モデル、タレントとして華やかなキャリアを築く一方で、恋愛や結婚、離婚、シングルマザーとしての子育て、そして乳がんとの闘いまで、その人生を包み隠さず語ってきた梅宮アンナ。なぜ彼女は、数々の苦難や世間の批判にさらされながらも、自分らしく生き続けることができたのか。そして、梅宮アンナがたどり着いた人生観とは何だったのか。

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 梅宮アンナが自身の半生を赤裸々につづった著書『フルコース』(文藝春秋)から、父・辰夫さんとのエピソードを抜粋してお届けする。


2010年当時の(左から)母・クラウディア、父・辰夫、娘・アンナ

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お風呂場での会話

 パパのがんにまつわる私の最初の記憶は小学2年生のころ。

 一緒にお風呂に入っていたときのことだ。

「アンナ、パパの胸に手を置いてみな」

 おもむろにパパが自分の胸を指差して、こう言った。

 胸の部分だけ皮膚の色が違う。

 私はそっと指で触れた。あのときの感触は今でも覚えている。

「硬くなってるだろ。ここが肺がんだった場所だ。がん細胞ってのを焼いてやっつけたんだ。焼け焦げた細胞が、パパの体から逃げ出したくて『出たいよ〜、出たいよ〜』ってドンドンやってたんだ。それで硬いんだよ」

 説明を聞いてもよくわからない。

 私はなんだか怖くなって、ワンワン泣いてしまった。

 パパから「うちはがん家系なんだよ」とか、「アンナも気をつけろよ」とか、直接言われたことは一度もない。でも、パパは自覚していなかっただろうけど、身をもって教えてくれていたんだと思う。

 知り合いの娘さんががんになったと聞くと、パパは自分がお世話になった病院や先生を熱心に紹介していた。その姿は印象に残っている。

 私が高校生のころ、パパは3か月に1回のペースで胃カメラの検診を受けていた。「早期発見」「早期治療」が大切だと考えるパパらしい習慣だ。

 当時、通っていたのは神宮前にある「岡本平次クリニック」。

 岡本先生は内視鏡医の神様とも言えるような凄腕の医者だった。

「おい、見てみろ。小梅ちゃん、小梅ちゃん」

 胃カメラ検診に行くと、パパは必ず“お土産”を持って帰ってくる。

 内視鏡で切除したポリープをジャムの瓶に入れて、ホルマリン漬けにしたものだ。液体の中をぷかぷかと漂うポリープはなんとも気色悪い。でも、色といい、大きさといい、たしかにロッテのキャンディー「小梅」にそっくりだった。

 ホクホクした顔で嬉しそうに瓶を覗き込むパパ。「見てみろと言われても……」とそろって冷めたリアクションをするママと私。検診を受けるたびに持ち帰ってくるから、家の中に小梅ちゃんの瓶はどんどん増えていく。そのうち保存することに飽きたのか、全部捨てちゃったみたいで、いつの間にか見ることもなくなった。

40年ぶりのがん発症

 パパが再びがんを発症したのは、一気に時代が飛んで、2012年3月、74歳のとき。胃がんだった。

 36歳で睾丸がんと肺がんを発症してから40年近くたっている。

 それまでも、かかりつけの岡本平次クリニックで3か月おきに胃カメラ検診を受けて、良性だろうが、悪性だろうが、ポリープがあれば切除してもらっていた。

 ところが検診で早期の胃がんを発見。

 岡本先生が一言「先生のところに行きなさい」とだけ言ったので、パパも「あ、何かマズいものがあったな」と察知したらしい。

 大圃研先生はNTT東日本関東病院で内視鏡手術の名医として知られていた。

 この先生にいきなり「がんです」と告知されたとか。本人には病状を伏せていた40年前とはえらい違いだ。あまりにズバッと言うので、パパも逆に驚かなかったらしい。

 その年の4月に口から内視鏡と電気メスを入れて、胃壁にできた腫瘍の切除手術を受けた。それだけで治療は終わり。早期発見だったこともあって、抗がん剤を投与する必要もなかったらしい。

 ただ、ホッとしたのも束の間。

 その2か月後に胃の違う場所にがんができていた。

「1年にがんが2つも!」

 さすがのパパもショックを受けていた。

 すでにがんは切除していたので、この場合、正確には「再発」とは呼ばず、本当に新しいがんができていたということらしい。20人に1人の確率で起こるとかで、やっぱりパパはがん体質なんだと思う。

 幸いこのときも、一つ目のがんみたいに内視鏡と電気メスによる切除だけで済んだ。

「勃たないのは、嫌なんだ」

 パパは50歳を過ぎたころから糖尿病も患っていて、2か月おきに定期検査を受けるようにしていた。

 2018年の夏、その検査で、お医者さんから「PSA(前立腺腫瘍マーカー)が高い数値を出しています」と言われた。これは前立腺に何か異変があったことを意味する指標だ。パパによれば、同じころに尿にも血が混じるようになっていたらしい。

 詳しく調べたら、前立腺が肥大していて、がんの疑いがあるという。

 パパががんになるのは、もうこれで5度目。

 手術の説明を受けに私も病院に連れ添ったけど、このときのことはいまだに忘れられない。

「梅宮さん、手術をしたら、勃たなくなります」

 いきなり女医さんにこう言われたのだ。

 パパはショックを受けていた。

 よりによって、女性にはっきり言われたことも響いたらしい。

 思わず私もダメ押しで言ってしまった。

「パパはもういいわよね」

 前立腺がんの手術をすると、神経が切れたり、傷ついたりして勃起不全になってしまうことが多いそうだ。とはいえ、パパはもう80歳。勃起だのなんだのって、さすがにもういいでしょ。

 でも、パパは嫌だったらしい。

 “夜の帝王”“女たらしの帝王”などの異名を持っていたパパ。主演した映画「夜遊びの帝王」では「シンボルロック」なんて歌も歌っていた。

 そんなパパにとって男性機能を失うことは、とんでもなく悲しかったらしい。

「男にとって勃たないのは、やっぱり嫌なんだ。いくつになっても、使わないとわかっていても、嫌なんだよなぁ。できることなら手術やりたくないよ」

 往生際悪く、最後までボヤいていた。

 私にはわからないけど、男ってそんなもんなのかな。

 さすがのパパも最後は「何事も命には代えられない」と観念したようだった。

写真=平松市聖/文藝春秋

「パパ、もう免許返そう」車を愛した梅宮辰夫の覇気のない返事…娘・梅宮アンナが今も悔やむ、人工透析と“生きる気力”の崩壊〉へ続く

(平田 裕介)