「主張」と「節度」の間で悩むことも

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【ゲイリーマン発 日本のリアル】

 気温の乱高下か激しい最近ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。筆者はゴールデンウィークに札幌旅行などに行ってきて、大変楽しい連休となりました。

 今日は、少し思い切ったタイトルにしてみました。

 渋谷区の、いわゆる同性婚合法化問題に端を発して活性化した最近の「同性愛者優遇バンサイ」的な”大本営発表”に、敢えて同性愛者当事者の視点から疑問を投げかけてみたいと思います。

 ガンガン同性愛者の権利を推進して行こうぜというここ最近の風潮に対するちょっとした危機感と、そういう一部の急進派の主張に乗り切れないゲイの筆者の複雑な心境も含めた保守的な内容となります。(ここでいう「保守」とは、右翼、右派という意味ではなく、より現実的観点から責任ある議論をしていこうという立場を意味する「保守」です。)

 不愉快な気分になる当事者の方がいらっしゃるのも承知の上での執筆となりますが、お付き合いいただければと思います。(批判はお手柔らかににお願いできれば幸いです・笑)

「結婚」に憧れているのか、それとも「結婚式」に憧れているのか?

 渋谷区のいわゆる同性婚合法化問題に関連して、その前後から同性愛者が結婚式を挙式する例がいくつか報告されるようになっています。現状、同性婚が法的に認められない状況下でこうした式を挙げることには非常に勇気の要ることだったかと思います。

 しかし、「結婚」は確かに多くの友人知人から祝福され、好きな人と公式的に一緒にいられることではありますが、同時に多くの場面で行動に制約がかかる「契約事」であることも事実です。

 ヘテロセクシュアルの間で一昔前より離婚率が上がっているとは言え、やはり通常は簡単に婚姻関係を解消すべきでなく、極力関係の修復と維持を要求してくる社会的な圧力は存在します。

 渋谷区でできたパートナーシップ制度は厳密に言って婚姻とは違うものとは言え、今後これをきっかけに同性婚もしくは婚姻に準ずるパートナーシップ制度の法的議論が始まった際、当然既存のヘテロセクシュアルたちが考える「結婚」の定義を同性間に延長させる方向で議論が進むわけで、同性愛者だけが貞操義務を放棄していいとか、財産分与をテキトーにして良い、という特例が認められるような流れにはならないでしょう。

 最近の傾向から見て、ヘテロセクシュアルたちは、「同性愛者の多くは、まさにこうした貞操義務を守り、財産分与なども公正公平にした上で清らかで健やかな生活を送りたいと切望している」と見ている向きがありますが、筆者としてはこの見解には疑問を感じております。

 もちろん、ヘテロセクシュアルと同じようにしっかり義務を守り清らかで健やかな生活を同性二人で一生送っていきたい、と切望する方々の意思は尊重されるべきだと思います。

 しかしながら、「みんなに祝福してもらえる」「華やかな結婚式ができる」という方向にばかり注目が集まりがちで、「結婚」という契約事のより実際的な側面にあまりスポットが当たっていない印象です。

 言わば、「結婚式」に注目は集まるが、その翌日から始まる「結婚生活」にはまったく関心が集まらない状況とも言えるでしょう。

 そして、その「結婚生活」が持つ実際的側面が日本の同性愛者たちが築いてきた文化や生活様式とどれくらい相性が良いか(もしくは悪いか)を冷静に検証する議論が生まれて来ないことは少し残念です。

 そうした議論がなかなか活性化しない原因の1つとしては、ある種こうした「現実的で面白くない議論」をする人が、推進派から名指しで「同性婚反対派」のレッテルが貼られてしまう傾向があるからです。筆者だって個人の意思や生き方が尊重される同性婚には賛成の立場ですが、「一度冷静になって議論しましょう」という意思表示でさえ、渋谷区の件で「フィーバー」している間は「なんで冷水を浴びさせるんだ!」となってしまう。

 議論が深化するためには、一度この「フィーバー」の熱が冷めるのを待たなくてはならず、まだまだ時間がかかりそうな気がしています。しかし、筆者としてはフィーバー中であってもこうした情報を少しずつでも発信して行ければと考えています。何かの議論が始まる突破口になればと。

次回「その2」に続く

著者プロフィール

ゲイライター

英司

東京・高円寺在住のアラサーゲイ。ゲイとして、独身男性として、働く人のひとりとして、さまざまな視点から現代社会や経済の話題を発信。求人広告の営業や人材会社の広報PR担当を経て、現在は自社媒体の企画・制作ディレクターとして日々奮闘中。都内のゲイイベントや新宿二丁目にはたびたび出没(笑)

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