山梨県が富士急行に貸している山中湖畔の県有地約440ヘクタールの賃貸借契約を巡り、県と富士急が訴訟合戦を繰り広げている。1審判決は富士急の全面勝訴となったが、県はすでに控訴した。ことの発端は山梨県が2020年から「賃料は不当に廉価で、契約は違法で無効」と従来の姿勢を転換したこと。異例の訴訟合戦の内幕をリポートする――。
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運輸・観光業などを営む「富士急行」本社(=2021年6月30日、山梨県富士吉田市) - 写真=時事通信フォト

■県民財産の土地を激安で借りるのは不当?

山梨県の県有地=県民財産が守られるのか、あるいは、一私企業の独占的利益が優先されるのか――。民法の借地法と地方自治法のあり方までが問われるという、全国でも例のない極めて珍しい訴訟が甲府地方裁判所で争われていたが、昨年12月20日、その注目の判決が言い渡された。

判決は、長年にわたる不当な廉価により得られるべき賃貸料を損害賠償として請求していた県側の主張が一切認められず、激安の賃料によりリゾート開発で大成功した地元財閥企業側の全面勝訴だった。が、長崎幸太郎知事(54)は、

「極めて残念。県有地は県民全体の財産であり、そこから得られる利益は県民に最大限還元されなければならず、知事としてそのためにベストを尽くすのは当然のこと」
「(控訴しなければ)実勢価値に対して低廉すぎる賃料を事実上未来永劫(えいごう)に甘受せざるを得ないこととなり、県民に属するべき利益の回復・実現を図る途が事実上閉ざされることになる」

とコメント。控訴するには県議会の議決が必要なため、27日に臨時県議会を招集し、賛成多数で可決されたために翌日控訴した。

これで今後は舞台を東京高裁に移し、争いは第2ラウンドに移ることになった。

■東京ドーム94個分の土地が「1m2につき74円」

今回の訴訟のそもそもの原告は、山梨県に本社を置き、静岡県、神奈川県にまたいで鉄道、観光、不動産、流通事業などを展開する「富士急行」。山中湖周辺のゴルフ場や別荘地開発、また富士山の裾野の広大なアミューズメントパーク「富士急ハイランド」などで知られている。山梨県では歴史ある財閥企業として有名だ。

この富士急行が山梨県を訴えたのは、2021年3月のこと。4カ月後に県が反訴して争ってきたのが今回の訴訟である。

県側の訴えの骨子は、山梨県が1927年から富士急行に貸し付けてきた広大な土地の賃料が地方自治法237条2項に反し違法に安すぎるから、適正な賃料との差額をさかのぼって支払え、というもの。

その土地とは、山中湖畔の南側一帯440ヘクタール(東京ドーム94個分)、3300区画分。富士急行は同地を昭和初期からゴルフ場、別荘地として造成し、基幹事業として巨額の収益を上げてきた。その広大な県有地の賃貸料は、今からほぼ1世紀近い96年前に契約した「1m2につき74円」という驚くべき価格だった。

■「近隣の別荘地は富士急行の3倍以上」

その後、20年ごとに契約更新が行われてきたが、2017年からの新契約による賃料も当初とまったく変わらず、東京ドーム94個分が年額で約3億円のまま。地元不動産業者によれば、

「これは異様に安い価格。実際、別の地元業者が独自に造成・分譲した近隣の別荘地は富士急行の3倍以上の評価額。しかも、そもそもが随意契約だから、他社が入り込む余地がない。長年、独占的に巨利を得てきたのです」

山中湖畔といえば都心からも2時間ほど、富士山の雄大な姿が間近に見える絶好の避暑地で、三島由紀夫も『豊饒(ほうじょう)の海』などいくつかの作品で舞台にするなどゆかりがあるため、現在は三島由紀夫文学館も建つ。またゴルフ場隣接の別荘地は石原裕次郎などかつての日活スターがこぞって利用したことから「日活村」とも呼ばれるほどの人気リゾートだ。

それだけに、県民の一部からも以前から疑問の声が上がっており、2017年に新契約が結ばれた直後、県内に住む住民が県を相手に、

「県から富士急行への賃料年額3億円は不当に安く、県は賃料を増額する措置を怠ったため、長年の適正賃料との差額を歴代3人の知事と富士急行に請求せよ」

という訴訟を起こしたのである。

写真=山梨県ウェブサイトより
山梨県が富士急行を訴えた理由を説明している特設サイト<守ろう、増やそう「県民資産」>。ページの中ほどには長崎幸太郎知事の署名も記されている。 - 写真=山梨県ウェブサイトより

■長崎知事が従来の方針を180度転換

この住民訴訟に、当初県側は「契約は正当だった」と反論していた。ところが2019年の知事選で新たに長崎知事が当選すると、知事主導で県の方針が大転換。住民の主張通り「確かに賃料は安すぎて違法であるから、契約は無効だ」と認めたのである。

そして、これに驚いたのが富士急行。慌てて県側に「既存の賃借権の確認を求める」訴訟を起こし、先述の通り2021年7月、県側が反訴の形で富士急行に対し、適正賃料との差額をさかのぼって請求する損害賠償訴訟を起こしたのが、今回の判決なのだ。

