日本代表で「奇妙な背番号」をつけた7人の選手

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3月に今年最初のインターナショナルマッチウィークを戦った日本代表。

ここでは、近年のサムライブルーでちょっと変わった背番号をつけた選手を取り上げてみる。

2番:井手口 陽介

弱冠20歳で代表デビューを果たすと、2017年に行われたW杯予選オーストラリア戦では本大会出場を決定づけるゴールも決めた井手口。

MFというポジションながら、代表ではなぜか背番号2で定着していた。なお、ガンバ大阪での現背番号は15。

2番:阿部 勇樹

守備職人として39歳になった現在もプレーを続ける阿部。

浦和レッズ移籍以降、クラブでは22番を着け続けているが、アンカーとしてチームを支えた2010年W杯では2番をつけた。

3番:駒野 友一

両サイドでプレーできる職人的サイドバックとして重宝された駒野。

クラブでは5番が多かったが、代表では3番に定着した。右SBとしてプレーした2010年のW杯でも3番を着用。3番への思い入れは強いようで、本田圭佑から譲渡を打診されるも断ったそう。

4番:本田 圭佑

W杯3大会でゴールを決めた異端児レフティ。それまで代表では18番をつけていたが、2012年以降は4番を背負った。

希望していたのは10番だったが、それが無理なので面白い番号として、3番と4番をピックアップ。駒野に3番を断られたので、栗原勇蔵から4番を譲ってもらったそう。

5番:長友 佑都

FC東京で背負った5番に愛着を持つ長友。背番号5を愛するサイドバックはレアかも?

デヤン・スタンコヴィッチが5番をつけていたインテル時代以降は55番が代名詞になった。なお、リーグアンでは基本的に50番代がないので、マルセイユでは25番に。

9番:鎌田 大地

ストライカーが背負うことが多い背番号9だが、いまの代表でつけているのはMFの鎌田だ。

フラクフルトでつけている15番は、代表では大迫勇也が着用。鎌田と番号を入れ替えもよさそうだが…。

10番:中山 雅史

三浦カズと並び、日本サッカー史上に残るストライカーとして今なお敬愛されているゴン中山。

ジュビロ磐田の黄金期を支えた彼の背中にはいつも9番があり、日本代表が初出場した1998年ワールドカップでも9番をつけた。

【写真】サッカー史上最も奇妙な「背番号1〜11番」を背負った男たち

しかし、母国開催の2002年大会では“精神的支柱”としての滑り込み選出だったため、中村俊輔の落選によって空位になった10番をつけることに。中田英寿などから「似合わない」とからかわれている。