マリナーズ時代のイチロー(左)とドジャース時代の野茂英雄(右)【写真:田口有史、Getty Images】

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メジャー史上30人目の偉業を達したイチローは“日本人”枠を超えた!?

 バース、ラミレス、カブレラ、ローズ…日本プロ野球史を振り返る時、そこには必ず外国人選手の名前が登場する。日本のプロ野球が現在の形に発展するまでに、彼らの活躍と存在は欠かせないものとなってきた。では、その目をメジャーに移すとどうだろうか? 1964年に村上雅則氏が日本人初のメジャーリーガーとなって以来、現在に至るまで数多くの日本人選手が海を渡った。今季はマーリンズのイチローが、メジャー史上30人目となる通算3000安打の偉業を達成。100年以上も紡がれてきたメジャー史には、着実に日本人選手たちの存在が刻まれている。米紙「ニューヨーク・デイリーニュース」電子版では「極東から来た天才たち」と題した特集を組み、メジャーの歴史の中でも一際強い光を放つ6人の日本人選手を紹介している。

 最初に取り上げられているのは、誰であろうイチローその人だ。シーズン最多262安打という記録はもちろん、10年連続200安打以上を達成した唯一の存在であることも紹介。日米通算安打数が4000を超え、「ピート・ローズはもちろん他の誰よりも優れた打者だという議論が起きた」と、一連の“論争”にも触れている。その上で「彼は日本から来た最高のMLB選手という存在にとどまらず、史上最高の打者は誰かという議論の対象になる選手」と大絶賛。“日本人”という枠を超えた存在であるとしている。

後進に大きく門戸を開いた野茂、日本人唯一のワールドシリーズMVP松井

 2番目に上がったのは、1995年にドジャースで一大旋風を巻き起こした野茂英雄だ。日本でもおなじみ“トルネード投法”でLAのファンを熱狂させた右腕について「未来の日本人メジャーリーガーに最も大きな影響を与えた人物」「2000年代に日本人選手が大挙したきっかけを作った人物」と紹介している。メジャーデビューした1995年、当時26歳だった野茂は、防御率2.54、リーグトップの236奪三振、伝説の左腕コーファックスを上回る9回あたり11.1奪三振という球団新記録を樹立。日本人投手として初めてノーヒットノーランを達成した人物でもある(両リーグで計2度達成)。

 大先輩の後に続いて紹介されているのは、レンジャーズのダルビッシュ有。右ひじ靱帯再建手術から復帰した今季は、9月2日現在、防御率3.01、9回あたり11.3奪三振と好調で「(移籍後)わずか4年だが屈指のハーラーになった」と評している。「ノモのように変化球は手がつけられない」とし、特にスライダーについて「球界を見回してもえげつなさでは指折り」と高評価だ。

 イチローに続く野手として登場するのは、もちろん“ゴジラ”こと松井秀喜だ。特集を組んでいるのがニューヨークのメディアということもあり、「読売ジャイアンツでは40本塁打以上打ったのに、メジャーでは31本以上は打っていない」と辛口評価も、「4度も100打点以上を記録した打点マシーン」とし「2000年代後半にヤンキースが成功したのはマツイの貢献が大きい」と称えた。特に、プレーオフが開催される10月の成績に注目。10月に戦った56試合では、打率.312、39打点を記録。2009年のワールドシリーズ第6戦で6打点を挙げる大活躍で、ワールドシリーズMVPに輝いた実績にも触れた。

ニューヨークメディアは黒田の「手堅い仕事」を高評価

 5番目に登場するのは、2013年にレッドソックスを世界一へ導いた上原浩治だ。現在は故障者リスト入りしているが、記事では「メジャー屈指のトップリリーバー」と称され、2013年のリーグ優勝決定シリーズで、5回1/3を投げて4安打9奪三振無四球と守護神として完璧な働きを見せ、MVPに輝いた。

 最後に登場するのは、現在は広島でリーグ優勝に向けてチームを牽引する黒田博樹だ。「日本に戻る前にメジャーでは7年しか投げていないが、ドジャースでもヤンキースでも手堅い働きをする先発だった」と、いぶし銀の働きを称えた。他の日本人投手のように「変化球で生きた投手ではない」が、「平均93マイル(約150キロ)の破壊力抜群のシンカー」が武器だったと指摘。目立たないながらも「手堅く」仕事をしたと評価している。

 今後も数多くの日本人選手が、海をわたり、メジャーの舞台で活躍するだろう。ここで紹介された6人の選手たちを、記録でも記憶でも超える選手が誕生するのか。夢と期待はふくらむ。