ちなみに、キッカケとなった住民訴訟は、県が富士急行に反訴をしたことでほぼ住民側の主張が容(い)れられているから、という点を主な理由として「訴えの利益がなくなった」と却下されたが、住民側は不服であるとして東京高裁に控訴しており、現在も争われている。

■364億円もの「県民の利益」が失われている

では、判決はどう下されたのか。

県側の請求は、地方自治法に「適正な対価なくしてこれを譲渡し、若(も)しくは貸し付けてはならない」との定めがあることに鑑み、当該の土地に対する鑑定評価をやり直した結果、過去20年間の364億円が損害賠償金の総額だが、印紙代などを考慮してまずはその一部の93億円を請求するというもの。

対する富士急行側の主張は、長崎知事以前までは県からの値上げ請求はなかったのだから契約は正当だ、というもの。

これに対して甲府地裁は、

「賃貸借契約は有効で、富士急行の行為に違法性はない」
「これまでに支払われた賃料が地方自治法で規定する『適正な対価』に当たらないとする県の主張は採用できない」

と判断し、県側の請求には「理由がない」として棄却したのである。言うなれば、ほとんど門前払いに等しい判決だった。

「最大の争点を突き詰めると、賃料が“実勢に応じた適正な価格か”という点。何しろ、県が算出した適正額で計算すると364億円もの巨額の“損害”を被っていたという主張ですから、いかに破格の廉価で賃貸されてきたかということ。20年ごとに契約は更新され、賃料も見直されていたとはいえ、その差額=損害はあまりにも莫大(ばくだい)です」(司法記者)

■富士急行側は「当然の結果」

「もちろん、こんな契約を承認してきた過去歴代の知事や県の責任も大きいですが、重要なのは、当該地は県有地という県民の財産だということで、これはすなわち県民ひとりひとりの損害に当たるということ。つまり、地方自治法で守られているはずの県民の利益については一顧だにされなかったということです」(司法記者)

全面勝訴した富士急行側は、判決後に野田博喜常務らが記者会見を開いた。「当然の結果であると認識しており、主張が認められて深く安堵(あんど)している」と胸をなでおろし、

「今回の判決は、山中湖村の県有地を連綿と開発してきた先人たちの苦労が司法に改めて認められたということだと考えている。今後とも山梨県の地元企業として地域経済の発展に寄与していきたい」

とコメントした。

一方の県側は冒頭で触れた通り控訴したため、第2ラウンドでは「県vs.地元財閥」という構図のなかで「借地法vs.地方自治法」の真っ向対決がいよいよ本格化することになる。

写真=iStock.com/Dragonite_East
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Dragonite_East

■中央政界に足場を築いた“堀内王国”の影響力

それにしても、富士急行側の主張にある通り、なぜ山梨県側は長崎知事が就任するまで値上げ請求をしてこなかったのか。

「それは、富士急行という会社が山梨県内では老舗の財閥企業として絶大な政治力、影響力を持っていたから」と解説するのは地元の財界関係者。

「現社長の堀内光一郎氏は創業家の4代目ですが、先代の父・光雄氏は労働大臣、通産大臣、自民党総務会長などを歴任し、自身の派閥も率いた政界の大物。先先代で祖父の一雄氏、そして創業者で曽祖父の良平氏も代議士として中央政界に足場を築いていた人物。

つまり、富士急行そのものの業容拡大にはもちろん、地元経済の発展にも歴代が中央政界とのつながりで巨大な影響力を及ぼしてきた“堀内王国”。県にとっては税収の面も含めて大切な存在であり、いわば持ちつ持たれつの関係だったのでしょう」

さらに、こんな指摘も。

■対立の背景に「選挙戦」の因縁?

「以前から、県の幹部職員を退職後に“天下り”として受け入れてきたケースも少なくない。だからこそ、県は何も言えなかったのでは」

そんな“癒着”とも見える実情にメスを入れたのが長崎知事だった。

長崎知事といえば、就任早々、当時の河野太郎行革担当大臣が主唱した「ハンコ廃止」に正面切って噛みついた「ハンコ知事」として一躍全国的にも名を馳せた。

その経歴を見ると、堀内王国とは少なからぬ因縁がある。

東大法学部卒業後に財務省に入省。小泉旋風とも言われた郵政選挙(衆院選)で初出馬し、反小泉となっていた堀内光雄氏と山梨2区で激闘。比例で復活当選したのちは、光雄氏の地盤を引き継いだ堀内詔子代議士(現社長・光一郎氏の妻)と幾度も激しい選挙戦を戦ってきた。

それだけに、因縁めいた関係ではあり、山梨県と堀内王国、富士急行との関係は熟知していたと言える。実際、かつての衆院選でも前回の知事選でもこの県有地問題の是正を公約に掲げて闘ってきた。知事就任で県の姿勢を一変させたのは、まさに公約の実行だったわけだ。

■次の争点:96年前の賃料評価はずっと有効なのか?

