「安倍が敵じゃないぞ、安倍に任せても大丈夫と言っている人が敵だぞ」社会学者・宮台真司が改憲反対派に提言

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 社会学者・宮台真司氏とラジオパーソナリティーでライターのジョー横溝氏が政治・経済・司法・国際情勢から、映画・音楽・芸能、サブカル、18禁にいたるまで、様々なジャンルのテーマを独自の視点で徹底的に掘り下げる『宮台真司とジョー横溝の深堀TV』。

 今回のテーマは施行から71年経つ「日本国憲法」。日本国憲法と日本国民はどう向き合えばいいのか、憲法学者の木村草太氏をゲストに迎え熱いトークが繰り広げられました。

 木村氏は「私たちの生活は日々憲法に支えられている」と語り「ファウンディング・ファーザーズ(憲法を作った建国の父たち)の憲法意思」について解説を行います。

左からジョー横溝氏、宮台真司氏、木村草太氏。

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私たちの当たり前の生活は憲法に支えられている

木村:
 憲法の条文とか憲法訴訟のことを四六時中考えている人が例えば立憲主義の先輩であるフランスとかイギリスとかアメリカとかに多いか、というとそんなことはないのです。もちろん日本よりも憲法意識が高いことをうかがわせる話は色々あります。例えばアメリカの小説とかを読んでいると普通に「ファースト・アメンドメント(第一修正)表現の自由」という言葉が出てきたりするので、日本人が憲法21条(表現の自由を保証した条文)のことを話すよりは、アメリカ人が第一修正の話をすることの方が多いかもしれないけれど、憲法学者みたいに皆が四六時中考えているわけではないです。

 長谷部恭男先生が最近出した『憲法の良識』という新書で紹介していたけれどもイギリスで「我が国には憲法典はあると思いますか?」というアンケートをとって25%ぐらいの人が「あると思う」と答えたらしいです。イギリスでは憲法典がないと有名なのですが、イギリス人に聞いてもそういうふうに答える人がいるのです。

ジョー横溝:
 イギリス人に聞いてもイギリスに憲法はあると思っている?

宮台:
 ありそうな気がする(笑)。

木村:
 確かに立憲主義の先輩の国だからあるイメージかもしれないけど。日本人に、憲法9条の穴埋めの問題を出しても、同じような正答率か、もっと低いかもしれません。でも憲法のことを「我々は意識しないで生活できているか」と言われればそんなことはないわけです。

 憲法に書いてある事って、例えば「好きなテレビが見られる」とか「好きな本が書ける」とか「Twitterで好き勝手書ける」とかそういうことです。それって我々の当たり前の生活でしょう?

 でも、これは憲法で表現の自由が保障されていて、それを前提にいろんな法律ができていて、政治家の振る舞いがあって行政の振る舞いがあってできているわけで、私たちの当たり前の生活というのはいろんなところで憲法に支えられているわけです。

 だから「憲法の条文のことを意識しているか」というと、していない。してないかもしれないけれど、私たちの生活は日々憲法に支えられているので。


ジョー横溝:
 憲法の恩恵なしには普通の生活はありえないと……。

憲法意思――憲法典が書かれたときの意味

宮台:
 憲法学者の著作権法の専門家でもあるローレンス・レッシグ氏という、日本では『CODE』という本で有名になったけれど、その『CODE』にも書かれていることを木村草太さんとお話をさせていただきたいのだけど……。

 合衆国は建国の祖がはっきりしている。新しい国だからそういう合衆国の特殊事情を意識しながら皆さんに聞いていただきたいのだけれども、草太さんがおっしゃったように憲法というのは僕達の日常生活で当たり前になっていることを支えているものでありプラットホームなのです。

 ゲーム盤でもいいです。僕たちはゲーム盤の上であれをしよう、これをしようとゲームの手を選んだりするけれども、ゲーム盤そのものは与えられている当たり前のものなのです。でもゲーム盤はもともとなかった。

 ファウンディング・ファーザーズ(建国の父たち)の……つまりファウンダーというのはゲーム盤を作った人のことです。ゲーム盤を作った人はそのゲーム盤じゃなかったら、どんなゲーム盤になっていたのかとか、どういうゲーム盤を否定してそのゲーム盤を作ったのかということを意識している。

 だから「憲法意思とは何か」というところを議論していて、我々が憲法を読んで例えば「修正第1条はこういうことが書かれてあるというふうに思う、でもそれは憲法意思ではない」と書かれてあるのです。じゃあ「何が憲法意思か」というと、まさにその修正条項を書いた人あるいはファウンディング・ファーザーズがプラットホームのファウンダーで、それを提訴したことが「何を否定して何を選択したのかということを意識することが憲法意思なのだ」と言っているのです。

