外国には、代表チーム戦を行う街のクラブから必ず選手を選ぶという慣例がある。いわゆるご当地選手を起用しないと、スタンドが埋まらない可能性があるからだが、これも日本にはない話だ。大阪で行われる代表戦に、地元選手が出場しなくても、スタンドはまず埋まる。怒って日の丸を燃やす人など、絶対にいないだろう。

 2007年のクラブW杯で、浦和レッズが準決勝でミランと対戦した時、さいたま市役所には「みんなで浦和レッズを応援しよう」の垂れ幕が掲げられた。だが、対するミラノ市民は、ミランを全員で応援していなかった。ダメもとで浦和レッズ側の応援に回った人の数は、市民の半分以上に及んだという。インテルファン、そしてミラノにも多くいるユーベファンは、反ミランの立場に就いた。だが、ミラノ市の様子を伝えた日本のテレビは、そのあたりに全く踏み込んでいなかった。あたかもミラノ市民全員がミランを応援しているような現地レポートを送ってきた。

 そのカルチャーに従えば、埼玉にあるもう一つのクラブ、大宮アルディージャのファンは、ミランを応援しなければならなくなる。垂れ幕の文言にしたがっては、いけないワケだ。
 
 ミランがチャンピオンズリーグ決勝でリバプールを倒したのはその半年前。その時、ミランに準決勝で敗れたマンUのファンは、ミランを思い切り応援したという。リバプールの敗戦を祈った。ミラン対マンUの準決勝が行われた時、ミラノの投宿ホテルのホテルマンはインテルファンで、マンUの勝利を願っていた。マンUがミランに敗れると、今度は、リバプール頑張れと心の底から他意なく祈っていた。

 今年、開催地が日本に戻ってきたクラブW杯に、晴れてガンバ大阪が出場することになったら「日本人はみんなでガンバ大阪を応援しましょう」的なムードに包まれるだろうが、サッカーの世界にあってそれは特殊。

 ナショナリズムが国境でしか分かれない日本。東京五輪の開催で、その傾向にはますます拍車が掛かるだろうが、世界にはそれとは全く異なるナショナリズムの境界がある。そして、そうした従来の価値観を壊してくれるような、カルチャーショックを味わうことは、スポーツの醍醐味に値する。世界新を見た瞬間と同じくらい、普通の日本人ならビックリするだろう。
 
 ラグビーW杯日本代表だけではない。スポーツを通して困惑する材料はまだまだある。知らなければ損。スポーツの魅力は語れない。僕はそう思う。