今回の訴訟・判決が注目されたのは、冒頭で触れた通り、あくまでも民法上の契約によって、一私企業の独占的優遇・巨利が守られるのか、あるいは地方自治法による県民の財産・利益が守られるのか、という点だった。

第2ラウンドでは、さらに根源的な争いになりそうだという。

「1審判決では、山梨県と富士急行との県有地賃貸借契約は、富士急行によって別荘地が造成される前の山林原野の状態(素地価格)を基礎に算定された『継続賃料評価』で契約されており、双方の合意があるから有効だとした。

これだと、借地法を適用しなくとも、当事者間でひとたび素地価格を基礎とした継続賃料評価による地代算定に合意すれば、それが将来にわたって未来永劫、有効だということになってしまう。しかし、双方から出された証拠などでは、将来にわたって合意していたとの証明はないし、富士急行側もそのような合意をしていたとは主張していない」(司法関係者)

加えて、判決では、富士急行が別荘地造成にリスクとコストを負ったのであるから「素地価格を基礎にした継続賃料評価による地代算定をすべし」としているが、そもそもの貸し出しは1927年で、96年も前のことである。別荘造成事業が頓挫・失敗するリスクなどはすでに昔のことで、コストも含めてこの長い歳月の間に回収されており、むしろ大きな利益を上げていると見るのが妥当であろう。

■勝訴した場合は「教育と介護福祉分野」へ投資する

しかし、判決は、「大昔にリスクとコストを負った」という前提理由で、「未来永劫」に「破格の廉価賃料」が「固定」されていることを是とすると判断しており、これが妥当か否か――そうした点が争われることになる。

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「実は、山梨県の富士急行に対する1927年1月29日付の当初貸付許可の第3項には、富士急行が所定の電気鉄道の敷設を完成しない場合は契約を解除できる、という旨の記載があるのですが、今日に至るまで富士急行は敷設していない。この主張も控訴審での取り扱いが注目ポイント」(同)

さらに注目すべきは、地方自治法で守られる県民の利益について、どういう司法判断が下されるかという点だろう。具体的には、年額で現状の賃料3億2500万円に対し、1審での県側の請求は20億円になるため、その差額は約16億円。この「県民の利益」が将来にわたり「未来永劫に認められない」という1審判決の妥当性にどういう判断が下されるのか。

ちなみに、長崎知事は新たな「県有財産」の使途として、県民生活の向上のために、教育と介護福祉分野に投資する、と方向性を示している。内訳は「少人数学級拡充施策」「介護施設待機者ゼロ施策」で、前者には年約16億円、後者には同6億円が必要と試算されている。

このうち少人数学級は県内ですでに小学1〜2年生で実現しており、残る3〜6年生の実現に年約10億円が見込まれており、前述の介護施策分の6億円と合わせ、増税などに頼らない新たな自主財源としての県有財産がそのまま充当でき、県民全体の生活向上が実現できるというわけだ。

■控訴審ではどちらが勝つのか?

それだけに、控訴審の成り行きは県民にとっても重大事であり、すでに1審判決の報道などもあって注目度は高まっている。

その控訴審の見通しについて、地方自治法に詳しい弁護士が、

「そもそも、県有地を巡って自治体と企業が過去にさかのぼって契約の違法性を争い、損害賠償を求める訴訟は全国でも例がないため、そのまま適応できそうな判例そのものがないのですが」

と前置きし、こう解説する。

「地方自治法237条2項には『普通地方公共団体の財産は、条例又は議会の議決による場合でなければ、(中略)適正な対価なくしてこれを譲渡し、若しくは貸し付けてはならない』と定めてあり、これに違反して締結された契約は違法であり無効、という判例は複数ある。

従って、控訴審でもこの『適正な対価』が争点になるでしょう。1審判決では、富士急行が造成に際して相当のリスクとコストを負担しているのだから賃料計算を96年前の山林原野の価格を基礎にすることには合理性があり、契約は有効とした」

■再選を目指す長崎知事にとって正念場

「しかし、造成から40年を経た契約ですら山林原野当時の価格を基礎にする、という契約が一般の土地賃貸借契約に照らしてみても果たして合理性があるかどうか疑問。仮に、問題の県有地で交付金(固定資産税と同様のもの)を試算しても富士急行が支払ってきた賃料ははるかに廉価であることなど、控訴審で県側が『適正な対価』ではないことについて、いかに有効で説得力ある証拠を積み上げられるかがポイントでは。

その判断がくつがえれば、過去の裁判例からすれば、過去の契約が違法としてさかのぼって損害賠償が認められることになります」

折しも、山梨県ではすでに任期満了による知事選が1月5日に告示され、22日の投開票に向けて激しい選挙戦が進められている。再選を目指す現職の長崎知事が自民、公明の推薦を受け、新人で元笛吹市長の倉嶋清次氏(74)、新人で元山梨県議の志村直毅氏(53)の無所属3人が立候補。当然ながら、控訴の件も含めてこの訴訟が選挙戦でも大きな注目を集めており、焦点の一つにもなっている。

いずれにせよ、まさに引くに引けないチキンレースの様相を呈してきたこの争い。舞台を東京高裁に移した第2ラウンドからますます目が離せない。

(プレジデントオンライン編集部)