」と自分に言い聞かせるように話した。

 この時の興行は、藤波が主宰するドラディション「THE REVENGE TOUR」で藤波から「今後、どっかで戦いたい気持ちもある」と対戦要求され「自分もしたいですよ。いい勝負だと思うから。シングルでしてなかったからしてみたいですよね」と言い、「長州ともしたいですね。ガチで」とリップサービスした。