お互いに「生まれ変わっても結婚したい」「わが家の太陽」と… 俳優・山本耕一さんの夫婦愛
物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は1月に90歳で亡くなっていたことが今月6日に判明した、俳優の山本耕一さんを取り上げる。
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テレビ朝日系列の昼のワイドショー「アフタヌーンショー」で事件のレポーターを務めていた俳優の山本耕一さんは1980年代初め、名文句で注目を浴びる。
同番組で局アナウンサーとして突撃レポートを果敢に行っていた佐々木正洋さんは振り返る。
「山本さんは現地に出向いて事件取材を行い、番組司会の川崎敬三さんに丁寧に説明していきます。それを聴く川崎さんが、絶妙なタイミングで、“ちょっと待って下さい、山本さん”などと口を挟みます。こうして、川崎さんが山本さんの発言を簡潔にまとめて念押しします。それを受ける形で、山本さんが“そぉなんですよ、川崎さん”と発するのをきっかけにさらに話が展開する。このやりとりは視聴者の皆さんに内容を理解してもらうための工夫。臨場感も増し、視聴者をどんどん引き込んだ」

事件を真剣に伝えるために用いていた言葉を、漫才コンビのザ・ぼんちがパロディー化したことで、80年、一気に流行語となった。山本さんは、「“そぉなんですよ”の本家本元」として時の人となり戸惑ってしまう。
35年、東京生まれ。早稲田大学文学部、俳優座養成所を経て新劇を中心に活動、テレビドラマにも出演するが地味な存在だった。
「芸能界に珍しいタイプ」
NHKドラマ「美しき遍歴」(63年)で小林千登勢さんの相手役を務めた縁で65年に結婚。千登勢さんは、冨士眞奈美さん、馬渕晴子さんと共に「NHK三人娘」と呼ばれるスターだ。
冨士眞奈美さんは言う。
「千登勢は共演の時、耕一さんの顔が好みでないから相手を代えてほしいとNHKの人に直訴していたのに、それが一変したわけですよ。耕一さんは芸能界に珍しいタイプ。おとなしくて素朴で思いやりがある。人を押しのけることもなかった」
結婚時も一人娘の麻利央(まりお)さんの誕生時も、女優を辞めようとした千登勢さんにもったいないと諭す。
「時間がある方が家事をすればいいと耕一さんは男の立場を気にしない。料理、掃除の腕前は千登勢をはるかにしのぎ、家計管理も何でもできる。千登勢は、便利なんだもん、と笑いつつ感謝していた」(冨士さん)
さすがの耕一さんも育児にあたり、母に同居を頼む。
「表裏のない千登勢とお姑さんがお互い遠慮せずに言い合える良い関係になったのも耕一さんのおかげ。もめても耕一さんはフフフと笑うだけで自分の母の味方をせず、妻の言い分にも肩入れしない」(冨士さん)
“生まれ変わっても耕一とまた結婚したい”
事件レポーターを任されると、毎週1回のコーナーのために俳優の仕事を断ってまで10年以上没頭した。
「山本さん自身が台本を書き、生放送前に川崎さんとやりとりの練習を重ねていました。事件を扱う以上、取材も放送も間違ってはいけないと徹底、アドリブなど言わない」(佐々木さん)
あの名文句まであらかじめ台本に記しておく几帳面さ。細部に目を配る実直な姿勢に、山本さんならと取材に応じた関係者は多かった。
85年に番組終了。
「有名になったのに耕一さんは何ら変わらない。欲がなく頑固で不器用なのも魅力でした」(冨士さん)
レポーターのイメージをなぞるような役柄や仕事は丁重に断る潔さがあった。
女優の道を選んだ愛娘が2000年に結婚、孫も誕生したが千登勢さんは03年、多発性骨髄腫のため66歳で先立ってしまう。以降、テレビ出演は激減。15年にはNHKの番組で過去の映像をもとに若き日の千登勢さんや親子共演の様子を振り返り、懐かしさに目を細めた。
娘家族と暮らしていたが、1月29日、肺がんのため90歳で逝去していたことが、7月6日になって伝わった。
「千登勢は元気な時分から、“生まれ変わっても耕一とまた結婚したい”と照れずに言い、耕一さんは千登勢を“わが家の太陽”と真面目な顔で話していたのを思い出します」(冨士さん)
「週刊新潮」2026年7月23日号 掲載