 これは結構重要なことで、僕は社会学者だから慣れ親しんだ結果分からなくなってしまう状態ということをいろんな意味で問題視する立場なのです。当たり前になったものを「本当は当たり前じゃないのだ」と、意識させるのが20世紀半ば以降の社会学者の役割だというふうに言ってもいい。

 そういう意味で言うと、レッシグ氏がおっしゃっている憲法意思とは、「我々が憲法を読んで皆がこういうふうに理解しているというのは憲法意思とは関係ない」と、「憲法意思はプラットホームを作った人たちが何を意識したかということを意識することである」と。

ジョー横溝:
 なるほど。

宮台:
 僕はローレンス・レッシグ氏の『CODE』という本を読むまでは、実はあまりそういうことを意識したことがなかった。けれども、プラットホームを作った人間とプラットホームを作った人間が誰かということを忘れて当たり前のようにしている人間とは例えば修正第1条の表現の自由の条項を読んだとして、その受け止め方は読んだときに生じる体験がやっぱり違いますよね。

 日本人だけじゃなくアメリカ人とかイギリス人とか含めて我々にとって、憲法意思つまり憲法で何が命令されているのかあるいは何が推奨されているのか、誰がどう考えればいいのでしょうか?

木村:
 ものすごく難解な論点なのですが、レッシグ先生がおっしゃっているのは、原意主義と呼ばれる考え方で、「憲法典が書かれたときの意味が憲法の意味」なのでそういう理解なのですけれど、アメリカの文脈ではこの議論は二つの意味で危険もあると。

 まず一つ目の危険はアメリカ合衆国憲法というのはもう200何十年も前、そういう時代にできたものなのです。その時の時点での平等とか自由とかというのは今と全然違うわけですよ。例えばアメリカ合衆国憲法ができた時の平等というのは黒人奴隷がいることを前提にした平等ですね。

 あるいは奴隷を解放したあとに14修正を作ったわけですけども、「黒人も白人も平等だよ」という14修正を作った時には「黒人用の学校を作って黒人を隔離していても平等なのだよ」という前提で作っていたりするので。「原意主義だ」と言って憲法を読むと我々が考えている自由とか平等とは全然違うものになってしまうというところがアメリカ合衆国憲法の難しいところなのです。

 それがもっと若い日本国憲法とかボン基本法【※】だったら、あの時の理想主義の話で読めばよい、と言えるかもしれないけれども、アメリカの場合はやはり原意主義で読むと非常に難しい問題が起きてくる。我々の倫理観とはだいぶ違うものになるわけですね。

※ボン基本法
ドイツ連邦共和国の憲法、ドイツ連邦共和国基本法の別名。

ファウンディング・ファーザーズが生きていたらどう思うのか

宮台:
 『CODE』という本には、その原因主義的な論点を修正するような追加的な論点がある。それはどういうことかというと、今木村さんがおっしゃったように状況が変わる、事情が変わっているという時にどう対応するのかとレッシグ先生は面白いことを言うのです。「ファウンディング・ファーザーズが今生きていたら、この条文をあるいはこの条文の相当物をどう書いただろうかと想像することが大事なのだ」と言うのです。

 例えばプライバシー権というのはどの憲法でも必ず多くの場合、住居の不可侵権のあとにきているのです。「住居不可侵権というのは今だったら何を意味しているのかと考えるところからプライバシー権という発想が出てくるのです」と書いてあるのです。

木村:
 だからEメールはプライバシーの中なのか外なのかということですよね。

宮台:
 そういうことです。その条文を書いた人が今生きていたらどう変えたのかということを考えるのが面白いですよね。

木村:
 2年前にアメリカで同性婚判決出ましたよね?

ジョー横溝:
 出ましたね。


木村:
 同性婚を認めないことが14修正違反だという判決が出たのですけど、その時に保守派の裁判官というのは「そんなことを14修正を書いた人たちが考えていたわけではないではないか」と言うわけですよ。ずっとアメリカの連邦最高裁は「合憲」と言ってきたし、合憲というかそもそも「同性愛は罰してもいい」と21世紀に入るまでに言ってきたのだから、そんなことは考えてなかったから雑な原因主義でやってしまうとそういう話になる。

 そういうことを乗り越えていくために、今おっしゃったような解釈をするしかないということですね。

 もう一つの問題は「憲法典を書いた人の意思」と言った時に書いているのはひとりじゃないわけですよ。例えば日本の憲法で言えばマッカーサーが全部書いているわけじゃないですよね。GHQの人たちもたくさんの人が関わっていたし、GHQから渡されてからも日本政府でも日本の議会でもいろんな人が関わって文章を作っているので、例えば当時の言っている人たちをイタコの方にお願いして蘇らせても「この条文どう考えていたのですか」と聞いても一致しないかもしれない。

ジョー横溝:
 なるほどね。

憲法は他者と向かい合いながら権力を行使する枠組み

木村:
 では誰の意思が正しい憲法の意味なのかというと、これは議決されたテキストしか意思はないわけですよ。だから純粋な原意主義で条文を解釈できるほど甘くはないということですね。

 憲法という物を置くのはなぜかということを考えると権力者を他者と向かい合わせるということがすごく大事なことです。

 権力というのは他者の視点がない形で使われると、ものすごく悪に使われるわけですよ。つまり権力というのは深い考えなしに行使された時、極めて残酷に使われるわけですね。

 これに対し、憲法というのはある意味では誰にとっても他者なのです。私が読んでも私が書いた文章ではないですし、宮台先生が読んでも宮台先生が書いたものではないし、あるいはこの憲法を制定した当時の吉田茂にとっても自分で案を帝国議会に出した首相かもしれないけれども全部自分で書いたわけでもないし、議決されたテキストが自分の意思を完全に表現したものでもない。誰にとっても他者なわけですよね。

 他者の書いた文章に則って「私は権力を行使していますよ」とこの文章の意味を解釈して他者と向かい合いながら権力を行使するという枠組みなので。憲法というのは誰にとっても他者であるというところがポイントなのですよ。

宮台:
 腑に落ちますね。僕たちはプラットホームのファウンダーではないから、もちろん事情を知らないということはあるけれども、プラットホームに馴染んでしまっているという時点で馴染んでいない人たちが書いたものがまさに他者が書いたものですね。そういう意味ではもちろん統治権力も他者に向かい合うことになるけれども、実は僕たちも憲法を読むことで他者に向かい合うことになりますね。よく「統治権力に対する命令が憲法」で「市民に対する命令が法」みたいなものがあるものの。

木村:
 レッシグ先生が言っているのも自分がこう読みたいからこう読むというのが憲法テキストではないってことですね。ファウンディング・ファーザーズなら、どう考えるかを考えろ、というのは「他者であるファウンディング・ファーザーズと向かい合って権力の使い方を考えなさい」というメッセージですね。

宮台:
 すごい。

ジョー横溝:
 宮台さんがこんなに納得している顔は初めて見た気がするけど(笑)。

木村:
 憲法のことが嫌いだったり憲法の悪口を言ったりする人は他者と向かい合いたくないのですよ。

ジョー横溝:
 そういうことだ。

宮台:
 つまりヘタレということだ。ヘタレ=クズ。なるほど。

ジョー横溝:
 (笑)

木村:
 だから自分のやりたいことしかやりたくない、言いたいことしか言いたくないという人は「まず憲法を見てから権力を行使しましょう」と言われるとすごく嫌なわけですよね。

宮台:
 「見たくないものは見たくない、見たいものしか見ない」安倍首相のことだ(笑)。

一同:
 (笑)

ジョー横溝:
 そう考えるとインターネットというのは見たいものしか見ないという文化じゃないですか? 人間関係も効率化してくるし、その真逆に憲法というものがあるのだなというか。

宮台:
 そういうことだね。

ジョー横溝:
 ある種の普遍性というか偶然性みたいなものに気づかしてくれる。

宮台:
 第9条の話の時に僕は左翼批判をすると思うけれど、今の木村草太さんのおっしゃったことを念頭におくと自分が都合のいいように憲法を読んで来なかった人たちが、憲法を守れという人たちにも大勢いてそれが僕は不愉快でたまらないのだということがよくわかりました。

木村:
 今の他者と向かい合う話というのは、最近、対談本を出させていただいたSF作家の新城カズマさんの評論を見て考えたことです。新城さんは、noteでスターウォーズの最新作の評論をしている時に、「悪」について面白いことをおっしゃっていたのです。「スターウォーズの最新作で悪の描き方が非常に良かった」と、「悪というのは非常に空虚なものでそれが本当に空虚に描かれていた」と、「そこが良かった」とおっしゃっていて。

 空虚という言葉を私なりに解釈をすると他者と向かい合っていない、だから何にも深い考えなしに行ってしまうということで、それに比べると憲法に則ってというのは非常に窮屈な感じがするのですけど要するにこの窮屈な感じというのが立憲主義なのだなと思いますね。

宮台:
 僕は他者というと僕の少し先輩の大澤真幸さんが「未来の他者」をキーワードにしておられた時期があるのだけれど、彼の未来の他者という言葉を聞いた時に思い出したのがウルトラマンのガヴァドンという怪獣が出てくる「恐怖の宇宙線」というものです。

 子供が怪獣の絵を描いた土管に宇宙船のビームが当たって、絵がガヴァドンという怪獣になってしまうのです。それでウルトラマンと科学特捜隊はそれをやっつけようとするのだけれど子供達が「ウルトラマン宇宙に帰れ。ガヴァドンを殺さないで。ワァー」と叫ぶのです。実は家のすぐそばの近所の公園がロケ場所なのですけれど(笑)。

ジョー横溝:
 それいらない情報ですね(笑)。

一同:
 (笑)

宮台:
 あそこでもウルトラマンと科学特捜隊は子供という他者に向かい合って、それでウルトラマンは方針を変えるのですね。最後はガヴァドンを連れて行くのだけれど、「七夕の度に空を見れば会えるようにしてあげるよ」とガヴァドンを星座にしてくれたという話ですね。ムシバという主人公の男の子が「雨が降っていたらどうするのだよ」と言ってチャンチャンと終わるという(笑)。

一同:
 (笑)

宮台:
 他者は本当に大事だよ。

深い考えはない安倍首相「安倍が敵じゃない、安倍に任せても大丈夫と言っている人が敵」

木村:
 国家権力が守るものだとか国家権力を制限するものだというのはそういうことです。権力というのはまさに相手を無視して行使できるということが本質ですよね。相手を無視してということは何も考えずに行使できるのですよ。だからその時に何も考えずに他者と向かい合うのは危険ですよと、だから権力を縛るということは権力者を他者と向かい合わせるということと言い方を変えているだけと言えば言い方を変えているだけですね。

宮台:
 そうですね。木村草太さんは上品な方だから言わないだろうけれど、当然含意されていることは安倍晋三に任せればいいのだとか言っているクズなヘタレ。

一同:
 (笑)

宮台:
 そんなクズなヘタレをも他者に向かい合わせる力があるのが憲法なのだよね。

木村:
 今深い考えはない権力者の問題を議論しました。そういえば、私は去年の5月3日に安倍さんが自衛隊を明記したいとおっしゃっていたのでコメントを求められたのです。私はそのとき「安倍さんはなぜ、あのような提案をしたのですか?」と聞かれて「深い考えはないと思います」といろんなところでコメントしたのですけれど。

一同:
 (笑)

木村:
 「深い考えはない」ってどういうことかというと自衛隊明記を提案することを今やると政権与党にとっては、すごくまずいのです。なぜまずいかというと自衛隊を明記する場合、自衛隊の任務を書かなくてはいけないでしょう。どういう範囲で武力行使するかということです。与党から見ると、この書き方が非常に難しいのです。

 例えば、日本が武力攻撃を受けた場合に、個別的自衛権を行使することまでしか認めない、と書くと安保法制が憲法違反であることが今以上に明確になってしまうわけですね。

 これはできない。じゃあ安保法制の集団的自衛権の限定容認を書きます、となると国民投票の争点は「自衛隊の明記の是非」ではなくて「集団的自衛権の明記の是非」になってしまうわけです。

 純粋に集団的自衛権の是非で国民投票を勝てるのかというと2015年の反対運動の強さを思い出したらなかなか難しいでしょうね。じゃあ否決されたらどうなるかというと、国民投票で安保法制にNOが突きつけられた形になるわけですよ。安保法制は無事じゃ済まないでしょう。

宮台:
 その通りですね。

木村:
 だから安保法制込みで書いて発議してもまずいし、個別的自衛権に限定して書いても駄目だし、どっちいっても駄目ですね。

宮台:
 なるほど。確かに深い考えはないわ(笑)。

一同:
 (笑)

木村:
 深い考えがあったらあんなこと言えないのになぜこんなことを言うのだろうと(笑)。

ジョー横溝:
 なぜそんなことを言うのですか(笑)? 宮台さん大好きな人ですもの。

宮台:
 安倍さんはいい人なのだけれど、深い考えが難しい人なのだよね。安倍さんはね僕は結構好きな人なのです。安倍さんの家が近所なのですけれど、ラッパーのKダブシャインさんが安倍晋三さんのご自宅の庭でよく遊んでいたらしいのですけど、全然怒らないで「いいよいいよ」と言う、「いいおじさんだった」と「それは本当にいいおじさんだね」ということですよ(笑)。

一同:
 (笑)

木村:
 この1年奥さんを守りきっているじゃないですか(笑)?

宮台:
 そうだよ。守りきっている。いいおじさんだよ。

ジョー横溝:
 確かに(笑)。落語だったらいい話ですよ。

宮台:
 だから左翼、安倍が敵じゃないぞ。安倍に任せても大丈夫と言っている人が敵だぞ。その中に役人もいれば政治家もいればクソな豚もいるぞ(笑)。ごめんなさい。豚と言うと動物愛護の精神に反するというコメントが寄せられる(笑)。

ジョー横溝:
 これだけ言っといて、そんなこと今更気にしているのですか(笑)? そこでヒヨってどうするのですか(笑)?

木村:
 だからクズと言うのですね(笑)。

宮台:
 そうです(笑)。

一同:
 (笑)

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